第一愛
入院することになったわたしは、検査、検査の毎日を送っていた。
インターハイにはわたしの代わりに二年生の須藤麗奈が団体戦に出ることになったようだ。
麗奈はいつもわたしにまとわりつき、わたしのことを尊敬してくれている可愛い後輩である。
「凛、具合はどうだ」
仕事を終えたパパが病室のドアを開けた。
「絶好調だよ」
パパはわたしの大好きな抹茶のケーキを入れた箱を手に持ち、わたしが寝ている隣にそうっと置いた。
「先生や看護師さんには内緒だぞ」
「わあ、やったあ」
わたしはパパに抱きつきほっぺにキスをした。
パパは嬉しそうにわたしの頭を撫でてくれた
。
パパは四十八歳。短髪、色黒、ガッチリ。それでいてダンディーな雰囲気をもっている。禿げてしまいそうな様子は全くない。
わたしさえいなければ、おそらくとっくに彼女でも作っていたのだろう。 ママが亡くなってから男手一つでわたしを育ててくれたのだ。
「そういえば、今日はインターハイの一回戦じゃないのか?」
パパの問いかけに、わたしはスマホを取り出しチームメイトから送られてきた写真をパパに見せた。
「ジャン」
その写真を見ただけで、今日の一回戦に勝ったことは明らかである。
みんながピースを作り、カメラのレンズに目を向けていたのだ。
「勝ったのか。良かったじゃないか」
パパはそう言って笑顔を見せた。
「あ、パパ。少し顔に皺が増えたんじゃないの?」
いつまでもかっこいいパパでいて欲しがったわたしは、パパの皺の数が少しきになったのだ。
「お前が心配させるからだろうが」
「パパ、ごめんね。わたしのせいで......」
「何言ってんだ。冗談だよ。パパは凛の為なら苦労も苦労のうちに入らないよ。しっかり病気治してパパを越えるんだぞ。いいな」
「うん」
――コンコン。
誰かが病室のドアを叩いた。
「凛ちゃん、具合はどうかな?」
ドアを叩いたのは主治医の遠藤先生だった。
「遠藤先生、大丈夫です。わたし、全然元気です。インターハイの応援に行っちゃだめですか?」
先生は少し俯き話を始めた。
「いいですか? 凛ちゃん、今から私が言うことを、ちゃんと聞いて下さいね。お父さんも聞いて下さい」
遠藤先生は何か重大な話を始める人のような、緊張感のある表情をしていた。
「お父さんも凛ちゃんも、取り乱さないで聞いて下さいね」
遠藤先生の言葉に、わたしはパパの手を握りしめた。
「先生。わたし、どうなるの? 死んじゃうんですか? はっきり言って下さい」
遠藤先生は首を振ると、
「全力は尽くします。まだまだ完治する可能性は充分に残っています」
あっけに取られていたパパは力なく呟く。
「癌とか、そういう類のものなんでしょうか?」
先生は覚悟を決めたかのように頷いた。
「はい。慢性白血病です。でも私がお父さんの了承も得ないで、凛ちゃんに告知したのは助ける自信があるからなんです。まだステージⅡです。五年生存率は四割から六割。本人が生きたいと願う気持ちも大切なんです。だから、告知しました。凛ちゃん、先生と一緒に戦おう」
パパは涙を流し、
「先生! 娘を助けて下さい。お願いします」
そう言って、先生にしがみついていた。
どんな時でも堂々としていたパパが、命乞いをしていた。わたしの為になりふり構わず頭を下げていたのだ。
「打ってもいないのにアザができたり、出血がなかなか止まらなかったり。白血病の初期症状なんてす。全力は尽くします。安心してください」
先生はそう言って、わたしに笑顔を投げ掛けた。そして、パパの肩をぽんと叩いて病室を出ていった。
◇◇◇
八月八日、チームメイトから続々とLINEが送られてきた。
――凛、ごめん。
――凛先輩、ごめんなさい。
どうやら団体戦の決勝で負けたようである。
「みんな、お疲れ。準優勝おめでとう。わたし、みんなのこと誇りに思うよ」
わたしは独りごとを言いながら窓の外を見た。
すると今までは全く聞こえてこなかったセミの鳴き声がわたしの耳に届けられた。
今、目の前で泣いているセミ達は一週間ほどで死んでしまう。短い命ではあるけれど、セミ達は命を全うして死んでいくのだ。
私も命を全うできるのだろうか。そんな不安が過った。
気づくと外の熱気が部屋に入り込んでいた。わたしは窓を閉めベッドに戻り休むことにした。
――ピンコン
また誰かからLINEが来た。わたしはスマホを確認する。
「あっ、翔君だ」
わたしは、わくわくしながら彼氏から送られてきたLINEを開く。
――ごめん。別れよ。病気でエッチも出来ないし、凛の病気が治るまで待ってらんないし。
全国の女性を敵にまわすような、あり得ないメッセージだった。
「そんな別れ方......」
彼はわたしのことを愛してくれていた。そう信じて二年間付き合ってきた。
病気になったとたん、エッチができないことを理由に振られてしまったのだ。
振られてしまった女性というものは、泣きじゃくってしまうもの。そう思っていたのだけれど、わたしは涙一つこぼす事はなかった。




