第九話 鉱物の惑星アトランティス
恒星アルビレオを太陽とし周回軌道上にあるこの惑星は、後に副船長アルフによってアトランティスと名付けられる。
それはこの惑星と船が接触した結果、本来の最終目的地である地球近似惑星シクス522cまでの航宙が難しくなったことに由来する。
副船長アルフの命名式は簡潔に。しかし好意的に。そしてやけっぱちになった船員全員――船長と不在の者を除く。の満場一致で受け止められることになる。
最古参の船員が搭乗してから一年後。
二年前から経路運搬宇宙船ドリームランド号で宇宙遊泳士として主に整備士の補助をしていた彼女が、およそ二年ぶりに足を踏み入れた大地――アトランティス。は鉱物の宝庫であった。
彼女は傍から見ると、とても太って見えた。
人体と、それをアシストする機構が組み込まれているために大きく膨らんだオレンジ色の耐真空パワードスーツを着用しているからだ。
その外見から”ファットマン”と、船員に呼ばれている。
――彼女の名誉を守るために……。ファットマンの中にいる彼女に向かってファットウーマンと呼ぶものは、少なくとも船のなかにはいない。
耐真空パワードスーツは、通常の地上用パワードスーツとは違い。気密性に優れ、液体人工筋肉から旧式の弾力に富んだシリコーンの人工筋肉へと置き換えられている。
自重の三〇〇倍の重さを持ち上げることも可能にしていた。
そのため、自己修復する液体人工筋肉とは違い。シリコーン製人工筋肉には自己修復機能はなく、また、走行速度も時速八〇kmを限界としている。
しかし、無重力空間において走ることになる事態は多くなく。おまけに、比較的高価である着用者の負担軽減を目的とされているパーツのいくつかは取り外されていた。
彼女が立つ場所は現在、恒星アルビレオの陽が当たる面とは外れている。
そのため、耐真空パワードスーツのヘルメット上部に備え付けられている二対のライトが中にいる彼女の助けとなるべく、前方を明るく照らしている。
照らされた地面は、青、赤、黄、白、緑、紫、藍、銀……。と無秩序に多彩な色を散りばめられ、不自然なほど高低差が少なく、一塊の大きな鉱石や氷が小高い丘を作っている以外はほぼ平らな様相を呈している大地を形成していた。
小石の代わりにダイヤモンやオパールなどの宝石から、ボーキサイトなどの鉱石が転がっている。
彼女はそれを、ヘルメット内部に緑色で投影されているラベリングされた情報によって知った。
ラベル以外にも速度を表す欄が独立して表示され、時速〇kmと表示されていた。
耐真空パワードスーツの脛当たりから下は細かな黒い物質で覆われている。[磁鉄鉱]とラベルが貼られた。
彼女は左腕を上げるとそこには幾つかのスイッチが並んでいる。そのひとつを押すと細かな黒い物質がサラサラと地面に落ち、足は元の明るいオレンジ色を取り戻した。
ラベルも剥がされる。
船の回転によって生まれる人工重力では地球と同じようには求心加速度を得られず、その不足分を補うよう利用されている耐真空パワードスーツ付属のマグネットブーツは肉体の筋肉量を正常に保つために必須の装備だ。
その磁力により引き寄せられた磁鉄鉱のパウダーは金属鉱物の存在さえも証明していた。重力の存在も。
彼女は大きく腕を広げると、足元の惑星を抱きしめるように閉じた。
「……はぁ。気分は最悪だけど認めてあげる。私、ここに住みたい!」
男性なら誰もが聞き惚れる声で彼女が呟くと。
内蔵された無線通信装置が声に反応し、自動的に船に居るオペレーターへ無線通信の経路を繋げる。
同時に、その事を知らせる電磁気特有の音を発した。
「……私の馬鹿」
”聞こえてますよ、お馬鹿なパルミラ。今更、切ろうとしても無駄ですからね。とっくに優先状態で固定しましたから”
明るいオレンジ色の耐真空パワードスーツを着用している少女――パルミラは舌打ちし、自らを罵倒した。
直後、通信装置から落ち着いた女性の声が流れる。
パルミラが移住希望宣言をした直後、失態に気づき左腕のスイッチ群に向かって右腕を伸ばそうしていた。
だが、耳元から囁かれる声に両腕は天を仰ぐ。
優先状態にされる前ならば、再び静寂を取り戻すことは容易であった。しかし、後では困難を極める。
耐真空パワードスーツの構造上――管理する者の都合上、一度は脱がなければならなかった。
想定される用途の使用中は、着ている者をコントロールしようとする意思が設計から完成までのどこかの段階であったのだ。
「帰らないからね……まだ」
”戻ってもらいます、今。……ねえ、パルミラ。船の外に出てもカイは喜ばないと思うの。傍に居たほうが良いんじゃないかしら”
「……それでどうするの? 傍にいてずっと手でも握ってればいいって? そうすれば死ぬ間際までカイは喜ぶって? ユェン。だとしたら貴女はカイのことを知らないわ。私のことも」
”ええ、そうね。私はこの馬鹿みたいに硬い椅子にずっと座って、皆のスケジュールを調整しながら楽しくお喋りするだけ。貴女達と違って、誰かと親密になる時間なんてないもの”
「……。ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったの」
”あら、私は今の仕事に満足しているのよ? お喋りは好きだし。でも、今はそうする時でも状況でもないとも思っているの。パルミラ。どちらも最悪よ?”
