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 あたしは、竜也がここに来たらどうなるかのシュミレーションを頭で描きながら、サブレをかみしめていた。やはり、ココナッツサブレはおいしい。


「誠治から乗り換えちゃおうかなー」


 横で喋ってる愛美の手を摘んで


「冗談はよしてよ」

「でもでも、こっこちゃんは竜也って人のこと嫌いなんでしょ? 愛美なら異常性癖でも受け入れられるよ?」

「そいつ異常性癖者なの?」


 誠治が嬉々とした表情で食いついた。


「こっこちゃんにとってはね。誠治のほうがひどいよ」

「そんなひどくはないよ」

「うそ。直美さん殺したとき射精したっていってたじゃん」

「殺した?」


 場が凍り付いた。愛美は心底困ったとでも言いたげな顔をして、誠治とあたしを交互に見た。おそらく愛美は、あたしがそのことを知っていると勘違いしたのだろう。あいにく、殺しただなんて事実は知りもしなかったのだが。


「愛美はどうしていつも」

「ごめんって、もう言ったのかと思って」


 両手を合わせて、頭を下げた愛美に唾を吐きかけるような目で見た。あたしとしては、余計な一言を投げかけさえしなければ、平穏な雰囲気を保てたのに、という後悔の念がわいてきた。いずれ知る日が遠からず訪れたのだろうけど。


 インターホンが鳴った。


 もう竜也はすぐそこまでやってきている。愛美は立ち上がってオートロックの鍵を開けた。あと五分足らずでやってくるだろう。


 再び、あたしの隣にどすんと座る。


「ね、こっこちゃんのボーイフレンドが来るんだから、こんな陰湿な雰囲気やめよ? ね?」


 陰湿な雰囲気の原因はだいたい彼女なのだが、今それを言ったってしょうがない。


「こっこちゃん、ごめんね」


 誠治はほんとうにほんとうに申し訳なさそうな顔をしていた。


 竜也がやってきたのは三分後くらいのことで、どうしてあたしがそんな細かい時間を知っているかというと理由は明白だった。三人ではなせる雰囲気じゃなかったから、じっとスマホを時計を見ていたのだ。それも針時計のほう。もっと詳細に言うなら、三分四十秒くらいのことだった。


 いざ、心の準備は整っている、というような顔をしていても竜也が押したであろうインターホンが鳴るとやはり驚いてしまう。竜也が今そこまでやってきている事実に、どぎまぎしてしまった。


 あたしは鳴ったと共に立ち上がって、極力の早足で玄関まで向かった。それから、鍵を開けてから、扉を押した。目の前には、ぼさぼさ頭の竜也が目を伏せていた。あたしは、その顔を見上げて、「どうしたの」と聞くと竜也がぎっと歯ぎしりをしながら、あたしを払いのけた。それから靴をそろえてあがった。


「何するの」

「お前、よく平然としてられるな」


 平然としているわけがないじゃないか。


「竜也こそ、さっきのはひどくない」


 廊下を歩いていく竜也の背中をつかんだら、ぎろりと蛇の目をしてあたしをみた。


「俺は心配してきたんだ」

「うん」

「お前のことがわからねえよ」


 舌打ちをうつ。リビングから愛美や誠治がのそのそとやってきて、愛美は悪びれもなく首を左に曲げた。


「どうしたの」


 あたしはおびえた小動物みたいに体を縮めていたら、竜也が聞いた。


「お前らが友達?」

「そうだよ。私は愛美って呼んで! こいつは誠治だよ」


 殺気立った竜也のことなどおかまいなしに、愛美は自己紹介をはじめた。あたしとしてはいつ、竜也の怒りの風船が破裂してしまわないか不安でしょうがなかったのだが、案外割れることはなく


「なるほど。今何してたの」

「うーんと。お菓子食べてたよ。一緒に食べる?」

「何がある?」

「いろいろ」


 などと和気藹々と会話を交わしていた。


 あたしと誠治は二人取り残されて、ぽかんと愛美と竜也を眺めることしかできなかったし、何より誠治もあたしも、己の立場を考えると口を挟むことがいっさいできなかった。


 二人の流れに任せよう、その考えは賢明である。


 四人でソファに座り込んだ。あたしの隣には愛美がいて、正面には竜也がその横には誠治が冷たいシャワーを浴びたみたいになってしまっている。


「竜也くんはこっこちゃんのことが好きなの?」

「こっこ?」

「琴美ちゃんのあだ名だよ」


 聞き慣れていないからか、顔をゆがめた。


「愛美ちゃんに答える必要はないだろ」

「いやあね、こっこちゃん悩んでたみたいで」


 ちょっと待って、と心の中で叫んだ。口に出すまでのロスタイムその間二秒。


「待って、愛美。そのことは話さなくていいから」

「どうして? 自分で言える?」

「あれでしょ、竜也の性癖の話でしょ?」


 彼女は不思議そうな顔をして、唇を隠した。


「俺の性癖?」

「いや、なんでもないよ」

「言えって。どうしたんだよ」

「竜也の家にさ、緊縛だとか放尿の本あったでしょ」

「俺の部屋に入ったのか」


 まあ、と口を濁す。


「緊縛写真集は俺の趣味じゃねえよ。写真家の友人がくれたんだ。放尿の本は別の友人がいらないからって俺に押しつけた本」


 あれ?


