神道001 -記紀神話の世界観-
ヒは、日・火・靈 の神仏三位一体を表す言葉であり、神・神の子・精霊を表す言葉である。
ヒという音は、上記3つを区別していないことは注意すべきである。
神道において古ヤマト言葉というものにおいて、奥義と呼ぶべき語である。
ここでは、ヒト、ヒタイ、ヒコ、ヒミコ、ヒダ、ヒダカ、ヒタチ、ヒガン等を挙げておく。
ここで注意すべきは、安易にキリスト教的世界観でこれを捉えないことである。
むしろキリスト教的もっと言えばユダヤ教的感覚は、古代の人々の普遍的原初的な世界の捉え方である。
こういった感性は、ヒトが人間となって宗教心を得た際に、たいていの人々が持っていたものと思われる。
もちろん、古ヤマト人にも共通していると思われる。
アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの造化三神が指しているものは、湧き上がるエネルギーである。
ビッグバンの中心があり、プラスとマイナスのエネルギーが周囲にある。
このイメージは、現代科学でも違和感のない原初の姿である。
当然命もくそもない時のことなので、男女の性別もなくそれそれの神は独立している。
ヤマ・ヤミ・ヨミは、もともと古ヤマト言葉では、同じものを指していた。
山の中の世界、夜の世界、死後の世界は、もともと区別されておらず、水平方向的なつながりで把握されていた。
高天原・常世、常夜と呼ばれる謎の世界もまた同様である。
こういった世界の捉え方は、空間認識の描写の仕方に如実に表れると思われる。
しかし、のちの時代に成立した記紀において、この辺は上下垂直に分かれた世界として描きなおされている。
神話、説話で短く単目的的に語られているものを、大きな世界の物語に描きなおす。
この過程で、新たな論理で支那・西欧的な世界観が転用された、と思われる。
タカアマハラは天空世界へ、ネノカタスクニは地下世界へ移されてしまった。
イザナキ・イザナミの国土創成神話などはその典型である。
もともとこの二柱は、淡路島土着の神であり、全国で著名な神ではなかった。
神名も、誘う木、実の神である。
男女の区別や生殖行為の神秘性をおおらかに語るだけの説話であったと思われる。
ちなみに、キ・ミ合わせて君である。
この語は日本語において特別な意味を持つ語である、というのは、言うまでもない。
国土創成に関しては、オオナムチ・スクナビコナの組み合わせのほうが、全国的には著名であったと思われる。
出雲国風土記においても、国引き神話などとともに、オオナムチ・スクナビコナ両柱による国造りの説話が描かれている。
記紀には、とても限定的な形で、オオナムチとスクナビコナが切り離されたうえで、国津神の事績として描かれるのみである。
その後に出雲の国譲りへと物語は進むため、ますます一時的な国造りの意味合いが強くなっている。
ちなみに、オオナムチおよびオオクニヌシの関係性についても注意が必要である。
スサノヲの後継としてのオオクニヌシ、国土創成に尽力するオオナムチと、もともと別々の神話として語られていた。
これを後世に統合し一柱の神としてしまった、というのが真相であろう。
古事記において創作されたのは、ギリシア神話のオルフェウスを転用した生死の世界の断絶物語であろう。
ここでは、生の世界の象徴としてのイザナキと死の世界の象徴としてのイザナミが対比的に描かれる。
一日五百人を死の世界へ、千人を生の世界へと、具体的に数字まであげている。
生死の仕組みを描き起こす論理性を見せるのである。
ここで新たに発生した、根堅洲国・黄泉国については、スサノヲ神話において重要な役割を果たしていくことになる。
ちなみに、ニニギの時代に、ヒトの寿命の起源についての説話がいれられている。
イワナガヒメによって固定的で永遠の神の生、コノハナノサクヤヒメによって流動的で儚い人の生が、対比的に語られている。
そして、イワナガヒメには醜、コノハナノサクヤヒメには美が象徴されて、美醜の別を神話的に語られている。
ここで重要なのは、生死の世界の断絶を描かないと、人の寿命を語れない、ということである。
ここでも一つ一つは単目的な説話が、合理的な判断に基づき編み上げられて、大きな一つの物語となっているのである。