9
昼過ぎのファミレスは主婦らしき女性のしゃべり場と化している。ドリンクバーを頼んでいる人が大半だ。ジュースを飲みながらしゃべり続けているようなので、料理の注文は少なめである。
「暇だからってさぼるなよ」
竜也はしゃがみ込んでスマホを触っている。あたしはぼうっとしていただけなのに、さぼり扱いされるのは心外だ。
「あんたのほうがさぼりっぽいけど」
「俺は長時間シフト入ってるからいいの。お前みたいにSNSやるわけじゃないし」
「どーせ、エロサイトでもみてんでしょ」
「教えてやんねーよ」
お客さんが少ない時間帯は基本的に二人体制なので、だいたい竜也と二人きりになってしまう。しゃがんでいた竜也は立ち上がって、シンクの上に置いていたパックの鬼ころしを飲み出した。
「竜也って完全にアルコール依存症ってやつだよね」
飲みながら、んなこたあねえよ、ともごもごしながらスマホに目を落としたままだ。
「俺がアルコール依存で困ったことなんてないしな。あれだろ、暴力振るったりするんだろ、あれ」
「らしいけど、酔っぱらってるから覚えてないんじゃないの」
「俺はそこまで酔わないし、関係ないな」
「でも、結婚はできないよね。そんなんじゃ」
竜也は黙り込んでスマホを白いエプロンのポケットに入れて、できねえのかなあ、とキッチンにもたれ掛かった。
「そりゃあ、そうでしょ。だれが飲んだくれと付き合いたがるのよ」
「お前とか」
「ばっかじゃないの」
「俺、お前のこと忘れた日は一度もないよ」
そいつはふらつく足であたしに近寄って手を握ろうとしたから、竜也の右手を思いっきりぶってやった。すると我に返った顔になって、手とあたしの顔を交互に見た後
「痛いよ」
涙ぐんでいうから、あたしはびっくりしちゃって
「あんたのせいだからね。ばかなこというから」
自分に言い聞かせるようにしていって、水道水を二杯飲んだ。
「ばかなことなのか」
背後に突っ立ってるそいつは、手を凝視したままだった。ばかなやつ、言葉を飲み込んでから
「そりゃあ、そうだわ。あんたは本気で言ってるわけじゃないからさ」
竜也は涙ぐんだ目元を拭ってあたしをみた。
「本気ってなんだ?」
「本当の心がこもった気持ちのことだわ、あんたは心なんてないじゃん、あたしをからかってるだけ」
「どうして俺じゃないのに、お前はそのことをわかるんだ?」
その言葉に、あたしは顔がみるみる赤くなった。
「違うの?」
聞くと、わからない、と不安そうな顔で言った。あたしの困った顔を見て、もう一度、わからない、と。
「やっぱ、そうなんじゃん」
空になった鬼ころしをゴミ箱に捨てて、
「もうシフト上がりだから、お疲れさま」と奴から逃れた。はずだった。
更衣室で着替え終えて、ファミレスを出ようとしていたら、竜也に捕まってしまったのだ。
「俺も上がりだからさ、一緒に帰ろうぜ」
そうだった。あたしは忘れてしまっていた。今日、火曜日のシフトは通常の場合竜也は夜の十時までなのだけど、今日だけは違っていたのだ。午後五時上がりで、五時からジョンが入る。先週からわかっていたことなのに、どうして忘れてしまっていたのか。
「何か奢ってくれるならいいよ」
「じゃあ、ハーゲンダッツやるよ。昨日安売りしてて買ったのが家にあるんだ」
たちまち、あたしは上機嫌になった。それがわかったのか、竜也も顔をほころばせている。ちょっとむかつく。
竜也の着替えは恐ろしく素早くて、五分もしないうちに更衣室から私服の竜也が現れた。おまたせ、なんていつも通りの会話を交わしながら、竜也の家へ向かったわけだけど。向かおうとしたはずなのだが。
店から出て五歩ほど進んだあたりで、大きな声が聞こえた。かん高いどこかで聞いたことのある不快な声だった。その声はこっこちゃん、こっこちゃんと呼んでいる。その声はどこから聞こえていたかというと、背後からだった。つまり店内に愛美さんはいたようだ。
「こっこちゃん、それ彼氏?」
それ、と竜也を指さした。それ、扱いをされた竜也も気分を害したのか、愛美さんにガンつけた。
「この人こわいんですけどー。こっこちゃんの何なのー?」
今日の愛美さんはおさげで、チェックのプリーツスカートに白のパーカーを羽織っていた。
「そいつは竜也、あたしとバイト先が同じ人で家も近いから一緒に帰ろうとしてたの」
ファミレスの敷地内を抜けて、道路の端をとぼとぼと歩いてる。愛美さんはあたしと竜也の背後でぶつぶつつぶやいたりしていて、竜也があからさまに苛立っているのがそばにいてわかる。
「竜也って人、学生っぽくないけどフリーターなんですか? 今時流行のワープアなのかな?」
