街歩きと謎の侵入者
いつのまにか朝になっていた。
よく寝たなあ。体の調子もすっかり良くなったし。幼女の看病のお陰かな。
その幼女はいま、わたしの隣で寝てる。いや変な意味じゃなくて、ベッドがひとつしかないからね?
幼女がまだ寝てるならわたしも寝てようかな、と思ったら起きた。ふにゃふにゃとあくびをして、わたしに抱きついてくる。かわいいなあ。でも嬉しそうになんか言ってるけど、なに言ってるのかわかんないんだよね。
幼女は大きな瓶から水を汲むと、たらいに水を張って顔を洗った。わたしも見よう見まねで顔を洗う。水は冷たいし洗顔料もないけど、とりあえず目は覚めた。
それから二人分の食器をテーブルに並べて朝ご飯。メニューは昨日食べたシチューの残りにパンがひとかけら。パンは乾いちゃってるせいで固くてあんまり美味しくなかったけど、幼女の真似をしてシチューに浸して食べたら結構いけた。さすが幼女。
食べ終わると幼女がわたしに着るものと靴を持ってきてくれた。シンプルな無地のブラウスにロングスカート。幼女に手伝ってもらいながら着てみる。サイズは大体ちょうどいいんだけど、ボタンをしめると胸がきつい。でもこれ以上大きいのはないみたい。やっぱりジャージこそが最高の衣類なんだと実感する。靴のサイズはちょっと大きいけど、これは許容範囲。
着替えが済むと、幼女に導かれて家の外へ出た。ここへ来たときは気を失っていたので、家の外を見るのは初めてだったりする。わたしはまぶしい太陽に目を細めながら、外への一歩を踏み出した。
「ここが異世界の町……」
なんて意気込んで出てみたけど、外にはなんにもなかった。
いや、正確にはあるけど、なんか物置みたいなちっちゃい小屋とか、背丈くらいに盛った土とか、畑とか、山とか。もしかしなくても、ここってめっちゃ田舎なのでは。いや、いいけど田舎。
幼女に呼ばれて小屋の前まで行く。なにこれ……なんか、臭いんだけど……。あっ、これトイレか。そっか、そうだよね。昔のトイレって臭いんだ。だから家の中にトイレがなかったんだ。
臭いを我慢しつつ、すっきりしたところで幼女に付いて家の反対側に出た。そこには、舗装こそされてないものの立派な道が通っていた。
あ、たぶんこっちのほうが表だ。さっきの裏口だったんだ。そりゃそうだよね、家の正面にトイレとかないよね。
道沿いにまばらに建つ家を眺めながら幼女と歩いていると、広い通りに出た。こっちは人通りもあるし、お店も開いていて少し賑やかな印象。町の中心部って感じだ。
幼女はわたしの手を引いて先へ先へと歩いていく。どこ行くんだろ。
もしかして、わたしを警察か何かに連れていくつもり……とか。っていうか普通そうするよねえ。わたしだって、たぶんそうする。
そうだよなあ、幼女が優しくしてくれたのって、わたしが行き倒れてたからだろうし、こうして普通に歩けるようになったら、わたしを家においておく理由なんてどこにもないんだよなあ……。
けど、言葉もわからないし力もないしこれといって特技もない。そんなわたしがこの世界で普通に生きていけると思う? もとの世界でもバイトすらしたことないのに。無理でしょ絶対。
ねえ、お願いだからわたしを見捨てないで。わたしにできることならなんでもするから……!
繋いだ手をきゅっと握ってこころの中でお願いすると、幼女が振り向いて、わたしに微笑みかけた。
『大丈夫だよ。ユーカのことはお姉ちゃんが絶対に守るから』
ユーカ? って誰――いや、まって!?
「えっ、あれ、いましゃべった!? ねえ、しゃべったよね!?」
確かにいま、幼女がしゃべった。しゃべったというか、日本語? 日本語だったよね? わたしに聞こえたってことはそうだよね?
