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「俺の純粋な感情はあの時に死んでしまったんだよ」


 目を覚ますと、誰かのぬくもりを感じた。体は節々が激しく痛み、フローリングの冷たさが手足から伝わってくる。目をこすっていたら、ひざまくらしていた足がぴくりと動き、竜也はあたしの顔を覗き込んだ。


「大丈夫か」


 ゆっくりと奴から目をそらして、うんと言った。それを聞いた竜也はふうん、とつぶやいてから


「昨日のお前、変だったぜ」


 あたしの前髪をさわさわと触りながら言った。


「あんただって大概じゃない」

「そうかもな」


 俺たち、案外お似合いなのかもしれないな、と竜也は体を右斜めに傾けた。あたしは、冗談じゃないわ、と吐き捨てて、もう少し寝ていい? と聞いた。いいよ、と竜也はあたしの頬を撫でた。それから、目を閉じた。いつかの夢を見るために。


 かつてのあたしの王子様だった人は今ここにいる。かつての、王子様を追っかけていた庶民のあたしはもう死んだのだ。


 王子様を追いかけるのはお姫様だけだし、だいいち、王子様にかけられた魔法も解けてしまって、ただの庶民になってしまっていた。


 目を閉じたまま、あたしは言った。


「あんたは昔のあたしにとって王子様だったのよ」


 奴は吹き出して、咳き込んだ。


「それ、本気で言ってんのか」

「うん。本気だよ。でも、もう王子様はいなくなってしまったの」

「じゃあ、お前はどうすんの。だいたい、お前はお姫様じゃないだろ」

「どうしようかな」


 不思議なほど恥ずかしさや照れはなかった。だからすらすらと言葉にできたのだろうし、竜也に伝えることができたのだろう。


 ひたすら、竜也は頭を撫でつづけた。湿っぽくて大きな手に包まれている感覚がとてつもなく気持ちが良い。おそらく、これが幸せなのだろう。



 幸福は束の間で再び起床した時には竜也は部屋にいなかった。置手紙がちゃぶ台にあり、あたしの体には毛布が掛けられていた。


「バイトがあるから行ってくる。鍵を置いておくので、バイト先にまで持ってきてくれたら嬉しい」


 思った以上に整った字だったので、あたしは拍子抜けしてしまった。竜也の字なんてろくに見たことがなかった。


 ぼんやりとした頭を押さえて辺りを見渡すと、酒の空瓶や空き缶などは片づけられていて、あと竜也のジャケットがふすまに引っかかっているだけだった。


 昨日、酔っていた時の記憶は漠然としか覚えておらず、あたしは重大なことを告白してしまったのではないか、そんな気がしていた。


 現在の心境では竜也のことなんて微塵も好きではないし、生意気な性格やアルコール依存なところを好きになれるかといえば全く好きになることはできない。


 しかし、竜也の他の部分、例えば仕事のできるところだとか、優しいところや面倒見の良いところには惹かれているし、好きなところではあった。


 そういえばいつも入ってはいけない、と言われていた部屋があったのを思い出した。竜也はいないし、鍵もかかっていないのであたしはつい、好奇心で、リビングの隣のその部屋の扉を開けてしまった。


 蛍光灯をつけると、パソコンが二台デスクにあり、ディスプレイが一枚はデスクに、もう一枚は壁に配置してあった。


 一歩足を踏み入れる。恐ろしく緊張しているのか手に汗がにじんでいた。


 パソコンの他には本棚が並んでいた。書斎部屋なのだろうか。英語の本や経済の本など、竜也らしくない難しそうな本があるなかで、端の方にある段ボールが目に入った。あたしはつばを飲み込んで、その段ボールの中を覗き込んだ。


 一冊手に取ったらそのタイトルには「緊縛少女」というゴシック体のタイトルがあった。他にも「放尿」や「拘束」だとか、気持ちの悪い本のタイトルばかりで、しかもアニメキャラものだけではなく、人形やリアルの人間のものまであった。


 あたしの中の竜也の印象ががらがらと崩れ落ちた。


 何を考えていたのだ。王子様でも庶民でもないじゃないか。ただの変態だ。


 縛られた少女は恍惚とした表情を浮かべていた。それはまるで都合の良い人形だった。段ボールを閉じて、元の位置に戻し、あたしは鍵をもって竜也の家を出た。気持ちが悪かったのだ。吐き気がするわ。


 きっとあの本で奴はセンズリをこいていたに違いない。あたしが眠っていたあの床も、あたしが触ったちゃぶ台も、鍵も扉もすべて奴が精液やペニスを触った手で触ったものなのかもしれない。あんな少女の悲惨な姿を眺めて出したモノが、いたるところに付着しているのだ。


