第十話 クレーター
クレーターの縁からパルミラは、小走り程に速度を上げていた。
二度ほど、大きく下がった地面に苦労を強いられながらも。二十分後、中心部に到着する。
空中に漂う塵などを集め、少し体積を増した青い小さな小片を足にいくつも引っ付いていることには、未だ気付いてはいないようだった。
耐真空パワードスーツの内部は彼女の痛めた箇所が熱を持ち、周囲の細胞を道連れにしないよう摂氏四℃まで下げられている。
おかげで彼女のふっくらと整った赤い唇は薄い青紫色に変色してはいたが。それもまた、彼女の魅力を引き立てていた。
寒さで感覚が鈍った為か、目にはゆとりが見て取れるまでになっていた。
パルミラ自身の動作は鈍いものの、小走り程度の衝撃では苦痛のため脂汗が出ることもなくなっている。
彼女は歩を進め。中心に開いている穴を恐る恐る覗き込むと。
時を置かず、悪漢に人目が少ない路地裏の暗闇へ引きずり込まれるよう、彼女の体が穴に吸い寄せられていく。
つま先立ちになっている姿はより強く、悪漢の存在を現実感があるものとしていた。
「はぁ?」
思わず驚きの声をあげた彼女の唇からは塞がっていた傷が開き、丸い血の玉がぷくリと生まれる。
耐真空パワードスーツは着用者の異常を感じ取り、いくつかのアシストを自動的に起動する。
背中の一部がパカリと開き、鉤爪が付いたロープを地面に向けて射出。それ以上の前進と浮きあがる力を抑え込んだ。
マグネットブーツの底から1平方cmあたり三十個の小さな棘を生やす。摩擦力を飛躍的に増大させ、彼女に後退する猶予を与えた。
棘を生やすのと同時に、強い磁力も起動させた。が、それは何の効果もなかった。
数秒後、パルミラは穴から数m離れた地点で息をつかせながら立っていた。
異常が去った時点で、アシストは元の状態に戻っている。
彼女が覗き込んだ直径七mの穴はユェンの予測とは違い、マグマによって周囲が暖められているわけではなさそうだった。
ただ暗く、暖かく力強い風を噴出させていたのだ。
耳をすまさなくても、ビュービューと唸る風の音が鳴っていた。
風の音はパルミラの耳にも届き、不審な目つきで穴を睨みつけると。スイッチ群から目的のアシストを起動した。
主に船の亀裂を特定するときに重宝されるサーモグラフィーとウィンダーだ。
通常二つは1セットとして扱われている。その方がより素早く該当箇所を発見できるからだ。
サーモグラフィーにより穴の上は温度が高いこと示す赤色に。ウィンダーによりどのように巻き上がっているかを色の濃淡でヘルメットに映し出されていく。
最初は薄い赤い霧のような描写しかされなかったが、情報を集め終わる頃にはよりはっきりと色が濃く描写されていった。
赤い風の渦は地上から数十m上空まで続いており、頂点まで達すると円状に拡散し、惑星アトランティスの薄い大気に下りながら溶け出している。
確認した彼女はサーモグラフィーを停止しようとした手の動きを止めると、赤い風の渦を出している穴とは別の方向に顔を向けた。
穴は一つではなかった。
穴というよりは裂け目といったほうが正確なものの方が多いが、両手では数えられないほどある。
幅三cmにも満たないものから、二~五mの亀裂が数十m続いているものまで様々であった。
更には温度が低い事を示す濃い青色の、ティッシュの端をつまみひねりを加えたように先細りしながら穴に吸い込まれている裂け目や穴までも。
大きいもので直径三m以上はあった。
頭ににある二対のライトで限られた視野しか得られず、見逃したとしても仕方ないのかもしれない。
温度が高い赤い渦は上へ。温度が低い青い渦が下に向かっていくという法則があるが、現時点ではその意味を汲み取れる者はこの場にはいない。
それでもパルミラは思うことがあったのか首を傾げながら、今度こそサーモグラフィーを停止した。
次いで、超音波探査機を起動する。
簡易的だが、地中に埋もれたものや廃棄された坑道等の構造を知るために使われるものだ。
