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和久正雪  作者: 今居一彦
2/2

Day 2

 翌日、ブランチを軽く済ませた私は、執筆のため書斎に入った。するとまた電話が鳴った。

「もしもし、和久ですが」

「和久先生。私です。佐山です」

「あー佐山さん!久しぶりじゃないですか。後任の田口さんに引き継ぎの挨拶にこられて以来ですよね?それっきり音沙汰ないからどうしたのかと思ってましたよ」

「はいそうですね。それ以来になります。ご無沙汰しております」

「どうしましたか?また私の担当に復帰されたんですか?もしそうなら、これほど喜ばしいことはない」

「なんとも勿体無いお言葉ありがとうございます。でも違うんです」

「そうか、それは残念。で、どうしました?」

「いや、実は今日用事があって外出してたんですが、たまたま先生のお宅のすぐ近くを通ったもので、懐かしさのあまりついつい電話してしまったのです」

「あーそうなんですね。それはそれは。で、もう帰られたんですか?」

「いや、まだ近くにおります。先生のお宅のすぐ目の前に」

「なんと!そうですか。そういうことですか。そういうことなら、よかったら家に上がってくださいよ!今すぐ降りて行きますから」

 電話を切って、慌てて上着を羽織り、玄関のドアを開けた。すると、すぐ目の前に佐山さんは立っていた。

「佐山さん!もう本当に目の前だったんですね…」

「え?あ、まあ…」

「ま、どうぞ中へ中へ」

 佐山さんは、小綺麗なビジネスカジュアル姿で、年齢よりも若々しく見えた。礼儀正しく一礼をすると遠慮がちに中に入った。私は、佐山さんを二階の居間に案内し、ソファーに座ってもらうと、バーカウンターで飲み物の準備に取りかかった。

 「佐山さん?あいにくあなたので大好きなビールは切らしているんだが、スコッチてもいいですかね?」

 「あ、はい。少っし、で」

 「ん?…あぁダジャレね。相変わらず面白いなぁ、佐山さんは。じゃ〜『スコッチ』ね」

 「あ、はい。お願いします。すみません」

 私は二人分のスコッチをティーテーブルに運んだ。

 「ま、どうぞどうぞ。とりあえず乾杯だ。再会に乾杯!」

 佐山さんは一気に飲み干した。

 「いや〜、相変わらずいい飲みっぷりですね。でもこれビールじゃないですからね?念のため…」

 「あ、はい、すみません。ちょっと喉が渇いていたもので」

 「いやいや、いいんですよ、もちろん。そりゃもうどんどんやってください。いつも私一人じゃなかなか飲みきれないんで。もう一杯注いできますよ。あ、いや、ボトルごと持ってきましょうかね。そうだ。その方がいい」

 私はまたバーカウンターに行きボトルを手にした。

 「あと、ツマミなんかも要りますよね?チーズとかナッツとか?」

 「いやいや先生、そんなに気を遣っていただかなくて大丈夫ですよ。急に断りもなく押しかけて来たんですから。申し訳ないです。ナッツだけで大丈夫です」

 「え?ナッツだけ?あ、ナッツだけね。あ〜そうそう思い出しましたよ!佐山さんはチーズがあんまり好きじゃなかったですもんね」

 「あ、いえ、別にそういうわけじゃないんですが。チーズも結構好きなんで」

 「え?好き?あ、そうなのね。なんだ水臭いな〜、遠慮しないでくださいよ。それならチーズも出しますからね」

 私はボトルとツマミを持ってそそくさと戻った。

 「いや〜、それにしてもビックリしましたよ。まさか佐山さんにこうしてお会いできるとは夢にも思ってなかったんでね」

 「あ、はい、いや私も、私自身、急に伺うつもりもなかったんですが。不思議なものですね。体に染みついているんでしょうか。先生のお宅の近くに来たら、ついつい足がこちらに向いてしまって。昔よく通わせてもらった習性というものなんでしょうか」

 「ははは。そりゃもう、昔は二人で、それこそ二人三脚で、散々苦労しましたもんね!」

 私は久々に心置きなく話せる相手と対面して、少しテンションが上がっていた。

 「はい、本当に…大変でしたね。苦労しました…」

 佐山さんは大きくため息をついた。本気で深刻そうなため息だった。

 「え?あ、まぁそうですよね…でもそんな急に本当に深刻そうにしないでくださいよ。たしかに佐山さんには苦労をかけましたよ?まぁ、それもこれも私にもっと才能があれば…」

