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 化粧してバイトに出るなんてはじめてだった。クロックス以外のお洒落スニーカーをわざわざ引っ張り出したのも何年ぶりだろう。


 細長いスニーカーは足が締め付けられて苦手だが、お洒落のために我慢しなくてはいけない。靴ひもがパステルブルーで、白地の靴に青色の模様が描かれている。学生時代の時に、衝動買いした唯一のお洒落靴だ。バッグだって千円のトートバッグじゃなくて、紺の丸くて機能性の低い小さなリュックにした。確か五千円はしたはずだ。


「相川さん、珍しくお洒落しているんだね」


 パートのおばさんに褒められたりした。ついでに今年の流行の服についても教えてくれた。


 毎年トレンドカラーが変わるのだという、トレンドカラーなんて横文字で格好つけてばかばかしいとしか思えない。消費者を騙して金をむしり取る魂胆なんだろう、アパレル業界なんてろくでもないわ。


「今はボーダーが流行ってるから、ボーダーのスカートやワンピを買っていれば、間違いはないわよ」


 更衣室で女子らしい話をするなんてはじめてだった。制服を着替えながら、おばさんはにこにこと微笑んでいた。


「ボーダーってしましまのことですか」

「そうよ。今はボーダーのワンピを着てる子は多いわよ」


 街行く人の服や、ファッション雑誌なんかをろくに見ていないため、実感がわかなかった。


「まあ、これから徐々にわかってくるわよ。相川さんはまだ若いんだし」


 そうか、あたしはまだ若いのか。


 人と関わらない生活を続けていると、自分の年齢や立場を忘れてしまうことが多々ある。ホールならまだしも調理だと特にそうだ。


 ほら、二十代前半くらいって自分のことをおばさんだとかおじさんって言いたがるでしょ? そんな台詞を吐いたことはないけど、周りは「俺もうおっさんだわ」と熱燗を飲みながらぼやく連中ばっかりだったから、まんまと騙されていた。


 そう、あいつらは自分の若さを自覚していながら、年寄りアピールをしているのだ。


 あたしのような頭が弱い子は、そんなアピールに騙されてしまう。これがあいつらの生存戦略とは知らずにね。


 着替え終えたあたしは店の外に出て、雨上がりの湿った空気を感じながら竜也の登場を待つことにした。


 五分ほど経った頃に、竜也はぱたぱたと女の子みたく走ってきた。チノパンに英語が書かれたTシャツを着ている。元々顔は整っているので、どんな服装でも似合うようだ。憎たらしい。


「お洒落してきたんだな」


 足下と顔を見て褒めてはくれたが、服については触れなかった。よれよれTシャツをユニクロのカーディガンで誤魔化すという、センスの欠片もないファッションだもの、褒めるところなんて微塵もないわ。


 あたしたちは駅まで歩いた。バイト中はばか話をよくするけど、バイト外ではなかなか話すことができない。つい、黙り込んでしまう。あたしはこの沈黙が一番苦手だ。沈黙の中は居心地がすこぶる悪いもの。それなら一人のほうがずっとずっとまし。


 道路のど真ん中にある市電の駅は駅らしくないと、いつだかジョンが言っていたような気がする。ここは路面電車を使う人が多数だから、あたしらからしてみればJRを使うことのほうが珍しいし、路面電車のほうが電車って感じがするけど。


「休日は何してるんだ?」


 あたしの後ろにいた奴は聞いてきた。あたしはどうも、人より歩くスピードが速いらしいのだ。駅には誰もいない。駅と言っても都会のそれとは違い、車道のど真ん中に位置している小さな駅だ。