「ねえ、わたしの言葉わかる? さっき日本語でしゃべったでしょ?」
何事もなかったみたいに先へ行こうとする幼女を引き留める。だけど幼女は少し困ったような顔をして首をかしげるばかりで、言葉が通じてるようには見えない。幼女の言葉もまたわからないものになっていた。
おかしいなあ。絶対さっき日本語で……。それとも、あれわたしの幻聴? 頭どうかしちゃったのかなあ。ってか、あの幼女、さっき自分のことお姉ちゃんって言わなかった? いやどう考えてもわたしのほうがお姉ちゃんでしょ。
いろいろと納得できないものの、幼女が手を引っ張るのでしぶしぶあとを着いていく。
悶々としながら歩いていると、幼女が一軒の店に入った。文字を読めないわたしでも看板に絵が書いてあればここがパン屋だってわかる。
「わーっ。いいにおい」
店のなかでパンの匂いを堪能する。でもあんまり種類はないみたい。食パンはあるけど、ツナコーンとかチョココロネとか、そういうのはなさそう。
幼女はまっすぐカウンターに行くと、店主に向かってなにか言った。たぶん、あいさつと注文、かな。
店主は幼女の後ろにいるわたしを見て、おや、って感じの顔をしたけど、幼女にうながされて後ろの棚から巨大なしいたけみたいな形をしたパンを持ってきた。
幼女がチャリンとお金を払い、店主はそれを受け取りながら、幼女になにか話しかけた。たぶんわたしのことだ。そう思ったのは、さっきから店主のおじさんがわたしのことをちらちらと見ているから。
幼女が嬉しそうにわたしを紹介すると、店主はぽかんと口を開けてあいまいな返事を返した。
なんだろ、その反応……わたし、なんかしました?
店を出ると、幼女はもと来た道を戻り始めた。結局、パンを買いに来ただけみたい。いろいろ考えちゃってた分、ちょっと拍子抜け。
異世界って言っても、わたしのいた世界とそんなに変わらないのかな。普通に買い物はするし、猫耳とかエルフみたいな人もいないし――と、思ったら、鎧を着て剣を持った集団が大きな建物から出てきた。
なにこの人たちっ!? あ、もしかしてもしかして、冒険者みたいなあれかな!?
よく見ると、建物もなんかそれっぽい。冒険者ギルドみたいなやつ? やー、あるんだ、やっぱりそういうの。それにしても、剣とか弓とか、近くで見ると結構威圧感あるなあ。後ろのひとは若いのに立派な杖なんか持っちゃって、ひょっとして魔法使い?
だとしたら……世界転移の魔法を知ってる人もいるのかもしれない。帰る希望が少しだけわいてきた。
でも、今日はやめとこ。言葉もわからないから聞きようがないし、さしあたって命の危険があるわけでもないしね。
なんて考えてたら、さっきの大きな建物から見覚えのある二人組が外へ出てきた。
ん? わたしに知り合いなんているはずが……いや、まさか、うそでしょ!
熊と蛮族に襲われた記憶がフラッシュバックする。
「あ」
目があった。大斧と大剣をかついだ二人組が、のしのしとこちらに向かってくる。間違いない、あのときの二人だ。
ひえっ、逃げなきゃーー!
しかし幼女はわたしの手をがっちりとつかんで離してくれない。さらに、あろうことかこの幼女、蛮族に手を振って呼んでるじゃないか。
だ、だめだ、隠れなきゃ――焦ったわたしは幼女の背後にうずくまった。
やがて、聞こえてきたのは……フレンドリーな笑い声。……ん?
恐る恐る顔を上げてみると、幼女と蛮族がにこやかにお話をしているではないか。
……お知り合い? あれ? もしかしてこの人たちって、悪人だと思ってたけど、意外といい人だったりする?