ユェンの声には少々の苛立ちが含まれていた。
「皆に迷惑掛けているのはわかってる……。心の底から申し訳ないと思ってもいる。でも、わかるの。今のカイの体に魂がないって。誰もやろうとはしないなら、私が見つけなきゃ……」
”とても素敵。真実の愛ね。ああ……、地上に舞い降りた天使のように美しい顔と地獄の悪魔の顔を持つ心清らかな少女パルミラ。愛する王子の魂を救うためいざ旅立たん。ららら~」
「茶化さないで。私は真剣なんだから」
”ふざけたくもなるわよ。貴女がどこに見つけにいくのか知らないけど、それでもカイの体は船にあるんだからそこで手段を見つけるべきね。アピーやアルフ達だって精一杯のことをやってるんだから。……あっ、そうそう。アルフから伝言を預かっているんだったわ。
_気が向いたら倉庫室に来てくれると嬉しい。後悔しないように_、ちゃんと伝えたわよ”
「返事は伝えなくていいわ」
そっけなくパルミラ返答した。
ユェンの言葉以上にパルミラの顔は美しい。そして醜い。
透明なポリカーボネート製のヘルメットの中にはある種の非現実的な美しさがあった。
淡いピンク色の瞳は枯れた老人にさえ精気を取り戻させ、ふっくらとした形の良い唇は洗練された紳士さえも野獣に変貌させる。
完全な美の体現者。男を惑わすために生まれた女。
誰もが手を触れることすら躊躇し、男性なら誰でもその美しさを独占したいと願う美をパルミラは持っている。顔の右半分は。
普段は長いプラチナブロンドの髪に隠されている顔の左側は焼けただれ。思春期の少年でさえ、一目見るだけで老婆さえも魅力的な女性に映るほどの醜さだった。
”はぁ……。言いたくはないけれど。貴女がこれから無駄にするであろうエネルギーで、外殻なら七%分は修復完了するのよ。今すぐ戻れば影響は小さいし、他の皆も貴女の勝手な行動を許してくれるのよ?”
「……相変わらずね、ユェン。この分じゃ私がモニターで、この星の中に吸い込まれるカイを見た。って言っても信じないわね」
”答えはもちろん。私はその映像を見てないし。でも見た人に話は聞いたわ。皆、映像の乱れ(ノイズ)だって。参考にすることをオススメするわ。それに私も魂の存在は信じているけど、もっと神秘的だと思っているもの”
「私にはそう見え――ったわ」
パルミラは[ダイヤモンド]とラベルされた小石を蹴り飛ばすと、その勢いのまま走り始めた。
細かな駆動音が鳴り、待機状態だった耐真空パワードスーツは走行アシストを自動的に開始した。
走り始めてから五秒もかからずに陸上におけるトップアスリートが、その突出した才能とたゆまぬ努力によってようやく得られる速度。時速四〇kmにやすやすと達し、それを確認したパルミラは加速をやめ、代わりにその速度を維持することに注意を割いた。
各種負担軽減パーツを取り外したことにより、時速四〇kmを超えると肉体の負担が無視できなくなるために。
足が地面を踏み込む度に金属製の靴底に接触した脆い鉱物は破壊されていく。
だが耐真空パワードスーツの中に響くのは、微かな破壊音とパルミラの平時と変わらない呼吸音。そして、自身が上げる小さな駆動音だけだった。
”……もしかして走ってる?”