「何もしてない」

「んなこたあねえだろ」


 駅の屋根にぶら下がっている電子掲示板には「まもなく」とあった。


「じゃあ、あんたは何してるの」

「ゲームとオナニーと酒のどれか」

「うわ、さいてー、ろくでもないじゃん」

「何もしてないおまえにだけは言われたくねえよ」

「厳密には何もしてないわけじゃないし。ネットして音楽聴いてテレビ見てる」

「俺と同じようなもんじゃん」


 今更だが、竜也の身体から酒の臭いがしなかった。珍しい。なんだ、ちゃんと言ったこと覚えているんじゃん。


「あたしにとって、あんたってヤリチンなんだよね」

「はあ」

「だって中学の時に童貞喪失したんでしょ」


 まあ、と目をそらしながら、口元を歪めている。こいつはヤリチンだった過去に、負い目でもあるのだろうか。


「酔った女をお持ち帰りなんてヤリチンにしかできないよ。あたしだから訴えなかったけど、準強姦だってことを忘れちゃあいけないよ」


 饒舌な自覚はあった。昔からの癖のようなもの、一度他人と話し出したら止まらないという悪癖。


「そう思いたいならそうなんだろうな」

「あんた、顔は悪くないんだから、もっと真っ当に生きればいいのに」

「おまえが言える立場じゃないだろう」


 あれ? なんだかあたしが空気を読めない、いじめっ子のようだ。うつむきがちに頭を掻くそいつは重い刑を下された囚人みたいだった。


「ね、あたしあんたの地雷を踏んでないよね」

「さあ、どうなんだろうな」


 乾いた声に乾いた笑みを乗せて、そいつの纏っていた重たい空気は、マイペースに走る電車とともにどこかへ吹き飛ばされてしまった。



 電車から降りると奴はまたいつもの生意気そうな顔をして、あたしをからかった。ほっとした。なぜほっとしたのか、それさえわからなかったけど。


 イオンは学生と主婦であふれていた。近所に高校や中学があるからかもしれない。四階建ての広大な建物の中には様々な店舗が揃っていて、たぶん地球が滅亡してもイオンさえあれば生きていくことが可能なんじゃないかってほどだった。


 田舎に住んでいるあたしたちにとって、イオンは田舎を感じさせない平等な装置だった。


「どこ行こうか」

「あたし、よくわからないの」


 あきれた、と口に言わずとも伝わってくる。


「じゃあちょっと歩こうか」


 ファッション雑誌なんて一度も読んだことがないし、ファッションの良さもわからない。


 ただ、このままじゃいけないということは、あたしにも理解できて、危機感そのものは抱いているけど、危機感を持っているだけじゃ、何も変わらなかった。


 やはり、どうでもよさ、が勝ってしまうのだろうか。


 タイル状の床は照明の明かりによって反射してぴかぴかと輝いていて、特に無人だとどこか別の世界に迷い込んでしまったかのような気分になった。その風景に、小学生くらいの女の子が入り込んだとき、あたしはなぜだか安堵して、竜也の顔をちらっと見た。


 歩幅を合わせるように努めて歩くのはひどく疲れるが、人といる実感を味わえる。それが良いことなのかどうかは知らないけど、たまにはいいかもしれない。


 隣にいる竜也の視線はあたしの十五センチほど上にあって、あたしが竜也の表情を確認しても、一切目線がぶつかることがない。竜也は竜也の見たい物を見ているのだ。あたしの表情にはこれっぽっちも興味がないのだろう、そういうところが奴らしいといえばそうだけど。


 アパレルショップの店員は退屈そうに洋服を畳んだりしていた。それとは対照的に、雑貨や食品の店には身体が不自由になってしまうほどの人だかりがあった。


 洋服屋のマネキンが着た服はどれもこれも似たような服であたしには良さがわからない。可愛いなと思うものもあったけど、あんなものがあたしに似合うとは到底思えないし。


 店員さんは色白で化粧もきっちりとした美人ばかりだし、あたしがそこへ足を踏み入れたら、笑われるのではないか。いや、彼女らも仕事だから笑いはしないだろう。けど、その張り付いた笑顔と繰り返された「似合ってますよ」の裏側では「こんな不細工が着ても似合う訳ないじゃん」と嘲笑しているに違いない。恐ろしい恐ろしい。やはりあたしには無理なんだ。


