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天使の十三階段  作者: 東風
プロローグ
11/11

11

 光陰は矢の如く過ぎ去り、紅顔の美少年を白皙の青年へと変容させた。

 ルカはたった一人で不条理な社会の歪みと闘ってた。処刑執行のための経費を王室に請求する度に、請求書の束の隙間に処刑制度廃止を訴える嘆願書を差し込んでいた。廃止が難しいのなら数を減らす様に、自分ら執行人に払っている多額の手当てを流行病で苦しむ市民の生活の補助に回せと、受け取った侍者が呆れる程の長文にしたためていた。

 一方で人体への理解を深めていったルカは、やがて貧しい人々に無償で治療を施す様になっていた。初めは治療を申し出ても追い返されたり、断られる事の方が多かった。だが陰で隠れて闇医者のように活動しているうちに、次第に人々の間で傷の治りの早さなどが評判になってゆき、富裕層や貴族も訪ねてくるようになった。

 ルカは金持ち相手には容赦なく高額の治療費を請求していた。そしてその金を、貧しい人々のための薬代にあてていた。

 月日は気弱で泣き虫だった少年を、したたかで博覧強記な若者に成長させた。

 もともと貧しくはなかったヴァンサン家であったが、ルカの医療技術が富裕層まで広まるようになると、貴族と変わらぬ程の暮らしぶりになっていた。

 それでもルカの表情は憂色を隠せない。処刑の数が一向に減らないのだ。

 祈祷所の片隅の机にいつものノートを広げてペンを走らせるルカのそばで、リィンは言い知れぬ不安を感じていた。

 最近、ルカの人体研究は不穏な方向に進んでいる。

 処刑された罪人の死体を解剖しているというのだ。

 罪人の中でも死体を引き取る身内のいない者を処刑後に持ち帰り、屋敷の中に造った手術台で解剖しているらしい。もちろん術後の死体は丁寧に縫合し、元の形にしてから共同墓地に埋葬しているというが、これは死後も肉体を保つ事に重きを置いている教会の教えに反する事になる。

 街の人々にこの事が知られれば、ルカは魔女の疑いをかけられることは避けられないだろう。そして、それは異端者として処刑される事を意味している。

 最適な治療を施すためには人体の構造を知る事が必要と言うルカの言葉はよく分かる。だが、できる事ならそんな恐ろしい事はやめて欲しかった。

「リィン、どうかした?」

 黙り込むリィンに、ルカが気付いて尋ねる。

 その瞳はどこまでも澄み切り、静かな熱意に満ちている様だった。

「…いいえ、なんでもありません」

 大丈夫、ルカの本質は出会ったあの頃のまま、何一つ変わってなどいない。

 リィンは不安を振り払うようにかぶりを振った。

 それからしばらくは何事もなく、穏やかに過ぎていった。

 ルカは一日も欠かさずリィンのもとを訪れ、ふたりは多くを語り合った。

 変化の乏しい日々をそれでもリィンは愛していたが、運命は確実に廻り始めていた。

 いつもの様に祈祷所を訪れていたルカが、去り際にノートを入れた肩掛け鞄を持ち帰るのを忘れて行ってしまった。いつも肌身離さず持ち歩いていたノートにはルカの研究の一切が記されている。万が一にも他人の目に触れれば、ルカの背教的な行為が知られてしまう。リィンはルカがすぐに気付いて取りにくるものと思っていたが、一日、また一日経ってもルカは現れなかった。

 ルカが何日も祈祷所に訪れない事など、これまで一度もなかった。

 言いようのない不安が押し寄せてくる。

 ルカに、何かあったのだろうか。

 一日や二日くらい、きっと気にすることではない。明日になれば、またいつもの様に扉を開けて彼はやって来てくれる。

 そう信じて待っていても、ルカが訪れる事はなかった。

 結界の中をぐるぐると歩き回り、ルカを探しに何度も結界の外へ出ようと考え躊躇し、また結界の中を徘徊することを繰り返した。

 五日目の朝、意を決して結界の外に足を踏み出した。

 ノートの入った肩掛け鞄を胸に抱え、暗い森の中を走って行く。

 ヴァンサン家の屋敷は静まりかえり、人気がまったくなかった。

 踵を返し、市街へ向かって走り出した。ルカが居そうな場所といえば、あのシェオル広場だ。

 橋の欄干の天使像に、一瞬怖気付き足が止まる。立ち竦んでいると、街の方から市民らしき男達が歩いてきた。

「すみません、ルカ・ヴァンサンをご存知ありませんか」

 息せききって尋ねると、男達は顔を見合わせて答えた。

「ヴァンサンなら、シェオル広場だよ」

「急がないと、終わっちまうよ」

 男達が口々に言うのを聞くと、礼を言ってまた走り出した。

 シェオル広場には、多くの市民が人垣を作っていた。人垣の中心に、櫓が組まれている。

 櫓には縄が括り付けられ、細長い人影が揺れていた。

 近づいて行くと、赤と黒の格子模様が鮮明になる。

 ルカが居た。

 吊るされて、揺れていた。

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