「ええ、あんまりノロノロしてると連れ戻されそうだから。そうよね?」
小さいとはいえ、走れば音は増す。
すぐに気づく程度には、ユェンの経験は豊富だった。
”もしかして船から離れてる?”
「正解よ。賞品をあげなくちゃね」
ユェンは質問に答えなかった。
パルミラの位置から船は見えない。
遠く離れているから。というわけではない。光源となるものが船の外殻にはなかった。
陽の光が届かない暗い空間。その風景に船は完全に溶け込んでいた。
”結構よ。他の船員がいくつか鉱物を集めるから。私のためじゃなくて船長のためなのが癪だけど。……はぁ。だから最初から無理だって言ったのに”
「当てましょうか? 多分、レオニードね。私と一緒に修復に出る予定だったから。その子に私を連れ戻させようとしてたんでしょ? アルフが伝言と一緒に貴女に頼んだのね」
”はいはい、正解よ”
返答してからもう一度ユェンはため息を吐いた。
”……船から出してしまった時点で私は、どうせ何言っても無駄なんだから好きにさせたらどうかって言ったのよ? だけど、努力はしてみるべきだーって”
「ふふっ、アルフらしいわね」
”そうね。そんなところが可愛いんだけど”
パルミラは顔の左半分を覆う火傷跡のせいでうまくは笑うことはできなかった。
それでも二人はほんの束の間、アルフを肴に笑いあった。
”……それで、貴女は本当のところどうしたいの。さすがに何時間もこんな素敵な星を独り占めさせることなんてできないわよ? 後で他の女性船員に恨まれても、私知らないから”
「私が行きたい場所は一つだけ。そこに行っても何もなかったらすぐに帰るつもりよ。あの――」
”クレーターね”
ユェンは答えを先回りした。
「あら、よくわかったわね。……わかってるなら聞く必要ないじゃない」
”まあね。貴女は星の中に入りたいみたいだし、この星の地下に繋がってそうなところといったらあのクレーターしかまだ見つかっていないわ。あの付近だけ妙に温かいらしいから大きな亀裂くらいはありそうね。きっと、内部のマントルが昔落ちた隕石に刺激されて地表近くにマグマが上っただけだと思うけど”
「付け加えるなら意識転写型遠隔掘削ロボット(ゴースト)がある場所も行きたいけど、あの壁をどうにかできそうにないから諦めたわ。それで、道は合ってる?」
”ええと、ちょっとまって”
「……いきなり協力的になったわね」
”さっさと終わらせたほうがエネルギーの節約になるからよ。合理的判断は私の得意科目よ? ……はい、どうぞ”
そいうと電子音がパルミラの耳元で鳴った。
彼女の目の前。正確には透明なポリカーボネート製のヘルメットに緑色の記号と線が投影される。――ラベルは一掃された。
船、パルミラがあると思われる場所には人型と錨の記号によって分けられて表示され、船を中心に半径7kmの大まかで丸い地図の内に収められていた。
パルミラが走り出してから地図を貰う短い間に。彼女は船から三kmから四km程離れていた。
「どうぞって……肝心のクレーターの場所が映ってないじゃないの!」
”船長はデータをあんまり見せてくれないし、教えられた情報からなんとか作り上げたのよ。でもこれじゃ不便よね……”
再度、電子音が鳴ると。地図の大きさは先程までの五分の一まで縮小され、上部に生まれた空白には緑色に塗りつぶされた”丸”とお化けを模した記号が追加される。
パルミラを示す人の形を模した記号から点線で”丸”まで繋がっていた。
”その丸いのがクレーターよ。大体、船から三〇km先ってとこかしら。貴女の最高速度だと大体二〇分ぐらいで着くはずだわ。帰ったらみんなにお礼言うのよ? 私だけで作ったわけじゃないんだから。あと謝罪もね”
「……ありがとう。みんなにも」
少しの間、どちらとも言葉を発しなかった。
”……やっぱり止めない? 無事に着いたとしてもなにも見つからない可能性のほうが高いのは、貴女にもわかってるでしょ? ね? お願い”
