プロローグ+第一話 覚醒
あとがきに、説明や本文には載せるほどではないけど消すにはもったいない精神が働いたものを載せてます。
文章の末尾に※がある箇所だけですが。
プロローグ
トアグレース人は宇宙の中でも稀有な存在として誕生する。
彼らは、性別がない。
そのような生物で知性を持ち、繁栄を謳歌している種は少ない。
だが稀有とまでは言えない。
彼らは、クリプトビオシス――卵還りという形態を取ることができる。
この形態に成った彼らは多くの厳しい環境の中で生き残ることを可能としていた。
まごうことなき珍しさだ……。だが稀有ではない。
彼らは、閉じられた世界で生きている。
その世界は彼らのから遥か彼方にある地球という惑星、その星に生きる知的生命体がダイソン球と呼ぶものに似ていた。
これは珍しい。それに稀有だ……
だが、それは彼らの稀有だろうか。
否。
確かにトアグレース人の祖先によって作られたものだ。
だが、彼ら自身の稀有と呼ぶことは出来ない。
彼らの稀有。
それは、感覚を超えた感覚。
遺伝感覚である。
トアグレース人は、彼らだけが生まれながらに持つ遺伝感覚により星の支配者の地位を確固たるものにしたのだ。
しかし、彼らはあまりにも無知だった。
他の星に住む知的生命体に匹敵する知能を持ちながらも、知り得ることができなかった。
彼らは夜を知らない。
彼らは星を知らない。
彼らは科学を知らない。
彼らは死を知らない。
そして――彼らは人間を知らない。
////////////////////////////////////////
第一話 覚醒
停滞していた思考に絡みつき、自らの体が包み込まれゆくのをカイは感じていた。
抵抗はしなかった。
たまらなく心地よく、永遠に包まれていたいとさえ思い。
本来なら絶対に許さないであろう内側への侵入も、喜んで迎え入れた。
しかし、長く続くことはなく。
始まりと同じく唐突に去っていこうとしていた。
カイは慌てた。なんとか引き止めようと足掻く。
だが体はピクリとも動かず、声すらも出せなかった。
体が動かないならば思考を働かせようとはしたが、霧がかかったように頭は鈍く重く。時間だけが無為に過ぎてゆく。
狼狽えている間にも幸福の源泉は、少しずつ少しずつ枯れてゆき……。とうとう、最初から存在しなかったのように消えていってしまった。
彼の心は喜びの代わりに悲しみで満たされていく。
ただじっと耐える。また、ほかにできることもなかった。
すると、わずかの間の浮遊感。次いで体が小刻みに揺れているのに気づく。
悲しみに耐え、暮れていたカイは突然の物理的な感触に驚いた。
なにが起きてるのかと咄嗟に目を開こうとしたが、手足と同様にまぶたすらピクリとも反応しない。
悲しみでいっぱいだった心に不安も割り込んできた。
程なくし、一定の感覚で揺れていることに気づくと。脳裏に自分が荷物のように運ばれるイメージが浮かぶ。
だからといって、彼の心が晴れるというわけでもないが。
ゆらゆらと揺れている感覚に慣れ始めた頃、カイは自身を悩ます負の感情に嫌気がさしていた。
相変わらず動きそうもない体のことは忘れ。少しでも気分転換になればと、外ではなく内に意識を向け始めた。
そうすると、すぐに自分の中には悲しみや不安以外のものが存在することを発見する。
それは氷のような悲しみや這いずり回る不安などとは違い。
長らく付き合っている友人のような親しみと、初めて出会った他人のようなよそよそしさが同居していた。
カイはそれを気に入り、不安や悲しみの代わりに注ぎ入れる。
それは怒りと呼ばれるものだった。
小刻みの揺れが止まると、また少しばかりの浮遊感。そして小さく硬質な衝撃がカイの全身を通り抜けていった。
彼は、地面に置かれたのだろうと考えた。
長く揺られ続けたせいか、今もなお揺れているような感覚が残っていた。
状況に慣れ始めた彼は、次は何が起こるんだろうか。と、少し冴えてきた頭で思案する余裕を得ていた。
しかし、いつまで立っても何かが起きる気配すらない。
そうすると、悪い想像ばかりしてしまい不安が自己主張を強めた。
不安を追い出すため。
去っていってしまったモノの再来を小さく期待したが。その願いはやはり叶えられることはなさそうだった。