幼女がわたしを紹介すると、二人の蛮族は顔を見合わせて爆笑した。
な、なんだあ? ひとを見て笑うなんて、ケンカ売ってるのかあ? ……買わないけど。
顔が怖いのでなるべく目を合わせないように幼女の後ろで待っていたら、話が済んだらしく蛮族たちは去っていった。
考えてみたら、あの人たちってわたしの命の恩人ってことになるのかなあ。お礼くらい言っておけばよかったかもしれない。
帰り際、立ち寄った果物屋さんで幼女がリンゴを買った。重そうだったので、それはわたしが持つことにする。リンゴの入った袋を受けとりながら、わたしだって少しは役に立つんだから。心の中でそう思ったら、幼女が頭をなでてくれた。人に見られてちょっと恥ずかしいんだけど。
家に帰ってから、幼女と一緒にリンゴのジャムを作った。できたジャムはすこし酸っぱかったけど、自分で作ったのだと思うと市販のジャムなんかよりも何倍も美味しく感じられた。
そんなこんなで、何日か過ぎた。
……いや、べつになんにもしてなかったわけじゃなくて、ちゃんと掃除とか留守番とかしてたし。料理だって、少しは手伝えるようになってきた。
外にはあんまり出てない。というのも、幼女と一緒にいると、幼女の知り合いらしき人から変な目で見られるんだよね。なに言ってるのかもわかんないし、あんまりいい気はしない。嫌われてるっていうのとは違うと思うんだけど……なんていうか、かわいそうに、みたいな感じ。
幼女はときどき山に出かける。キノコとか山菜とか、食べられるものを採ってくるみたいなんだけど、わたしを連れていこうとしたことは一度もなかった。わたしとしては人に会うんじゃなければ付いていってもいいんだけどな。
今日も同じように、幼女はひとりで出かけてしまった。初めて会ったときと同じ、茶色の頭巾をかぶって。
一度山に行くと2、3時間は帰ってこない。その間にわたしは部屋の掃除をすませて、ついでに自分の体もきれいにするのが習慣になりつつあった。
ここでの暮らしで何が一番不満かっていうと、それはお風呂がないこと。この家にお風呂がないだけかと思ったら、そもそもそういう習慣がないみたいでびっくりした。昔の人はお風呂に入らなかったって聞いたことがあるけど、まさか自分がそれを体験することになるとはね……。
それでも一応、何日かに一度、お湯と濡れタオルで体を拭くみたいなことはするんだけど、一緒にいるのが幼女とはいえ人前で裸になるのが気恥ずかしくて、いつも雑に終わらせてしまう。そのせいなんだけど、あとで落としきれてない汗のにおいが気になったり、べたべたして気持ち悪かったりする。
だから、ひとりになれるこのときに思いっきり体の汚れを落とすんだ。
お湯を沸かして、たらいに移し、カーテンを閉めたのを確認して、上だけ服を脱いで裸になる。
うん……腋の下とか、ちょっとやばいよね……。肌をこすりながら、ボディソープとかあればいいのに、なんて思う。あとシャンプーも。シャワーも、一番はやっぱり湯船かなあ。
がちゃり
ドアが開いた。え?
入り口とわたしとの間には何も障害物がない。だって誰か来るなんて思わなかったもん!
隠す間もなく、無情にもドアは開かれた。
「きゃあーーーーーー!?」
ドアを開けたのはわたしと同じくらいの年頃の、たぶん女の子。
わたしの悲鳴に驚いたみたいで、慌ててドアを閉めた。
もーー! いきなりひとの家のドアを開けるなんて、なんなの、っていうか誰!? 全部みられた! 恥ずかしいやら腹が立つやらで顔が熱い。
頭真っ白のまま急いで服を着て、倒れるようにベッドに顔をうずめる。
もう、無理……。末代までの恥……。
コンコン、とノックの音。無視。またノック。無視し続けていると、勝手に入ってきた。
侵入者をじろりとにらむ。髪は短いけど、やっぱり女の子だったので、そこだけはほっとした。だけど、この格好……軽装だけど、この前見た冒険者の人たちみたいな。
じろじろと不躾に全身を眺めていると、女の子は顔を赤くしながらわたしに話しかけてきた。
あー、うん。
いや、なに言ってるのかわかんないんだけど……。こんなときに限って幼女もいないし、こまった。どうしよう。