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 たとえば、少年時代の犯罪を被害者が許せるかということ。


 刑務所は罪を償う場所だけど、少年院はそうじゃない。更正施設であって罪を償う場所ではないのだ。少年院が今日少年院たらしめている理由は様々だけど、とにかく被害者にすれば相手が少年か否かなんて関係ない。


 結局は「子供だから許すべき」とか「この子供は被虐退児だから多めに見るべきだ」という社会規範のもと、被害者が許さなきゃならない構造になっている。


 厳しいことを言ってしまえば、社会の構成上、一個人の悲しみや苦しみを考慮する余裕なんてない。社会全体を考慮するなら、犯罪を犯した少年を許すことが一番ベストなのだろう。国によっては被害者と加害者の対話によるメンタルケアなどが行われていたりするようだし、欧州諸国では刑務所は更正の場だという風潮に変化しつつあるようだ。


「自分の母親の頭をバッドで殴ったんだよ」


 誠治は淡々と言った。それはトーストとスープだけの質素な朝食を食べていた最中のことで、誠治は悪びれもなさそうな表情だった。あたしとしてはどう受け入れるべきか、躊躇した。


「じゃあ、少年院とか行ったの」

「いや、特に。通報しなかったし。まあ、けがはひどかったよ。あの人ショックで頭がおかしくなってたし」

「たとえば?」

「乖離が頻繁に起きて、日常生活が困難になった」


 言葉が詰まりそうになった。


「乖離?」

「過度のストレスによって起こる症状だよ。人間の脳ってよくできてるよね。要は過度のストレスに耐えられなくなった脳の防衛本能だよ。軽度なら健常者でも起こり得るんだ。怒鳴られたときに頭がふわってする人いるでしょ、あれもそう」


 昔の友人が言っていた気がする。


「心がわからないのに、心理学部に進学したんだね」

「わからないから、知りたかったんだ。でも統計ばかりで拍子抜けしたよ。レクター博士に憧れていたんだけどなあ」


 日常会話を交わすときと変わらずに、彼は一つ一つ自分の過去や人に話さないであろう事柄をあたしに話した。


 小学生のとき一度少年院へ行った話だとか、離婚したときの話、それから自分がどこかおかしいと気がついたときの話。

「人が苦しんでいるのを見てもどうとも思わないし、人として当たり前に持つべき感情が欠如しているように思うんだよ」


 あたしは「でも」と口をついた。だって誠治はあたしに絆創膏をくれたもの。優しいところもたくさんあるはずだ。欠落してなんかないはずだ。


「誠治はひどい人じゃないよ」

「優しい人らしく振る舞うことだってできるんだよ。人が人を優しいと思うテンプレ行動だってあるし、それに従えば人らしいと評価される。優しい人間扱いされるんだよ。そんなものなんだよ」