不安は更に力強く存在を誇示し始めた。
包まれることも揺れることもない。
時間さえも止まってしまったような気持ちになり、萎えていく精神を奮い立たせるため。怒りの炎をより一層熱く燃やし続けるカイ。
だけれども、悲しみは消えても不安の野郎は粘り強く。消えてなるものかと手を変え品を変えカイを追い詰めていくことに全身全霊を捧げていた。
”お前はもうすぐ喰われるのさ”
”おい、誰かがやってきて助けてくれるとでも思ってるのか? 誰も来ないさ。お前はずっとひとり”
”二度と歩けも喋れも、視る事すらもできないんだ”
核なき怒りの炎は明らかに劣勢になりつつあった。
怒りの炎も跡形もなく消えるのは時間の問題……かと思われたが、あるひらめきがカイを救う。
不安の野郎を薪にしてくべてやろう。
そこからはカイと怒りの独壇場となった。
不安が現れるたびに引っ叩き、真っ二つにし、燃やし、そして灰となる。
軽く息をフゥーと吹きかける程度の労力で、どこかえと消えて無くなっていくものとなっていた。
崩れかけていた精神は程よく満ちた怒りによって活力を取り戻し、気分は爽快へと変わっていた。
更に多くの時間が過ぎた。少なくともカイはそう感じた。
体はまだ動きそうにない。
だが、体の奥底に熱が生まれ血が巡りつつある感覚が彼にあった。
少しずつ、徐々にだが良くなっていく。
怒りの炎を弱め、代わりに喜びを受け入れる余地も得ていた。
明瞭になりつつある思考も前向きに変わっていった。
トン……トン……。
最初は意識しないとわからないほど小さく。
段々と大きく。だけれども優しく。
背中に一定のリズムで連続して生じる、ほんの小さな衝撃が生まれていた。
最初なにが起きたのかわからなかった。
だが、彼の意思とは関係なく。体はとうとうこの時が来た。と歓喜するように数度、小さく震えた。
体は一部とはいえ戻ってきた感覚に親しみを込めて挨拶すると。触覚もまた快く答え。背中側だけでなく、腹側も硬い地面の感触を返した。
カイは触覚を取り戻していた。
ぴちょん……ぴちょん……。
しばらくすると、聴覚も戻ってくる。
両耳から聞こえてくる音から、背中に当たっているのは水だろうと彼は見当をつける事ができた。
他にも音はないかと耳を澄ましていると頭の中にも音が生まれていたことに気づく。
頭の中に反響している音は、ヘタな口笛のような金属をこすりつけたかのような音を鳴らしていた。
最初は耳鳴りだと考えたカイは不快感を覚えたが、すぐに消えるだろうと経験則から楽観視し放置してしまう。
しかし、いつまで経っても止まらず次第に彼を悩ませ始めた。
普通の耳鳴りならキーンと高音で一定の音量を維持するものだが、鳴り響く音は強弱や長音短音があった。
まるで言語のようだと彼が思うと。
それをきっかけにしたように音は文字へ。やがて文字から単語へと変化していた。
その不気味さに彼の中に後悔が生まれる。それが具体的な言葉となるより早く進行していった。
音の意図するものがわかると恐怖が滲み出し全身に余すことなく伝わらせ、凍りつくような痛みがカイの心臓を突き刺す。
音は語る。
(オレの目覚め。
アウラザ洞窟で。卵還りから。目覚めたのは。オレだ……)と。※
カイの中に起きた変化はこれだけではなかった。
今までどこにあったのかと問いたくなるほどの膨大な未知の知識が彼の頭に流れ込む。
あまりの多さに心理的な衝撃を伴い、彼の精神を大きく。とても大きく揺さぶり続けた。
大時化により荒れ狂う海上に浮かぶ小舟。
たった一欠片も抵抗の余地すら残されてはいなかった。
卵還り…… 船…… ラシアン草…… <憤怒>…… 世界樹……
知らない。いや、知ってる。初めて聞く。違う。俺は……。
カイは流れ込んでくる情報に混乱してる間に。
深く、更に深く押し込まれ。気づいたときには主導権を奪われていた。
体の本来の持ち主。トアグレース人のダウザは体さえ動けば大きく笑いたくてしかたなかった。
主導権を取り戻せたから……ではない。それも確かに嬉しいが、自分の身に起きた不可思議のほうがより重要だった。
卵還りから覚醒する直後、隙を突くように乗っ取られる。