右手を翳すと、オレンジ色の皮膜に覆われた手のひらの一部が切られたように開き、微細に振動するスピーカーのようなものが露出する。
パルミラは腰を落とすと耐真空パワードスーツの手を地面にを押し付け、しばらくその体勢を維持し続けた。
ぴろりん。と軽快な音が鳴るとパルミラは立ち上がる。
ヘルメットには擬似的な3D画像が彼女を出発点とした円錐型の地下三kmの断面図として映し出される。
それをみたパルミラは不安と希望が混ぜこぜになったような顔つきをした。
地下にはモグラの通り道のようにいくつもの空洞が形成されている様子であった。
鉱物は隕石と地面との衝突によって生じる衝撃石英と隕石の主成分だと思われる隕鉄以外は少ない。――正確には断面図の端にあるのだが、押しのけられるように置かれている。
更には、不思議なことにカイの調査では得られなかった地下1kmの境目を越えていた。
地下三km下には大きな隕鉄の塊……そして、それよりも遥かに広いと思われる空洞の存在がパルミラの前面に映し出されている。
カイが意識転写型遠隔掘削ロボット――ゴーストに意識を移し操作して得られた情報では、地下1km先までは多種多様な鉱物と思われる物質でギッシリ隙間なく埋め尽くされていた。しかし、1km先はどうやってもわからなかったのだ。
それでも豊富な鉱物資源の存在を知った時の船内は湧いていた。
感涙の涙を流しながら崩れ落ちる船長。色めき立つ船員。そして、思考に耽る副船長アルフ……。
本来の目的を果たせない以上、何かしらの成果が船員……特に船長には必要であった。
地球にある資源でもまだしばらくは十分に統一政府とその国民を支えられるとはいえ、追加の資源があって困ることはない。
パルミラは少し考え込む素振りをすると、通信を再開する。
「ユ゛ェン?」
”――した――。な――助け――――の”
雑音が激しく、ユェンの言葉は意味をなしていない。
パルミラは左腕のスイッチ群を操作し、信号強度を上げた。
「……どう? こ、これで聞こえる゛かしら」
”良好よ。それでどうしたの? 助けが必要なら送るけど……。あと、ダミ声はマシになったようだけど、少し変よ”
「い、いらない。モ゛ニターしてるんだから、全部わ゛かってるでしょ……。死ぬほど寒いのよ。で、どう? ちゃ、ちゃんとデータもそっちに届いてる?」
”ええ。全部じゃないけれど、穴が空くほど見張ってるんだから。見逃してたら空きすぎて壊れてるわね。これ”
バンバンと機械を叩く音が無線通信機から流れる。
パワードスーツは都度、着用者の体調や得た情報を圧縮し船へ送っている。
プライバシーポリシーにサインをしなくとも、着用した時点で同意したとみなされる。
それは、いくつかの機構を取り外された耐真空パワードスーツ-ドリームランド号特別モデル廉価版-でも変わらない。
しかしながら、随分前にパルミラが着用しているパワードスーツのカメラの一部は故障を起こしていた。
船に送る情報の中で唯一視覚的情報は遮断されていることになるが、緊急性もなく、替えの部品も送られてこないのでずっと放置されている。
”……またみんなが騒ぐわね。少なくとも貴女が押し通した事に意味がないとは言えなくなった。そう知っているから、わざわざ念を押しに貴女から通信をしてきたんだろうし”
「まあ゛ね。こ、この星の下にはな゛にかある。そんな゛予感が貴女にもしない?」
”調子に乗らないで。アルフに判断を仰がなければならないけど。おそらく……いえ、確実に優先順位はまだ最低なまま。貴女のおかげで修復が遅れてるから”
「な、なら、私飛び込む゛」
冗談っぽくパルミラは返した。
”……え? 今なんて? ごめんなさいね。やっぱりまだ雑音が酷いみたい”
雑音は軽減されてるとはいえ、無線通信から流れる音質は悪く。それにパルミラのダミ声も合わさった結果。
どちらか判断がつきかねたのか。ユェンは雑音のせいにし、聞き流そうとする。
