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 あたしが竜也以外の誰かとキスしたと知ったら、どんな顔をするだろうか。


 悲しむだろうか、苦しむだろうか、それともほんとうの意味で竜也はあたしを大事にしてくれるだろうか。「もうお前を離さない」なんて歯の浮く台詞を言ってくれるだろうか。


 誠治と肌を重ねるたびに、自分の図々しさに気がついた。竜也がどう思うか竜也は竜也を竜也に、そればっか。


 でも、誠治だって、目は空虚を見ているばかりだから、きっとあたしと同じなんだろう。


 あたしたちは狭いソファに二人で寝そべった。


「明日は何する?」


 誠治に聞いた。彼は目をつむったままあたしの首を引き寄せて「何しようか」とゆるんだ声のまま言った。


「あたしは何でもいいよ」

「することないよね。下手に外でるのもまずいし」

「セックスでもする?」


 冗談で言うと、それもいいかもね、と彼は笑った。


 時間はもう深夜になっていて、あたしたちはスナック菓子をつまみながら、テレビを見ていた。


「この番組はテレビ東京系で十二月に放送された番組です」が画面の下方に流れて、少しだけげんなりする。

「お酒でも飲む?」


 立ち上がって、キッチンに向かう誠治の背中を一瞥して「何がある?」とまたテレビに目線を戻した。冷蔵庫の開く音がかすかに聞こえた。


「ビールと、チューハイと梅酒くらい」

「じゃあ、梅酒の水割りがいいな」


 オッケーと親指を立てて、冷蔵庫を閉じた。グラス同士が鳴る音や、とくとくとペットボトルからミネラルウォーターをそそぐ音が気持ち良い。 テレビの電源を切って立ち上がろうとしたとき、ピンポーンとインターホンの音が鳴った。ここはオートロック式マンションだから、エントランスの鍵を開けなければならない。


「鍵開けてくれる?」


 誠治はそう簡単に言いつけたけれど、あたしは混乱していた。絶対に、九割九部あたしの知っている誰であることは火を見るより明らかだろうから。


 でも、この部屋の主に「出てくれる?」と言われた以上、出ないわけにはいかないから、リビングの壁に張り付いているインターホンの解錠ボタンを押した。


「誰だろう」


 誠治に聞くと彼は首を傾げた。ちょうどお酒を作り終えたところらしい。ちゃぶ台に梅酒と缶ビールが置かれた。あたしたちはソファに座り込んで、乾杯して一緒に飲んだ。


 ピンポーン、再びインターホンは鳴る。今度は誠治が出てくれた。深夜というのに、いったい誰なんだろうと、不安で手足をそわそわさせていると玄関から


「あれ? 誰かいるのー?」


 と聞き覚えのある女の声が聞こえた。愛美だ。


「誰もいないよ」


 さすがに誠治も焦ったのか、すぐにばれるような嘘を繕った。だって、あたしの靴は玄関に出しっぱなしだったもの、そりゃあ気がつくに決まってる。


「誰もいないのに、女物の靴があるの?」

「そういうこともあるよ」

「これまでなかったじゃん。あっ、一度だけあったね、ネットで出会った女連れてきてたとき」


 あ、と誠治のどもった声を愛美はくぐり抜けて、リビングまで走ってきた。あたしも、そんな風にやってくるなんて思ってなかったから、ソファで身を縮めていたのだ。


 リビングにまでやってきた愛美は呆然とした顔をして突っ立っていた。あたしは、目線がさだまらなくておどおどと空中や壁をぐるぐると眺めた。だって、愛美が今にも泣き出しそうな顔をしていたんだもの。


「どうして、こっこちゃんが」


 無表情のまま、彼女の宝石からきれいな涙を流した。


「えっとね、家出したの」

「家出してわざわざどうして誠治の家に?」

「これにはわけがあって」

「わけ?」


 これまでのことをざっくばらんに彼女に話した。フォロワーのかにかまさんが誠治だったこと、どこにも行く宛がなかったこと。


「どうして、私を頼ってくれなかったの」

「悪いかなって思ったから」

「友達じゃなかったの?」


 愛美は大声を上げて泣いた。うえーんと子供みたいだった。その声を聞きつけた誠治はリビングにやってきて、「どうしたんだ?」と彼もまた今にも泣き出しそうな顔をしていた。なんだかんだで愛美が大切なのだろう。