 時々、竜也はスポーツ用品や酒屋、書店に興味を示したけど、あたしはそれを無視してそそくさと歩いた。だってあたしは興味ないし、あたしの頭の中は別の感情で渦巻いているし。


「良さそうなものは見つかったか」

「よくわからない」

「買うつもりないのか?」

「だって、あたし自分に似合うものなんてわからないもん」


 はあ、と竜也は伸びをした。


「自分の好きな服にすればいいじゃねえか」

「それがわかればもう見つかっていると思わない?」


 ああ、と低い声で同意した後、奴はあたしの手をつかんでから引っ張った。何するんだよ、と抵抗するための呼吸にかぶせるように


「俺が見繕ってやるから、黙ってついてこい」


 やけに手が汗ばんでいるなと思った。周りにはどう見られているのだろう。恥ずかしい恥ずかしい。


 だって竜也はこれでも好青年の二枚目なんだもの。こんな好青年と一緒にいるのが、こんな不細工でガタイの大きな女なんて、不似合いだと笑われるはずだ。こんなことなら、一人でユニクロかしまむらで新しい服を購入していたほうがずっとましだった。


 竜也が入店したショップはよりにもよって、あたしには似合うことのなさそうなパステルカラーのワンピースやフリルがついたような服ばかりある店だった。

店員さんは折れてしまいそうな脚であたしと竜也の元へ駆け寄った。


「ゆっくりご覧になってくださいね」


 目はあたしの倍はありそうだった。竜也は棚にある服を二枚ほどもってあたしに渡した。


「試着してこい」


 と背中を押されて、店員に案内された。レジの横にある試着室まで連れていかれて、されるがままにそこで着替えることになった。


 店員さんは「ごゆっくり」と笑顔だったが、絶対にごゆっくりだなんて思ってないのだろうなあ。

あたしは、ボーダーの薄い長袖のシャツと、濃いジーンズ色のサスペンダーを着た。試着室の鏡でお洒落服を着た自分を見て、まるで自分ではないかのように思えた。化粧をしていたから、なおさらだ。


 よれよれ服がどれだけひどかったのか、自分で実感できたからといってこれから改めるつもりもないんだけど。


 試着室のカーテンを開けると、店員さんと竜也がいた。竜也は意外、と言いたげな表情で


「おまえ、いつもジーパンだったからわからなかったけどスタイルいいんだな」


 ムダ毛処理をしてきていてよかった。いつも着ないような膝上二十センチくらいの服だから、あたしもあたしで緊張している。


「お客様は身長高いですし、脚も細いので羨ましいです。よく似合っていますよ」


 社交辞令なんだろうが、それでも照れくさい。褒められることに慣れていないのだ。小さな声でありがとうございます、と会釈するくらいしかできない。こんな性質だから、あたしは可愛くない。可愛い女はきっと、もっと可愛く礼を言えるのだろうな。


「これでいいよな」


 うん、と目を必死にそらしながら、頷いた。世の女性がおしゃれをする理由が、少しだけ理解することが出来た気がする。


 元々着ていた服を着直してから、竜也はフリルのついた短いソックスも一緒に購入してくれた。会計のときに「カップルさんですか?」と聞かれて、あたしは必死に首を振ったけど、竜也は無反応だった。あれ? ここって同意しておくところなのか? 


 だけど、あたしと竜也は恋人じゃないし、ただキスしただけだし、間違われるのは嫌じゃない?