「私が正しい゛んだって、証明してあげる゛」
”ちょ、ちょっと待って……。ど、どうしてそうなるの……”
「そ、そっちも寒いみたいね。心配しないで。さっきから゛、あ、あんまり痛くないの゛。……治ったわ!」
パルミラが拳を天に突き上げると、その顔は苦痛に歪む。
だが、やはり声となり外の世界に現れることはなかった。
このジョークにシリアスのスパイスは合いそうにはない。
続けて、”私に無茶をさせたくなけ――”と言いかけたとき。
被せるようにユェンが喋ったおかげで彼女は続きを言うことが出来なかった。
”そんな事あるわけないじゃない……。もういい、十分。我慢の限界よ。そこでじっとしてなさい、救援を送ります。貴女まで失うわけにはいかないから”
ユェンは料理が苦手に違いなかった。
パルミラの目の中にあったゆとりが消失した。
「……カイにまずい事が起きてるの゛ね?」
”……こんな時だけ頭が回るんだから。まだ、大丈夫。……だけど、そう長くは保たないってアルフが。アピーの案では僅かに時間を稼ぐのが精一杯だったの。その証拠に、カイにはチアノーゼの症状が現れだしてる。今のところはアルフとアピーだけが気づいているわ。あと、私と貴女。貴女に伝えて欲しくて私に教えたの。でも、正直言ってそんなことしたくはなかった。貴女が無謀なことをするかもしれないから”
沈み込むようにユェンは語った。
つまりは、今のパルミラと同じようにカイの体の一部は青紫。または、青黒く変色し始めているということだ。
彼女は温かい場所に移動すればすぐさま回復するだろうが、カイには奇跡が起こらなければその可能性は低いという違いは除いて。
「時間は?」
「一時間から三時間ってところ。でも、正確なところはわからないわね。正規の医師なんてこの船にはいないから……。今、貴女のところに二人向かったから大人しく待ってなさいよ」
「わ゛かった」
「ああ。よかった。無茶しないか心配だったの。私からもアルフに優先度を上げるように頼ん――」
真剣味を帯びた表情を貼り付けるパルミラはあらゆる面において端的で無駄が少なかった。
未だ投影されている3D断面図を凝視すると、ヘルメット越しにあるモグラの巣を触る。
そうすると、押された空洞全体が赤く点滅し始めた。
それを彼女は確認すると超音波探査機を停止し、サーモグラフィーを起動。
ついでにと、信号強度を上げたときとは逆向きの操作をする。
”止め――。どこまでバカ――貴女はッ! そこで待――あ――――”
無線通信機から流れるユェンの説得は長くは続かず、次第に雑音と区別がつかなくなっていった。
落ち着いた女性の声がヒステリックなものに。ザーザーという雑音になろうともパルミラがそちらに注意を割く様子はなく。
素早く周囲を見回す彼女の動きは、三百m先の地面に浮かび上がる小さな赤い点滅――ヘルメット越しでは。で止まる。
その場で彼女はゆっくりと上半身をやや前方に倒し、右足を下げようとしたときにようやく気づく素振り見せた。
残念ながらユェンではなかった。
元はビスケットサイズでしかなかった小さな青い小片が、現在は大人の握った拳ほどの塵の塊。それが両足合わせて11個、パルミラの膝から下に実っている。
「邪魔よ゛」
にべもなく、パルミラが足裏を地面に叩きつけると、程良い衝撃音と地面に耐真空パワードスーツの足跡が深く刻まれる。
衝撃で飛びった塵の煙が再度青い小片の元に戻ろうと腕を伸ばしたが、既に彼女の体は手の届かない場所にあった。
三百m先の目的地点までは少なくとも四つの穴や亀裂がある。
ライトの可視範囲は広いとはいえず、そう生まれついたとしても無闇に突進するほどパルミラはユェンにしつこく言われるほど馬鹿ではなかった。
彼女は高速度で移動しながらも正確に避け。またたくまに赤い点滅の場所に到達したのだから。
パルミラは目の前にある幅三mの裂け目から星内部に侵入する冷たい青い渦を確認し、サーモグラフィーを停止した。