「うん……。でも。私のわがままだから。私の決断だから。どんな結果になろうともみんなのことを愛してるわ」
”……そう。なら、私が言うことはひとつしかないわね。……頑張りなさい、おバカなパルミラ”
パルミラは微笑んでいた。
それからもう一度、短く感謝の言葉を伝えると速度を上げた。※
時速五〇kmを超える。もう既にパルミラの足は悲鳴を上げ始めていてもおかしくはない。
六〇、熱を帯びていた膝が痛みを訴えていることだろう。七〇、毛細血管が負担に耐えきれず破れ、彼女のスラリと伸びた足を徐々に赤紫色に染め始めているのは想像に難くない。
そして、最高速度である時速八十kmを越え……八十一……八十二……八十三kmを記録したところで加速することはなくなった。
時速八十三kmを速度を維持したまま彼女は走り続ける。
その姿は走るという言葉には収まりきれず、跳ぶ。最高速度に届く頃には飛ぶと表現するものに相応しいものとなっていた。
時速四〇kmでは抑え込まれていた粉砕音が耐真空パワードスーツの中に反響する。
脆い鉱物だけではなく、人の手で扱う事ができるハンマーで粉砕出来る程の硬さしか持っていない鉱物は容赦なく細かな破片に変えていき。
彼女の後方に、足跡と色鮮やかな砂埃を残していった。
すなわちそれは、パルミラ自身への負担がそれだけ増大したことを示している。
耐え難い苦痛が彼女の体内をかき回し、生存本能が懸命に停止を促しているはずだが、どのような声も喉から先に漏れることはなかった。
未だ、通信を切断していないユェンに対する彼女なりの配慮かもしれない。
瞬きもせず見開かれた目は血走り。噛み締めた唇からは血が流れ落ちる。
額は玉のような汗が何十と浮かび、走ることによる振動と重力に従い落ちてゆく。
いくつかは見開かれた目に入るが、その程度では彼女が感じているはずの苦痛とは比べようもなく、閉じることすらなかった。
地表のどの鉱物よりも硬い意思がそこにあった。
アシストにより自動的に動かされてるとはいえこの速度だ。足の筋肉はあっという間に焼け付くような痛みを訴えているだろう。
しかし、やはり彼女はうめき声ひとつあげない。
一歩を踏み出すごとに足裏からはあまりの衝撃の強さのため、骨が砕けちりそうに感じているはずだ。
取り外される事無く残されたスプリングと衝撃吸収ジェルを内蔵していなければ、彼女の足はとっくに軟体動物と同じ柔軟性を得ていただろう。
それどころか折れた骨が皮膚を突き破り、足元に血のプールを作り出すこととなっても不自然ではなかった。
機械部分と肌の間に保護シートがあるとはいえ高速の振動を抑えきれずはずもなく。摩擦熱が生じ、彼女のきめ細やかな肌をいくつも焼き続けていることだろう。しかし彼女は涙さえ流さない。
その目は前方の地表とクレーターの記号である”丸”だけを睨みつけていた、
パルミラはただ機械に身を委ねているわけではなかった。
時折、進路上に現れる氷や鉱物の壁を避けるために操作をしなければならない。
高速で動く物体が障害物にぶつかったとき。中にいる者がどうなるかは想像に難くなく。
そうしなければ、とっくに彼女は死んでいた。
彼女は耐真空パワードスーツに速さを求め、代わりに内外問わず体を焼き。
耐真空パワードスーツは彼女に操作を求め、代わりに命を与える。
耐真空パワードスーツ内部の機構が激しく動くことにより生み出される熱、彼女自信から発される熱は蓄積されることはなく。
熱電変換デバイスにより耐真空パワードスーツの電気的エネルギー源となり、中の温度を無慈悲にも一定に保ち続けた。
パルミラの要望通りに持ち得る機能を発揮し、その対価として筆舌に尽くしがたい痛みを与え続ける。
公平な取引であった。
十八分後、パルミラは速度は通常の歩行と同程度まで落ちてた。
痛みに屈して速度を緩めたわけではない。目的地であるクレーターに到着したのだ。
