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 誠治からメッセージがあった。開いてみたら猫の画像が一枚だけ添付されていた。目つきの悪い三毛猫で、首輪もない。たぶん野良猫だろう。


「かわいいね」と返事をしたら「帰り道に見つけた」とすぐにメッセージが飛んできた。


「小さい生き物は好きだよ」と追加で届いたメッセージに、この間見ていた少年犯罪の記事を思い出してしまった。猫を虐待していた犯罪者の話を。


 もちろん、誠治がそんな人とだと恐怖したわけじゃない。ただ、重なっただけだ。


「今日会える? 少しだけでいいんだけど」


 時間は十九時をすぎた頃だった。あたしは断る理由を見つけられなかったので、いいよ、と短い言葉を送った。



 コンビニで待ち合わせていた。コンビニまでは自宅から十分ほどなので、すぐに到着してしまった。肌寒かったからホットミルクティーを買って、表で飲みながら待つ。五分ほど経った頃に誠治が現れた。


「待った?」

「五分くらい」


 ははは、そっか。と微笑んだ。


 あたしより身長が高いにも関わらず、誠治はあたしの顔色や表情を見逃さない。歩幅も合わせてくれる。


「どこ行こうか」 


 どこでもよかった。ただ、疲労や空腹で頭が回らないだけなのかもしれないけど。


 歩道にはびゅんびゅんとすぐ横を自転車が走り抜けていて、歩いている人は少なかった。サラリーマンや高校生がほとんどだ。


「俺んちこない」


 目も合わせずに言った。


「何かするんですか」


 それは遠回しに「何もしないよね?」の確認だ。察しのいい誠治はもちろん、と答えた。


 正直なところ、誠治ならいいかなって思ってもいた。こんな優しげな笑顔を浮かべる人は、どんな風に女を抱くのだろうか、と考えるだけで胸が疼いてしまうもの。


 ただ、あたしにも心の準備が必要だ。付き合ってもないのに接触することに抵抗もある。一度罪を犯したからなおさらだ。勝手に自分の中で話を進めているけれど、きっと誠治は本当にあたしを抱く気なんてさらさらないのだろうな。それも少しだけ寂しい。


 彼の住んでいる赤煉瓦色の十五階建てマンションは、確かあたしが高校のときに建設されていたマンションだ。学校帰りに見かけるたびに、将来はこんなマンションに住みたいと将来を思い描いていた。現実のあたしには到底不可能だろうが。


 部屋はエレベーターを降りてから西側に五歩進んだところにあった。


「一人暮らしだよね?」

「もちろん」


 きょとん、と不思議そうな顔をしながら鍵を開けた。靴一つない玄関に脚を踏み入れることに少しだけ躊躇した。


「あがってあがって」


 急かす声に靴を玄関に脱ぎ捨ててひんやりとしたフローリングに脚を滑らせた。

一人じゃ余ってしまいそうなほど、広いその部屋は、彼の親御さんが借りてくれたのだと、ぽつりと話してくれた。


「俺はワンルームの部屋がよかったんだよ。だけど、俺の知らない間に勝手に借りて、しかも家具まで揃えちゃってさ」


 洗面所にはドラム式洗濯機があった。リビングにはテレビ㎝で馴染みのある冷蔵庫や液晶テレビがあったし、フローリングはロボット掃除機が一生懸命ゴミを探していた。


 あたしの暮らしている家より広い、その部屋には汚れや解れは一切なかった。汚すこともないのだろう。三人掛けほどの大きさのソファにあたしと誠治は腰掛けた。


「俺さ、最小限でいいのよ。こんなに物で溢れていると気が散っちゃうよ。不十分じゃないか」

「でも、便利じゃん。あたしは羨ましいな。あのロボット掃除機だって、ないよりあったほうがいいじゃん」


 ロボット掃除機は主人の感情に関係なく、ブラシを動かしながらのろのろと動く。


「こっこちゃんがアレほしいならあげるよ。ほんとうに俺には不必要だから」


 いや、いいよ、だってご両親からプレゼントされたものでしょ? と早口で言うと


「両親はいないよ、父しかいない」


 と言われてますますあたしの頭はヒートしてしまいそうになった。


「月一でガジェット送ってくるからさ、置き場に困っていたんだよ。ロボット掃除機だって三つくらい持っているからさ。処分しようかと考えていたところだったんだ」


 じゃあ、と控えめに頭を一つ下げる。嬉しいはずなのに、素直に喜べないのはなぜだろうか。


「こっこちゃんは何人家族なの?」

「あたし含めて四人家族だよ。弟がいるの」

「うちと違って楽しげでいいね。俺は片親だけど、こっこちゃんは気にしなくていいよ。母親がいなくて困ったことはないし、どうでもいいことだから」


 悲しそうな感情をむき出しにすることもなく、淡々と話してしまえる誠治が不思議で仕方なかった。


 あたしには家族はいないし、家族が煩わしいくらいだけど、でもあのからっぽが毎日のことだとしたら、それはとても寂しいことだと思ったのだ。


「むしろ俺には騒がしい幼なじみがいるんだよ。お節介でうるさいんだ」


 そうやって話して一時間ほど、ソファに座りっぱなしだった。誠治はあたしに一切触れることはなかったし、あたしも誠治に触れることは一度もなかった。


 ただ、別れ際にロボット掃除機を彼が渡してくれるとき、誠治の人差し指があたしの手の甲に触れはした。ほんとうに、それきりだった。


 自宅でSNSを開き、文字が羅列するタイムラインをぼんやりと眺めていた。これは日課であり、もう一人のあたしの世界だ。ロフトベッドに寝そべって、熊のぬいぐるみを抱き抱えながら、ネット世界に浸る。