 あたしは竜也のアパートを飛び出して、近くにある自販機の隣にもたれかかってSNSを開いた。


「気持ち悪い。どうして男って汚らわしいの。あいつらと同じ人間だなんて信じたくない」


 しゃがみこんで吐き出したつぶやきは、薄っぺらでどーでもよくて、誰にも見られずに消えていくのだ。こんな台詞を竜也に吐けたならよかったのに。


 タイムラインにいるかにかまさんが写真をツイートしていた。それはありふれた道端のありふれた風景で、あたしがよく見ている風景だった。そのつぶやきは三時間前のつぶやきで、その道路はちょうどあたしがいる小道から大通りに出たところにあり、近くに滞在していることがわかかった。


 すぐさまかにかまさんにメッセージを送る。あたしの住んでいる地名にいるのかどうか問いかけたら


「うん。俺はそこに住んでいるよ」と返信が返ってきた。かにかまさんのタイムラインを見てみると

「緊縛萌え」「放尿好きすぎる」などというツイートがあって、もしかしてかにかまさんと竜也は同一人物なのではないか、という疑問が浮上した。


 あくまで疑問である。


 しかし、かにかまさんだとしたら、女性とのあらゆる不埒な関係や暴力的な行為をしたことになる。噂ではあるがあまりに多いのだ。かにかまさん自身は否定しているけれど、たった一人の否定で他の大勢がいう噂を打ち消すことはできるはずがない。


 鍵を返すために、あたしはファミレスへ向かった。



 ファミレスにはいつものように竜也が酒を飲みながら仕事をしているいつもの風景があった。あたしが奴の秘密を知ったことなど知らないから、そんなのんびりと間抜けな顔ができるのだ。


 私服のままで調理室に侵入し、竜也に鍵を渡した。しゃがんで機会を触っていた竜也はあたしの顔を見るなり、無邪気で人懐っこい表情になって


「ありがとう」


 と言った。あたしはその作られたかもしれない表情に腹が立った。そうやって女を騙しているに違いないわ。


「お礼なんかいいよ。どーでもいいし」


 竜也はあたしの心境の変化に気が付いたのか、首をかしげて立ち上がった。


「どうしたんだ? 俺、何か気に障るようなことをしたか?」


 まるで自分が完ぺきな善人であるかのような物言いだった。


「さよなら」


 とはっきりと一言一句聞こえるように言ってから調理室を立ち去った。


 奴は仕事中なのであたしを追いかけることもできないし、奴の性格ではあたしにわざわざメッセージを送ることもしないだろう。だいいち、酒を飲んでいたようなのであたしの言葉なんかすべて忘れてしまうのかもしれないけど。


 心臓が破裂しそうなほど興奮しながら大股で自宅へ向かった。そこらにある電柱や自転車、あと車なんかをすべて破壊してやりたい衝動に駆られていて、頭はじんじんと熱く痛むし重いしで、とても苦しかった。



 帰宅するとすぐさま罵倒が飛び込んできた。そういえば今日は日曜日だし、家族全員が家にいる日だった。


 玄関までつかつかと禿げた頭の父が早歩きで向かって、私の頬を叩いた。まさか、門限があるとはいえ、それを破ったくらいで叩かれるなんて思っていなかった。だって、私はもう二十三歳だもん。


「何で、昨日帰ってこなかったんだ」


 怒鳴り声は大きすぎてキンと耳に響いた。ふさぎたくなる衝動を抑えながら


「友達と遊んでて」


 と俯きがちに言うと、連絡くらいよこすこともできただろう。と続けた。


「連絡して許してくれたの」


 父親は、ばつの悪そうな顔をした。


「今ほど怒ることはなかった」


 廊下から、母があらあら、とのんきな声を発しながら、ぱたぱたと小走りで玄関にまでやってきた。


「琴美ちゃん、昨日はどうしたの~?」

「友達と遊んでて」

「友達できたの! すごいわあ。琴美ちゃんには友達いなかったものね」


 妙に語尾の延びる口調に神経を逆なでされる。


「いなかったわけじゃないよ」

「でも~、いたらほらあ、飲み会とかするじゃなあい」


 その言葉に、堪忍袋の尾が切れた。親を殴るわけにもいかないので、地面を思い切り踏みつけて二人を交互ににらみつけた。


 誰のせいで、飲みに行ったり遊んだりできなかったと思っているんだ。私にだって大学の時に友達がいたし、二次会にだって誘われたことがある。それを全部断っていた理由は門限があるせいだった。なのに、そんなの知らないと、自分のせいだと言わんばかりに、友達がいないなんて言われたら、そりゃあ、腹も立つだろう。