頬は過度のストレスを受けたためかコケて見え、生気に満ちていた顔は幽鬼のように青白い。それでも彼女の美しさは損なわれてはいない。
彼女はどこまでも美の体現者、そのものであった。――やはり半分に限られるが。
そんな彼女の目には、先程までとは全く違う光景が映し出されている。
中心から円状に大きな穴を広げている直径2kmから3kmのすり鉢状のクレーターがそこにあった。
アトランティスの表面には大気は薄く、ゆえに元となった隕石は火球となることもなく焦げ跡もない。
外周部から中心部に向かって段階的に深さを増しており、如何に破壊力を有していたのを中心にある深い穴によって物語っていた。
クレーター周辺は多少盛り上がってはいるものの、パルミラの障害になるほど高くはない。
だが、クレーターの外側には様々な形をした土の塊が数えるのも馬鹿らしくなるほど転がっており、守るようにを満遍なく包囲していた。
――未だにラベリングは動作を停止されており、それがなんの塊かは正確にはわからない。便宜上、土の塊とする。
土の塊は大きさも様々であり、指の先ほどからパルミラより大きな物もあった。
それでも、彼女は歩き続けた。
彼女の体と精神が通常の状態ならば、きっとその景色の異様さに戸惑い。足を止め観察するだろう。
しかし、パルミラにそんな余裕はないのか。大きく傷ついたその体は、機械によるアシストに大きく依存していた。
進路を塞ぐ大きな土の塊を避け、小さな土の塊は踏み砕き――踏み砕かれた土の塊から青色の小さな小片が転がり落ちると、磁石のようにいくつも彼女の足に張り付いた。
クレーターの外周部にたどり着く。
そこにタイミングを見計らったように通信が入った。
”……聞こえる?”
ユェンが探るように話しかける。
船から遠く離れたせいか、雑音が混じっていた。
”……お願い。返事をして”
懇願するような囁き声だった。
「ギコえ゛、ルわヨ」
苦しそうに咳を混じえながらパルミラは答えた。
異性をどこまでも虜にする声は失われ、掠れただみ声に変貌していた。
彼女の左半分。焼けただれた顔に相応しく醜い。
”ああ、可哀想なパルミラ……。だから言ったのに……。いいの。もう喋らなくていいの。聞いて。ちょっとだけど、良いことがあったわ”
ユェンは悲痛な声を出した。
返事の代わりにパルミラは咳をして促す。
”貴女はすぐに飛び出したから知らないだろうけど。カイが意識を失った後、すぐに取り付けられていた人工呼吸器は使い物にならなくなって……。あ、まだ大丈夫だからそのまま静かにしてて。続きはちゃんとあるんだから。貴女のそんな声はあまり聞きたくないの、ごめんなさいね。悪いようにはとらないで。聞く度に胸が締め付けられるの……”
動揺し、口を開けかけたパルミラの気配を察したユェンは制した。
”……いい子ね。カイはまだしばらくは大丈夫そうよ。アピーのおかげ。話は長くなるから、貴女が帰ったら話すわ。だから……無茶だけはしないでね。お願いよ”
パルミラはまた咳で返事をした。どちらにも取れそうな。
”信じてるから。……もし、戻れそうにない状況に陥ったなら早めに教えなさいね。私達がなんとかするから。……それじゃ”
名残惜しそうにユェンは通信を終えた。
※
パワードスーツは人体の強化と保護を目的に作られている。耐真空シリーズは着用者の負担を軽減することにより10時間、外部からの供給なしで呼吸が可能としている。
外見は詰め込まれた補助アシストの機構によって人型を保ちながらも大きく膨らみ、耐候性ゴムの飛膜に覆われている。
そのため”ファットマン”などと蔑称を付けられることもあった。
その用途は制作に掛かった費用と同じく多岐に渡る。
戦地・災害の発生地点から素早く退避・人命救助をすることもそ、の想定された内に含まれている。
より差し迫った緊急時には着用者が望む場合に限って、敢えて人体にかかる負担を機械が忘れる事もできる。
それによって人体に損傷を負おうとも、助かる命が増えることを願って。