 あたしは信じられなかった。


「大丈夫だよ。君にはひどいことしないから、安心してよ」


 薄ら笑いに背筋が凍った。誠治の下にあるトーストとスープは空になっている。あたしはトーストを半分食べてしまったところだった。


「それも、テンプレート?」

「どうだろうね」


 きっとそれもだろう。肯定したらあたしが寂しい気持ちになるから、あえて曖昧にしたのだ。


「「あたし、誠治がそんな人だと思ってなかった」」


 紅茶を飲む誠治の手が止まった。


「うん。でも俺はこういう人だよ」

「傷ついた?」


 誠治の目はまっすぐにあたしに向かってきた。


「特に。ただ、どうしてそんなことを言ったのだろうと思った。どうして?」

「試しただけ」


 そっか、と顔をくしゃくしゃにして笑った。


「こっこちゃんのことは結構好きだよ」


 うん、あたしも誠治のことは結構好き、と言い返した。自覚しているのだろう、互いに恋愛の好きでは

ないことくらい。ひょっとしたら、似たもの同士なのかもしれない。


「でもね、ずっと一緒にいたいのは愛美だよ」

「うん。知ってる」


 あたしはにこにこと肘をたてている誠治を見ながら、トーストを頬張った。



「ね、二人のセックスを愛美に見せてよ」


 突拍子もないことを言うので、目が飛び出てしまいそうなほど驚いた。昼過ぎにやってきた愛美と一緒にスナック菓子を食べながら、三人で平日昼間の情報番組を眺めていた。


「あたししたことないんだよ。絶対嫌」

「俺はどっちでもいいよ」


 勘弁してくれ。と愛美に伝えても彼女はにこやかな表情でスルーする。そんなにも執着している相手の性行為を見たいものなのだろうか。あたしには理解できない。


「そんなに嫌って言うなら、我慢するけど」


 結局そういって愛美はしょげてしまった。いや、いいのだ。あたしの醜態を晒すくらいならしょげてもらってもかまわない。


 スナック菓子はいくらあっても足りなくて、三十分足らずで三袋すべて空っぽになってしまった。


「買いに行こうか?」


 と誠治が立ち上がった。


「ポテチとアンドーナツお願い」


 愛美は座ったまま、誠治を見上げていった。


「うん。知ってる。こっこちゃんは?」

「あたしはカールとココナッツサブレ」


 誠治がそそくさと出て行った後、あたしと愛美は二人きりになってしまった。話すことも特になかったけど、なんだかとても気まずかった。


 気まずくないはずがないだろう。


 いくら、体は許しているといったって、彼女が神戸から追いかけてきた想い人だ。いくら誠治が「あいつの好きは恋愛的なものじゃない」といっても、誠治は愛美のことが好きなのだから、友人であるあたしが気を使わないわけにもいかないだろう。


「こっこちゃんは、どうしてあの男に素直にならないの?」


 一言目がこれだ。あたしは愛美のこういう、潔いきっぱりとしたところに惹かれているけど、反面自分がその対象になったとき、戸惑ってしまう。彼女の長所を自分はたった一つも、持ち合わせていないからだ。


 あたしという人間は物事をきっぱりと決めることのできない、惰性で曖昧な人間なのだ。


「竜也のことだよね?」

「そうそう。こっこちゃん好きなんでしょ?」

「わかんないの」

「セックスしたいの?」


 好きか嫌いかをセックスしたいか否で決めるものなのだろうか、いつだか竜也もそんなことを言っていた。


「わからない」


 竜也の持っていた雑誌を見てしまって、彼を気持ち悪いと思ってしまったことは揺るがない。だって気持ち悪いもの。セックスってもっと愛のあるすばらしい行為のはずなのに。


「竜也の家に、緊縛の本や女の子が苦しんでるようなものとか放尿のエロい本があったんだよ。そんな性癖の男の人異常じゃない。気持ち悪いよ。関わりたくない」


 え、とかすかな声だけを発して、すぐにげらげら笑い出した。

「そんなのふつーじゃん」


 と信じられない言葉を吐いた。


「え?」

「男なんてみんなそういうもんだよ。実際に行動に移しているならちょっと異常だけど、それでも放尿や緊縛くらいなら正常の範疇だよ」


 言わないだけで、みんな好きなんだから、とあたしの肩をどついた。


「気にしないほうがいいよお。男と女なんてわかりあえないんだからさ。はなっからわかるものじゃないくらいに考えて接するのが一番だよ」


 なんだか信じられなかった。


 弟がいるから、男については知っているつもりだったし、弟はエロ本なんてもってなかった。だから、案外男もエロいものじゃない。と思いこんでいたのだ。


 男友達らしい男友達もあまりいなかったし、下ネタを話すことはなかったから、なおさらだ。彼氏もいないし。


「あたし、わかんない」

「こっこちゃんはエッチな本とか興味ないの?」


 首を振った。


「愛美は早熟だったから、中学の時くらいから読んでたなあ。緊縛とまではいかないけど、ネクタイでゆるく腕を縛ったりするプレイなんか好きだけど」

「それはいいよね」


 二人で同調しあった。あたしもいっさい見ていないわけではなくて、たとえばネットで見かけるエッチな動画や少女マンガのラブシーンは少しは見ていたりした。あの創作がすべてだとは思っていなかったけれど、あれらのような性行為が一般的だと考えていた、ただそれだけだ。