 私は玄関を飛び出した。


 もう、耐えきれない。


「琴美ちゃん」と呼ばれることや、二十三歳なのに門限を破ったくらいで叩かれること、二十三歳なのに自立できない自分も、すべてに腹が立つ。


 だから、当分は家に帰りたくなかった。こうやって行動を示さないとあの二人は何も変わらないと、知っているからだ。行動を示したところで、多分何も変わらないのだろうけど、それでも抗議したかった。してみたかったのだ。


 けれど、私はどこへ行こうか。


 コンビニ前まで走り抜けて、一休みしながら考えた。竜也を頼るにしても、彼の顔を見るのさえ戸惑うのに、かくまってくれなんて言うことはできない。じゃあ愛美? そんなに仲も良くないし、じゃあ誠治? 論外だ。


 あたしは恐ろしく人望がないのかもしれない。


 SNSを開くとかにかまさんのアイコンが目に入った「退屈だ」そこであたしは思いついて、メッセージを打ち込んだ。


「これから会えませんか」


 正直なところ、かにかまさんが暴力野郎でも、変態な男でもかまわないと思った。とにかく、あたしを知らない人、干渉しない誰かに会いたかったのだ。かにかまさんなら、きっと出会い慣れているだろうから、干渉もしてこないはずだ。


 返信はすぐだった。


「いいよ。いまどこ?」


 すぐさま、マップを開いて現在位置のスクリーングショットを送りつけた。


「オッケ」


 本当にかにかまさんはすぐ近くに住んでいるのか。としみじみと思った。地方都市だし、ネットで出会う確率だって、低いはずなのに。


 コンビニの駐車場で突っ立ったまま、ネットウォッチングのスレッドを眺めていた。SNSの有名人も、そこに書かれたりする。ある意味、芸能人みたいなものなのだろう。だいたいは悪口だ。いつもは眺めないし、書き込みはもちろんしない。


「@かにかま 匿名だから偉そうな口たたけるんだろ、メッセ送れよ。そんなに俺のことが好きならさ」


 やはりかにかまさんも晒しあげられているのか。それほどに、彼は有名人だ。


「嫌だよ。どうしてお前にコンタクト取らなきゃいけねえの? 俺は弱小アカウントなので笑」

「弱小垢のくせにあんな口利いてたの笑 何様なんだよ」


 これから、このかにかまさんに会うのかと思うと、緊張してしまう。


 私はコンビニ店内に入って、チキンを一つだけ購入して再び外に出ようと、扉を押そうとすると、そこに誠治がいた。


「あ、久しぶり」

「うん。久しぶりだね。買い物?」


 出て食べたかったのに、結局店内にとどまることになった。「まあ、ちょっとね」と困ったような笑顔を浮かべて、頭をかく。


「そういえば、コンビニスイーツでおいしそうな新作出るんだよ」


 すたすたとお菓子コーナーの横にあるスイーツコーナーへ歩いていった。あたしは、その大きな背中を追いかける。


「ほら、ロールケーキの抹茶味」

「誠治は抹茶味好きなの?」

「まあまあ。こっこちゃんは?」

「うん。好きだよ。一時期はまってたんだ。毎日のように抹茶スイーツ食べてたよ」


 誠治はロールケーキを二つ購入した。あたしは会計の間外でチキンを頬張りながら、SNSでメッセー

ジを送った「どんな容姿ですか?」


「おまたせ」


 誠治は扉を押して出てきた。駐車場の隅にいるあたしの横に立って、スマホを触っている。


「こっこちゃんはこれから用事あるの?」

「一応、ここで人と待ち合わせしてるの」


 ふうん、と彼は答えた。


 スマホが短いバイブ音を鳴らした。かにかまさんからのメッセージだ。


「下がジーンズで上がチェックのシャツに薄手の白いシャツを着てる」


 なるほど。「わかりました。待ちます」返信すると誠治のスマホが短い音を鳴らした。


 横にいる誠治の目線はスマホにしか向いていない。ひょっとしたら、誠治がかにかまさんだったりして! なんて、あり得ないだろうな、と改めて格好を一瞥した。色の薄くなった(たぶんファッションだろう)ジーンズにニューバランスのスニーカー、上着は白いシャツだ。


「もしかして」


 あたしは口元を押さえた。まさかまさか。誠治が、かにかまさん? いやいや、そんなことはあるはずがない。スマホは再び短いバイブ音を鳴らした。


「もしかして、こっこちゃん?」


 互いに顔を合わせた。誠治もきっとあたしと同じ気持ちでいたに違いない。


「信じられない」

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