「消費税増税後の消費傾向データ」のようなツイートから「イケメンと出会いたい」なんてツイートまで並ぶ、あたしのタイムラインは、おそらく混沌としているのだろう。社会学部を卒業しているため、トレンドや情勢は抑えておきたいのだ。知識や時間を消費してるだけ、ではあるのだけど。


 指でスクロールしていくと、あたしと頻繁にリプライを交わす男性が、つぶやいていた。


「今日は+12000だ」


 彼は株取引をしているらしい。よくその内容を投稿している。日常的な会話や、映画や本について会話することが時々あるが、彼は素性がはっきりしない人だ。彼の名前はヒースという。


「今日はいろんなことがあった一日だった!」


 投稿するとヒースさんがあたし宛につぶやきを送ってきた。


「奇遇ですね、僕もです(笑)。アラレさんがリアルについてつぶやくなんて珍しい」


 失礼な。実際、ニュース記事の感想や、アニメや漫画の感想のつぶやきが多いけれども。ちなみにアラレ、という名前はあたしの名前だ。


「ひどいです(笑)私にだってリアルが充実することくらいありますもん」


 この返事は「すみません(笑)」だった。


 そのつぶやきをしている間に、フォロワー一万のかにかまさんが、誰かと喧嘩しているようだった。動物園の珍獣を眺めるような気分で、彼のツイートを遡った。


 かにかまさんは過激なつぶやきが多い。噂によると危ない薬を売っていたり、出会った女に首締めセックスを強要しているらしい。事実か嘘かわからないような噂が飛び交う人で、あたしはフォローこそされていないけど、一方的にフォローしてかにかまさんを観察している。


 深淵をのぞき込んでいる自覚はあるけど、深淵はあたしのことを認知すらしていない。これが、ネットの長所でもあるのだろう。リアルじゃあ、そうはいかないもの。


「かにかまさんがあなたをフォローしました」


 げっ、心底汚い声が不意に出た。


 改めて、かにかまさんのフォロワー数を見てみると、二千フォロワーもいた。どちらにせよ積極的に関わろうとしない限り、関わることはないだろう。



 あたしの過ごしている日常は、小ざっぱりとしている。ただ、大人になっただけなのかもしれないし、実際に退屈な日常を過ごしているからなのかもしれない。


 誠治との約束の前日に、あたしは思い悩んでいた。それは特別な理由があったわけではない。ただ、お金がなかった、その一点が大きな理由だ。


 そもそも、ラウンドワンの料金がいまいちわからない。


 ラウンドワン(おそらく千五百円以下だろう)と喫茶店で三百円のコーヒー一杯程度なら、かろうじて足りるけれど、もしもお洒落なカフェでディナーだとか、お高いハンバーガーショップに足を踏み入れてしまったら最後、財布が空で誠治に泣きつくことになってしまう。それだけは惨めだ。それだけは避けたい。


 あたしはこの間から、ファミレスやらコンビニでミルクティやら購入して無駄遣いをしていた。そう、その愚かさに気がついたのは、つい昨日のことだ。毎月の奨学金返済額二万円の存在をすっかり忘れてまっていて、銀行残高二万三千円の二万円が消えてしまっていたとき、思わずATMで悲鳴を上げた。外で行列を作っていたおばさま方は、さぞ驚いたことだろう。


 パラサイトシングルをしているにしても、毎月二万円の借金返済は、精神的にも財布的にも厳しいのだ。しかも私学だから総額六百万円だ。


 六百万円の返済を毎月二万円ずつ、なんて計算しただけでめまいがする。あたしは死ぬまでに奨学金を払いきれるのだろうか、そう将来を考えるだけで、眠ることすら恐ろしくなるのだ。


 とにかく、ラウンドワン代をどうするかだ。正直に誠治に連絡するべきだろうか、プライドをすべて捨て去り、土下座をする気持ちでお金を借りるしかないのか。現在の時刻は二十時半、今ならまだ大丈夫だろう。


「明日のデート代が足りるかどうかわからないんだけど」


 打ち込んで、頭をひねった。いいのか? あたしがデートなんて女らしい単語を用いても。


「今、全財産が三千円しかないんだけど」


 ううん、これで言いたいことが伝わるだろうか。「大丈夫かな?」これでよし。


「大丈夫だよ。奢るからさ。こっこちゃんは女の子だし」


 なんてクールな返事だ。その文字列がまぶしすぎて見ていられない。なんてかっこいいの! 


「ありがとう。よかった」


 こんなあっさりとした返事しか返せない自分が情けない。もっと女らしくて可愛らしい返事があっただろうに。


 明日の心配事がなくなったからか、眠たくなってしまった。今日だって仕事が遅いと、竜也に叱られてさんざんだったのだ。


「色ぼけしてんじゃねえ」


 なんて酔っぱらいに叱られるあたしの気持ちがわかるだろうか? あいつにはわからないだろう。仕事ができない自覚くらいあるさ。バリキャリになれる能力があるなら、ファミレスでバイトなんてしていないよ。とうに正社員で働けているだろう。


「これからどう生きていけばいいんだろう」


 なんてツイートする程度には疲れていた。本気で思っているわけではないけど、嘘でもなかった。明日はデートだというのに、なぜ気分が落ち込んでいるのだろうか。


「セックスしたい」


 つぶやいてから、ばかみたいだなって口にした。だって、あたしはセックスをしたいわけじゃないからだ。ただ、セックスがしたいだけなら、飲み屋にでも行って、自分相応の男を誘えばいいだけだ。そうじゃない。あたしが求めているものは、それじゃない。


 ばかばかしくなったから、スマホの電源を切ってあたしは枕に突っ伏した。明日の起床時間は九時だ。

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