 「いえ、先生のおかげです!先生と一緒にお仕事させていただいたからこそ、こんな私でも、なんとか編集者として生計を立て、定年まで全うできたわけですから!」

 さすがにスコッチの一気飲みが効いたのか、普段は物静かな佐山さんも多少口調が変わってきた。

 「先生には才能があります!長くお供した私が言うんだから間違いありません!でも敢えて言えば、先生に足りなかったのは『運』です!運だけです」

 「あ、ありがとう。そう言われると救われた気がするよ。まぁでも運も実力の内だからなぁ〜」

 「私は先生に長年付き添った編集者であり、先生の唯一のファンでもあり…」

 「いやいやちょっと待って『唯一』ってことはないでしょ。さすがに私だって、それなりにファンはいますよ?たとえば、佐山さんと最後に手掛けた作品…えーっとなんだっけ…あの、あれ…あ〜度忘れした」

 「『記憶の断層』!」

 「あ、そうそう『記憶の断層』!あれだって何万部か売れたでしょ?」

 「2千部弱です」

 「え?あ、そうだっけ…。あれ、自分としては結構好きだったんだけどなぁ」

 「先生、昔から何度も言ってますけど、自分が好きなのと売れる作品は違うんですよ!」

 「あーはいはい、そうそう。昔から何度も言われてますね…。いや〜なんだか懐かしいなぁ、この感じ!そうやっていつも佐山さんに諭されてましたもんね」

 佐山さんも私もすっかり昔のノリで話に花が咲き、もはやスコッチが「少し」ではなかった。

 「しかしそれにしても佐山さん。こう言うのもいくぶん失礼かもしれないけど、しばらく見ない間に、なんだかすっかり小綺麗になって、若々しくなりましたね。退職されてから、なんかいい事でもあったんですか?」

 「愛犬が死にました」

 「え?あー、あの長く飼っていたあのワンちゃんが?これはこれは、失礼しました…それはそれは、悲しかったでしょうに…」

 「『飼っていた』のではありません。共に人生を歩んでいたのです。私にとってはペットではありませんでした。人生のパートナーだったんです。先生もそうです。先生と犬。同じなんです!」