当初はわけがわからず混乱し、彼は<因子>に従い怒った。憤怒だ。
大抵の物なら交換してもいい、だがこれはオレのものだ。という認識が彼にはあった。それを奪われたのだ。
だが多くの時間が過ぎ落ち着きを取り戻すと、これは面白いことになったぞ。と思い直した。
ダウザは卵還りをしていた期間を除くと、二十二年間生きている。そして早くも生に飽き飽きしていた。
寿命はまだ半分以上も残っているが、どうしようもなく生きるのに疲れていた。
世界が死んでいる。
かつての口癖である。
この言葉は彼の半生を端的にだが表していた。口癖とはそういうものなのだから。
卵の殻を破ってから十歳で成人する頃には、既にそう感じていた記憶が彼にはあった。
殻を破った直後は、彼も一般的なトアグレース人のように人生を楽しんでいた。
見るもの感じるもの触るもの。全てが新鮮に感じ、人生を謳歌していた。
彼が八歳になる頃、[判別者]に見咎めらる。僅かだが<憤怒>の系譜に連なる者と烙印を押され、痛みを伴う印を掘られる事となった。
その時、彼はなぜ自分が他のトアグレース人とは違い、激高しやすいのかという疑問も晴れた。
十歳になり成人に達すると、予てより計画していた旅に赴けるようになった。
見上げるだけで彼が望む面白そうな場所の目星をつけることは、時間さえかければ簡単に行えた。
ところが、蓋を開けてみると期待に応えるものはそう多くはなかった。
多少の発見を見つけることはできたが、長くは続かず。彼の願いに答えてはくれたものはごく僅かだった。
村は特に失望しかなかった。景色の角度の違いがその村での最大の発見。ということも珍しくはなかった。
いつのまにか彼の秘められた思いが口癖に変わっていた。
常に光に満ち。食料に困ることもく。水も緑も豊富にある。トアグレース人にとって危険な生き物は既にいなくって久しい世界。
ダウザを除いた多くのトアグレース人は笑みを浮かべ満足している。
彼のように退屈している者でも、その多くは小さな発見や変化で簡単に満足感を得られた。
一方、ダウザにとって世界は退屈な牢獄でしかなかった。
世界中を放浪して十年が過ぎる頃には、世界樹アランタカルタとその下に広がる街シザーハース以外、何も興味を引くものがなくなっていた。
それゆえに、街にはどうしても行くことができなかった。
街にいけば刺激が得られるだろう。世界樹アランタカルタから発見もあるだろう。
だけれども、それが終わったらどうする? 飽きたらどうする?
彼は考えるのも怖かった。
だから、赴くことが出来なかった。
そして、ダウザは卵還りに救いを求めた。
最初は三十年。
覚醒し洞窟の外で見上げるダウザの姿があった。
彼の目には世界が変わってるようには見えなかった。戻る。
次は五十年。
洞窟を出、見上げる。
少し緑が広がっていた。物足りなさそうに一瞥し、戻る。
今度は八十年。
ダウザの目にはまだ期待が残っていた。見上げる。
新しい小さな集落がそこにあった。
彼は半年を費やしその村に着くと……。やはり、そこにも退屈しかなかった。
なんとなしに今度は百六十年過ごした洞窟ではなく、近くにあったアウラザ洞窟で卵還りをした。
もう一度長旅をする気力がなかったのも理由のひとつだった。
あと百年。百年だけ卵還りをしてみよう。
それでも退屈が世界を支配していたら……。
彼はそこから先を考えるのをやめ、体を丸め始めた。
※
卵還り(クリプトビオシス)は、ある種の冬眠状態とも擬死ともいえる。
卵還りをすると、細胞を守るために体液が特殊な保護液と置き換わり始める。
体の外側から内側へ徐々に変貌していき、最終段階に至ると体のあらゆる器官が擬似的な死を迎える。
皮膚は固く硬質化し色も白化する。外見上はただの岩のように見える。
全ての臓器や手足、脳さえも停止し、体外からのあらゆる刺激を感じることもなくなる。
歳も取らず、水さえ与えなければ何十年何百年もその状態を維持し続けることが可能。
(実際のクリプトビオシス”隠された生命活動”は諸説あります。100年以上前のクマムシでも生き返ったという話もあれば、動いた気がしたからこれ生きてんじゃね?程度まで。作中では”卵還り”と表記して差別化を図ってます)