「次、こういう機会があったら愛美を頼るから、ね」


 ソファから起きあがって、立って泣いている彼女の肩を抱いた。口をとがらせて顔を真っ赤にさせたまま、うんうんと何度もうなずいていた。


「セックスした?」


 愛美は聞いた。


「誠治とのセックス良かった?」

「セックスはしてないよ」

「じゃあ、何したの?」

「キスだけ」


 彼女は大きな目をさらに見開かせた。


「愛美はキスをしたことないからねえ」


 首を左右に揺らしながら、にこにこと笑ってる。


「こっこちゃんには竜也がいるのに?」

「付き合ってすらないよ」

「でも、好きなんでしょ? だめだよ、こんなろくでもない男と簡単にしちゃあ」


 そうだね、と答えた。いや、彼女だって人に言える立場ではないだろう。


「愛美は、傷ついてないの?」


 きょとん、とくりくりさせた目が座る。


「日常茶飯事だし、愛美は体の関係なんて些細なものだと思ってるの。誠治の心を手に入れてるから、体くらいはみんなに使わせてあげてもいいかなあって」


 彼女の広大な心にあっ関された。心配するのがばかばかしく思える。


 そして、自分の心の狭さに恥ずかしくなった。あたしはこんな風に考えられないし、体も心もあたしのものであってほしいと思う。恋人なんて、できたことないから、ただの想像だけどさ。


「いつまでここにいるの?」


 あたしは誠治に目配せした。自分自身いつまでいるかなんてわからなかったからだ。


「どうだろうね、こっこちゃん次第じゃないかな」


 

 もしかしたら、今は神様が与えてくれた第二の青春なんじゃないか、と思う。それほど、充実して、みんなと一緒にいると楽しかった。


 愛美は「明日もくるね」と顔をほころばせたまま、帰って行った。誠治はというと、


「なんだよ、体くらいはってあいつは何様なんだ」


 つぶやきながらやけ酒に走っていた。


「あんまり飲み過ぎちゃだめだよ」

「わかってるよ」


 すでに缶ビールを五缶開けてるし、ピッチも早い。対照的にあたしはまだ梅酒の水割りを二杯しか飲んでいないというのに。


「そんなに、愛美のこと好きなら告白すればいいのに」


 飲んでいた缶ビールを机に置いた。


「あのなあ、俺だってあんなビッチと付き合いたかねえよ」


 こんなにも口の悪い誠治ははじめてみた。


「でも、美人じゃん」

「俺はあ、そんなに顔重視じゃないの。むしろ芋っぽい子のほうが好きなの。若い頃のキョンキョンみたいな」

「若い頃のキョンキョンなんて知らないけど、十分美人じゃない」


 誠治は大きな声でうなりながら頭を抱えた。


「顔はいいよ、でもな、あいつはだめだ。俺の過去を人に言いふらすし、へましたらせせら笑う。最悪だ」


 恋に落ちる相手を選べないことは不幸なのかもしれない。確かにあたしだってかつての竜也なら好きだけど、今の竜也とは付き合いたくない。


 きっとあたしは竜也のことが好きなのだろうけど、告白なんてしたくない。


 誠治も同じなのだろう。欠点が多い相手でも、自分が許容できない相手でも、恋に落ちるときは一瞬だ。ある意味、遺伝子と運のロシアンルーレットみたいなもので、あたしたちの人格と呼んでいる感情では制御することのできない不都合なものなのかもしれない。


 だから、世の中には不倫や浮気や、不幸な恋愛をする男女で溢れているのだろう。きっと今でもだめ男にだまされたり、殴られて泣いてる女がいるに違いない。でも数日経てばけろっとした顔をして「でも、私がいなくちゃだめなの」と友人に話すのだ。そんなものだ。


 こんな風に世の中を俯瞰してえらそーな口を叩いてるあたしだってほとんど恋愛経験はないし、周りの話を聞いたり、マンガや小説を読んで少しだけ知ってるくらいで経験は伴っていない。なのに俯瞰するなんてとても図々しいなあ。


 だけど、世の中ってそんなものじゃないだろうか。


 みんながみんな経験豊富なわけもないし、経験のあるふりをして偉そうに何かについて語ってる。


 たとえば、「本当に自殺する奴は泣き言を言わない」とか「お前のような人間はどこにいっても通用しない」だとか。実際経験してるのは一度や二度か、または一度も経験したことがないかもしれないが、誰かから聞いた話をそれっぽく装飾することであたかも経験したかのように話すことができるのだ。


 なんておこがましいのだろう、でも、たいていの人間はそうして生きているし、そうやって人と接して生きているのだ。


 装飾がへたくそな人間はきっと友達があまりいないだろう。うそにもならない嘘をたくさんついてあたしたちは生きている。それが大人ってやつなんだろう。多分。


「でも、愛美とセックスしたくないの?」

「別にしたくないわけじゃないけど」


 でも、と誠治は続けた。「あの子かわいそうだから、特別したいわけでもない」


 かわいそう? と聞いたら、誠治はうなずいた。


「あいつの大事な人を傷つけたからさあ」

「過去のことでしょ?」

「おれあ、傷つけた自覚がないんだわ。あいつが泣いてたから、それに気がついてさ、いまだによくわからないんだ。人を傷つけるとか傷つけないとか、心だとかそういうことがさ」


 俺がわかるものは体だけだからさ、と付け加えて、誠治は寝息をたてた。

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