しかし愛美さんは人の気を逆なでする言葉や言い方を心得ているようだ。おそらく、彼女にその気はみじんもないのだろうが。
「俺はワープアじゃあねえよ。そこそこ収入はあるしさ。むしろ琴美のほうがワープアなんじゃねえの」
ぎくっ、しかも奨学金返済の真っ最中だなんて愛美さんに知られてしまったらどんなことを言われるか。
「竜也ってそんなに収入があるの? いくらぐらい?」
「どうしてお前に言わなきゃいけねえんだよ」
「まっ、ワープアなだけましですよ。私はニートだからね、今流行の若年無業者だもんね」
胸を張って威張っていたけど、何の自慢にもならないだろう。あたしと竜也は冷ややかな目で愛美さんを一瞥した。
「無視しないでよ。第一、あんたらだってフリーターなら似たようなもんじゃない。ニートもどきじゃん」
「そこの女もおれんち来いよ、ハーゲンダッツやるから、だからぐずぐずいうな」
やったーと両手を広げてあたしのわき腹に腕を回して抱きついた。腕はあたしよりずっと細くって骨と筋肉しかないような腕だった。
竜也の家はあたしの自宅から徒歩四分のアパートだ。ぺんぺん草や雑草がそこらかしこに生えている、ぼろ屋敷。三階建てのアパートの二階に一人で竜也は住んでいた。コンクリートにはひびが入ってるし、もしも大地震が起きたら竜也は押しつぶされて死んでしまうに違いない。ムカつくし、死んでしまえばいいとは思うけどいざ死んじゃうのかと考えると少しだけ寂しいような気にもなる。
塗装の剥げた扉の鍵を回して、竜也の部屋へはいると、むんっと竜也の匂いがした。部屋中が竜也の匂いで覆われている、といった風だ。誠治の家はそこまでではなかった。誠治の匂いなんてシャンプーの匂いくらいだし。
たしか、奴と寝たとき以来だ。あのときも、こいつの部屋が案外片づいていることに驚いた気がする。
今日もそうだ。埃一つ存在しなくて、部屋に余計なものは置いていない。1dkのアパートだから、置く場所もないのだろうけど。
「そりゃあ、お前に見える場所に物を置かないからな」
奴はしれっと言った。
竜也の家には一つだけ入ってはいけない部屋がある。そこはひどい有様だから入っちゃいけないのだという。そんなとってつけたような理由でだれが信じるというのだろう。
「本当は見られちゃいけないものがあるんでしょ」
「そうかもしれないなあ。スケベな雑誌とか」
一人暮らしにしては大きな冷蔵庫からハーゲンダッツのクッキーアンドクリームを二つ取り出して、あたしと愛美さんにそれぞれ渡す。もちろん、スプーン付き。
「こっこちゃんは、そんなにこの男のことが気になるの?」
座布団に体育座りをしている愛美さんはハーゲンダッツの蓋を開けながら言う。
「そんなわけないじゃん。ただ、長い付き合いだからさ、秘密にされるのが嫌なだけ」
「長いつきあいだっけ、お前と」
「中学からあんたのこと知ってるもの」
そうだっけ、と竜也はあたしの隣で胡座をかいた。そうだ。
こいつは覚えていないのかもしれないが、竜也は中学の時にそこそこ人気があった上級生だった。竜也とは委員会が同じだったから、何度か会話を交わしたこともあったのだ。会話を交わしただけではない、一緒にゲーセンで遊んだこともあったのに。
「愛美さん、こいつはね顔だけはいいから校内で人気があったんだよ。今はこの有様だけどね」
ふうん、とどうでも良さげな反応で、必死にアイスをすくっている。ハーゲンダッツのアイスを口に入れるとのどの奥がひんやりと気持ちがいい。竜也はボンベイサファイアをとくとくとグラスに注いだ。
「竜也が勧めてくれたそのお酒、度数が高くて飲めなかったよ。死ぬかと思ったんだから」
「ガキかよ。四十八だぞ。ロックならいけるだろ」
「いけなかったから言ってるんだよ。無駄な買い物だったわ」
「じゃあ、パライソ飲んでみろよ。あれならお前にも飲めるだろ」
と竜也は立ち上がって冷蔵庫の中から理科の実験で使うフラスコみたいな形の瓶を取り出して、それとオレンジジュースで割ったものをあたしにくれた。
ほのかにライチの香りがするそれを飲んでみると、喉通りがよく、爽やかな柑橘系のジュースのようだった。
「これならいけるかも」
「俺は苦手だ。ジュースみたいだから酒を飲んだような気がしない」
「愛美のはないの」
スプーンをくわえたまま口をとがらせる愛美さんにも同じ物を作ってくれて、愛美さんも私と同様、気に入ったようだ。結局うだうだと三人で話していた。
無駄な時間を過ごした、という愛美さんの顔は満面の笑みだった。彼女も、案外悪い人じゃないのかもしれない。