 「え?い、犬と同じ?」

 「あ、はい、すみません。先生が犬と同等だと言ってるわけではありません。私にとって人生のパートナーという意味で同じだ、ということです」

 「あ、はい、分かります、分かります。なんか、こう、すごく…何というか、ありがとう…かな?」

 「しかし先生、『犬が居ぬ』とはよく言ったもので…」

 「はい、ダジャレね…」

 「あ、はい、すみません、先生。犬がいなくなると本当に寂しいもので、散歩もしなくなりますし、しばらく私は本当に引きこもり状態だったのです…」

 「そうですか…それはそれは大変でしたね…」

 私たちは一息ついて、またスコッチを注ぎ合った。

 「ところで、先生の方はいかがですか?実は私、先生のことが心配で。今回立ち寄らせていただいたのも、実はそのためだったりするんですよ」

 「いやいや、すまないね、心配かけちゃって…まぁ、おかげさまで元気にはしてますよ。相変わらずヒット作はまだですけどね…」

 「いや、実を言いますと、私のところにまだ昔のツテで、いろいろと情報筋から話が入ってきたりしまして…。先生についても…あまり面と向かっては言いにくいですが…」

 「いやいや、私と佐山さんの仲じゃないか。遠慮なく言ってくださいよ!もはや私もだいたいのことは承知しているつもりだし…」

 「そうですか?いや、実を言いますと、業界筋の間では『和久正雪はもう死んだ』っていうのがもっぱらの共通認識らしいんですよ…」

 佐山さんはグラスを指先で神経質に触り始めた。それを見た私も少しナーバスにならざるを得なかった。

 「ははは、そうなの?ははは…な〜んだ、馬鹿馬鹿しい。みんなそんなこと言ってるの?いや〜本当に馬鹿馬鹿しい…ゴホッ、ゴホッ」

 なぜか私はわざとらしく咳き込んだ。

 「もちろん比喩だとしてもですね…私は先生のことが本当に心配になってしまって…実はそのせいもあって今日ご連絡させてもらった、というのもあるんですよ…」

 「そうやって気にかけてもらえるのは嬉しい限りですけど、いや〜本当に馬鹿馬鹿しい。暇なんですかね?みんな。きっと。ね〜…」

 私は変に冷や汗をかいていた。とりあえずスコッチを一杯飲み干した。

 「死んでませんよ。当たり前ですよ。たしかに最近少し文壇からは距離を置いてますよ?でも、死んでません」

 佐山さんはなぜか無反応だった。でもそのおかげで、私も少し落ち着きを取り戻した。そしてこう言った。

 「死んでない。でもそれを言うなら『シンガナイ』ですかね」

 これはさすがに佐山さんも理解できなかったようだ。「は?」と聞き返してきた。

 「『芯がない』そういう言ったんですよ。要は、玉ねぎみたいなものだ。剥いても剥いても最終的には芯がない。そういうこと。空っぽ。つまり今の私はまさに空っぽなんですよ」

 私は自分でも何が言いたいのかよく分からなかった。

 「いやいや先生。何度も言いますけど、私は先生に長年付き添ってきた。だから分かりますよ。先生にはしっかり中身がある!本物ですよ!先生の大好きなマトリョーシカだってそうじゃないですか?最後には中身がある!かなり小さいですけど」

 「え?かなり小さい?…でもありがとう。今思えば、私は今までそうやって、あなたに、佐山さんに勇気づけられて、ここまでやってこられたんだな…」

 「いやいや先生の実力の賜物ですって!私は本当に感銘を受けてきたんですから!」

 そう言うやいなや、佐山さんはどこからか爪楊枝を取り出し歯の掃除を始めた。無心に私を見つめる彼の目がなぜか少し怖かった。それから佐山さんはまた話し出した。

 「先生、実はですね?犬が居なくなって、本格的にやることがなくなったものですからね?実は、先生を目の前して言うのもおこがましいんですがね…」

 「なんですか?勿体ぶらないで」

 「あ、はい、すみません。実はですね…私も先生の見様見真似で…小説を書いてみたんです!いやなに、小説と呼べるほどのものではないんですがね。門前の小僧ですかね?習わぬ経を読んでみたんです…」

 「ほー!それは素晴らしい!是非とも読ませてくれたまえ、是非是非!」

 「本当ですか?ありがとうございます。いや、本当に人様にお見せできるような代物ではないんですが…。まぁでも、見ていただくなら、やはり先生に一番にみていただくのが最善かと」

 「そりゃそうさ!そんな話なら、なにを差し置いたって読ませてもらいますよ!当たり前です。それなら早速、今度コピーを送ってください」

 「あ、はい、ありがとうございます!実は、そんなこともあろうかと思い、今日コピーを持ってきたんです」

 「え?そんなこともあろうかって…それって最初から準備してたってことですよね?うん、まあいいや。佐山さんらしいや。昔から何事にも用意周到ですもんね。それで私も散々助けてもらったわけですから」

 佐山さんはすかさず鞄から書類を取り出し、私に手渡した。

 「お〜、これはこれは。なになに?タイトルは『一枚の絵』?お〜、これはこれは。おもしろそうじゃないですか」

 「ありがとうございます。先生を見習って、先生のお得意な劇中劇の構成にしてみました」

 「なるほど!それは読むのが楽しみだ。なになに?ペンネームは『佐久忠作(さくちゅうさく)』?」

 「あ、はい、僭越ながら先生にあやかって、作中作とかけてみました!」

 「素晴らしい!いやはやこれはたまげた。まさか佐山さんが執筆を始めるとはね」

 「はい、自分でもまったく予期していませんでした。これも一重に先生のおかげです。あ、ちょっと待って!今ここで読まないでくださいね?とてもじゃないですが恥ずかしくていられませんから…」

 「分かった分かった。じゃ、後でゆっくり読ませていただくよ。いやーそれにしても楽しみで仕方がない」

 その後、私たちはしばらくたわいもない昔話に明け暮れたが、ひとしきり話し尽くすと、佐山さんは何度もお礼の言葉を述べて帰っていった。


 私はとにかく佐山さんの原稿を早く読みたくて、何はさておき一目散に書類を手にし、我を忘れて作品に目を通し始めた。


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