「だいいちさ、セックスなんて綺麗なものじゃないんだよ。野性的で野蛮で理性のない行為なんだよ」


 そんな調子で話していると誠治が帰ってきて、玄関の扉が開く音がした。愛美は目をきらきら輝かせながら、数分間の空白の時間を埋めるように、玄関にまで走っていった。


「どうしたんだよ」


 その誠治のうっとおしそうな声が羨ましかった。


 ちゃぶ台の上に袋菓子を並べて、一斉に封を開けた。こんなに贅沢なお菓子の食べ方をしたのははじめてだ。


「お金渡したほうがいい?」


 聞くと首を振った「俺のおごりでいいよ」と微笑んだ。なんて太っ腹なのだろう。恋に落ちてしまいそうだ……いや、落ちはしないかな。


「そうそう、さっきジョンに会ったよ。なんだか忙しいみたい。こっこちゃんのことも聞かれたよ」


 誠治はポテチを食べながら言う。


「なんて答えたの?」

「知らないって言ったよ」


 ほっとした。


「でも、あんまり休むようなら首になるかもって言ってたよ。あそこやめても大丈夫なの?」


 あたしはばっくれなんてしたことがないけど、もしかして、これってバックレになるのか? 


「愛美はバックレだと思うよ」

「うん。無断欠勤だよね」


 まずい。二人がふつうとかけ離れているとは言え、客観的に考えたら確かに、ただの無断欠勤だ。数日続くなら、それはバックレ扱いになる。働いた文の給料は振り込まれるだろうが、そうだ、あたしは大事なことを忘れていた。


 自分がバイトしているのは生活するためでも遊ぶためでも恋愛するためでもなく、奨学金を返すためだったのだ。


 相川琴美はいったいなにをしているんだ。今やることは、竜也に土下座して謝ることだろう。あいつはいくらアルコール依存者でもバイトでは偉い立場の人間なんだから、刃向かってどうする。


「あたし、もしかしたらまずいことになってるかも」


 二人は首を傾げた。あたしはココナッツサブレを二つ同時に口に放りこみ、飲み込む。


「バイト首になったらどうしよう」


 体育座りをして顔を膝に埋めた。泣きたい。いい歳してあたしは何をしているんだ。子供みたいなわがままを言って、周りに迷惑をかけて、何をしてるんだ。キスがなんだ、性癖がなんだ、門限がなんだ、もっと大切なことがあたしにはあるはずだろう。


「次のシフトはいつなの?」


 誠治は聞いた。あたしはスマホの電源を入れて、スケジュールを確認した。


「えっと、明日」


 どうしよう。でも、明日バイトに行きたくないよ。もっと非現実を楽しみたいよ。家にも帰りたくない。


 でも、今この場で泣き言をいうのもみっともないよ。


「とりあえず、バイト先に連絡したら」


 と誠治がもっともなアドバイスをしてくれる。


「家に帰りたくないなら、バイト終わってからこっちに帰ってくればいいんだしー」


 愛美は易々と言った。


「そうだよ、俺はかまわないよ」


 そうだね、とあたしは再びサブレをつまんだ。


「そういえば、明日の天気って」


 それをあたしが言い終わる前に、スマホのバイブが鳴った。画面には「竜也」と表示されていて、あたしはとっさに「拒否」ボタンを押してしまいそうになったけど、押してしまったら、あたしが無視したことがばれてしまう。


「出たら?」


 愛美はお菓子を口に頬張ったままだった。


 圧力をかけられることに弱いあたしは、結局その着信に出てしまった。「もしもし」竜也はコンビニにいるのか、自動ドアの音楽がかすかに聞こえた。


「今、どこにいるの?」

「何で言わなきゃいけないの」


 はあ、とため息。


「昨日お前が休んだからシフトに穴が開いたんだよ」

「でしょうね」


 冷静さを装っているつもりでも、心臓はばくばくとうるさく音を立てていた。あまりにうるさすぎて、竜也に聞こえてしまうのではないかと不安になるほどに。


「お前の実家に電話かけても帰ってないって言われてさ。電話も通じないし」

「そりゃあ、電源切ってたもの」

「どうして」

「着信くるだろうと予想したから」

「今どこにいるんだ」

「友達の家」

「行くから教えろ」

「嫌だよ」

「俺に会わせられないような奴なの?」

「あんたはいつ、あたしの保護者になったのよ」

「お前の尻拭いしているうちは保護者面するつもりだぜ」


 黙るしかない。そのすきに、あたしの隣にいた愛美がスマホを颯爽と奪い取った。


「ファミマ近くにあるライオンズマンションの七○五号室にいるよ」


 誠治はやれやれと言いたげな呆れた表情をしている。あたしは何も言えずに、口を手でおさえたままだ。


「じゃあ、待ってるよ」


 とスマホをあたしに渡した。愛美は目を細くして恍惚とした顔をしていた。


「あの人の声、タイプかも」

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