「じゃあ、竜也にはそんなアブノーマルな趣味はないの?」


 そうだな、とつぶやいた。


「一般的な成人男性並の趣味しか持ち合わせていないな」


 あれ? それがマジだとするとあたしの悩み損じゃない。愛美はにやにやしてるし、誠治はげっそりとした顔のままだ。


 あれ? あたしなんて馬鹿なことをしていたのだろう。


「ディスプレイ見た?」

「どうして?」

「いや、見たかどうか聞いてるんだ」

「よくわからなかった」


 ふうと竜也は一息ついた。


「ならよかった。触ってないよな。よかった」

「もしかして、パソコンの中に?」


 ちげーよ、と比較的大きめの声でぴしゃりといった。


「俺、株してんの。勝手にいじられたら困るんだよね。だからあの部屋に入るなっていつも言ってるんだよ」


 竜也が株をしているなんて初耳だった。


「もしかして、いつもスマホ触ってるのも」

「そう。株やってる。今のファミレスバイトは暇つぶしだからな。本職は株のほう」

「すごーいじゃん。こっこちゃん素直に竜也くんに告白しちゃなよ」


 そう易々と愛美は口をついた。


「いや、別に俺と琴美はそういうのじゃないから」

「じゃあ、何?」


 一息おいて「バイト先の後輩だよ」とさらりと言った。あたしの心には、なぜだか不愉快なぬめりがついた。その言葉はひんやりとして、不快で、気持ち悪くて、あたしの大嫌いな昔の、思い出せないほど遠い何かを引っ張り出そうとした。思い出したくないから、捨ててしまったものだけど。


「いいの?」


 愛美はあたしに聞いた。


「別に。あたしは今の竜也なんてどーでもいいし」


 あたしが好きだったのは、王子様の竜也だもの。でも、今の竜也だって別に嫌いではなかった。嫌いではないけど、認めたくない。不用意な恋愛感情だ。


「まあ、そうだよね。どうでもよくなきゃ誠治とキスしないよね」


 愛美は、生のピーマンを丸ごと食べたみたいな顔をしていた。あたしは、そんな言葉を竜也のいる前で言われたくなかったけど、今言い返すことは不可能で、ただただ、胸が苦しくなるばっかりだった。


 竜也は信じられないと言いたげな表情で「は?」と言った。それから徐々に窮屈そうな顔になって、泣き出しそうな顔になった。竜也のそんな顔をあたしは知らなくて、そんな顔にさせてしまったショックで胸が一杯になった。


「どうしたの?」

「俺だけだったんだなって」

「俺だけ?」

「両思いだと思ってたのがさ。勘違いしていたんだな」


 あたしは今、ひしひしと実感している。そうか、竜也も好きだったのか、と。そこには王子様でもなんでもない、ただの竜也がいた。彼が愛しかった。竜也の心に触れたい、と思った。


 自分の胸の内にこんな感情があることを、初めて知った。


「こっこちゃん」


 誠治はあたしの腕を引っ張って、寝室へ連れて行った。これはセックスの為ではないことくらい容易に想像できる。だって、誠治の顔がいつもよりずっと深刻だったから。


 暗い部屋に二人きりで、誠治はあたしの耳元で「本当によかったの?」と聞いた。


「良くないよ。でもキスしたって言われちゃったもん」

「今ならまだ弁解できるよ。俺のことならいくらでも悪く言っていいからさ」

「どうしたの?」

「どうしたの? こっこちゃんは鈍感すぎるよ。俺より人の気持ちがわかっていないんじゃないの」


 そこまで言われるとあたしもショックを受けてしまって、反論の言葉すら出てこない。


「とりあえず、こっこちゃんは竜也くんを引き留めなよ」


 と、ドアを開くとさっきまでちゃぶ台前にいた二人が忽然と姿を消していた。


「え?」


 あたしたちの声は完璧なほどタイミングが合って、あたしの頭は真っ白になっていた。たぶん、誠治も同じだったはずだ。

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