「バイトの後輩なんです。ろくな服持ってないので、見繕ってやろうと」

「へえ、そうなんですかあ」


 竜也は革の財布からクレジットカードを出して購入した。荷物も奴が持ってくれた。そうか、あたしは女なんだ。


「ありがとう」


 礼を言うと竜也は目を合わせないまま、


「腹減ってるよな」


 と問いかけた。うんと答えた。


 枝分かれした曲がり角を左に進んだところに騒がしいフードコートがあって、竜也はそこのドーナツショップへ向かっていった。あたしが小走りにならなければ追いつけないほど、早くに歩くので、息切れをしてしまうほどだ。


「何が食べたい」


 そんなあたしの心中など、考慮もしてなさそうな爽やかな顔をしていた。苛立ちとか、呆れとかより、真っ先に悲しくなった。


 でも、あたしのことを見て、とか気を使ってよ、なんて言えるはずはなかった。当たり前だろう、それをわからない人はたぶん、あたしと同じくらい悲しい思いにさせている異性がいるはずだ。ぜったいに。



 お互い二つずつドーナツを購入して、他愛ない会話すらない沈黙の中で、甘くておいしいはずだったドーナツをむさぼり食った。こんなどんよりとした空気の中で食べるお菓子なんてはじめてだったし、こんなにもおいしくないものだとも思っていなかった。


 あたしたちの隣のテーブルでは高校生が勉強会をしている。後ろ側のテーブルでは小さな子供を連れた家族連れが和気藹々と食事をしていた。だからこそ、あたしと竜也の孤独さというか、惨めさが際だっていたのかもしれない。


 竜也も同じ気持ちだったのか、沈黙を破ったのも竜也だった。


「何か嫌なことでもあったか」

「いや」


 嫌なことがあったわけじゃない。じゃあ、何だろう? ただ、悲しかっただけだ。それは何故なのか。あたしは食べかけのオールドファッションを見つめていた。


「何もないのに、不機嫌なのか」

「別に、不機嫌じゃないよ」


 食べかけのかけの部分は、今のあたしの感情に一番近いはずだ。


「なんだか、悲しかった。わからないけど、竜也のせいかもわかんないけど」

「なんだそれ」

「わかんないから無視してよ。どーでもいいことだから」


 かけの部分は、あたしが残りのオールドファッションを食べてしまうと、なくなってしまう部分だ。食べてしまえば無となる。それがたまらなく可哀想で、そのオールドファッションを一口一口ちびちびと口にいれて食べた。


「じゃあもう俺は帰るわ。もう用事は終わってるし。デート頑張れよ」


 ちょっと待って、の言葉すらかける隙もなく、竜也は席を立って、服は机の上に置いてからあっというまにいなくなってしまった。


 あたしはあと一口だけのオールドファッションをじっと見続けた。



 イオンの一階にある酒屋で酒を一本だけ購入した。いつもは発泡酒や安いカクテルくらいしか飲まないけど、今日は無性にちゃんとしたお酒が飲みたくなった。


 買ったものはいつだか竜也がおいしいと言っていたボンベイサファイアだ。瓶はコバルトブルー色をしていて、パッケージは英語で記されている。これをロックで飲むのがおいしいのだと、奴は言っていた。


 とぼとぼ帰宅したら、家はからっぽだった。つまり、誰もいなかった。


 書き置きか何かがないかと探ってみた物の、それらしきものは一切見つからず、沈み欠けてる夕日をぼんやりとベランダから眺めたりした。


 雲はピンク色と紫の間の色に染まりきっていて、その向こう側にある夕日がめらめらと燃えていたから、赤いなあってつぶやいた。誰の返事もないから、くだんないなあと一つつぶやいて、部屋に入った。


 赤い夕日を見ていたとき、竜也の顔が浮かんだ気がしたけど、あれは気のせいだろう。


 退屈で仕方がなかったから、ボンベイサファイアをロックで飲んだ。はじめてのボンベイサファイアは、味が認識できないほどきつくて、喉が焼けてしまいそうになった。今度竜也に伝えよう。あいつの喉は人間のそれとは違う何かに違いない。

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