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第十八愛

 バスを降りたわたしはトートバッグを抱えながら家に向かった。数時間前、ここを通った時とそのバッグの重さは変わっていない。


 お揃いの野球帽を被っている少年たちは大きな声を掛けながら白いボールを追いかけている。

 何の悩みも持っていないような輝く瞳には白球しか写っていないんだろうな。半年前の自分の姿と重ね合わせながら野球少年を眺めていた。


 わたしは家に帰ると真っ直ぐ自分の部屋へ向かっていった。勉強机に大小二つのお弁当を並べ、大きい方の蓋を開けた。タコさんウインナーが大きく足を広げわたしを見つめている。


「なんで……翔君。わたし……どうすれば……」


 わたしは溢れ出る涙を我慢する事なく泣き続けた。勉強机に右の頬を置き、タコさんの頭を左の中指でつんと叩く。しかしタコさんは返事をしてくれない。

 

「なんか言ってよ」


 小さな声でそう呟くけれど、タコさんは無表情のままである。


 わたしはそのまま眠ってしまった。気づいた時には窓の外は闇に包まれていた。

 暗闇の中で孤独な時間がゆっくりと流れていたようだ。


「あれ? タコさんがいない」


 慌ててベッドの枕元にある目覚まし時計を見る。時計の針は七時を少し過ぎたあたりを指していた。


 リビンクに行くとパパがキッチンでお野菜を切っていた。


「おう、起きたか。お前の部屋に行ったらすやすや寝てたから放っておいたよ。今日は鍋にしようと思ってな。締めは雑炊がいいか? それともうどんか?」


 パパの顔を見るとまた涙が溢れてきてしまった。わたしはエプロン姿のパパの胸に飛び込んだ。


「どうしたんだ。ほら、涙を拭いて」


 パパはエプロンの端をわたしの目に押し当てる。


「パパ、ごめんなさい。話があるの」


「どうした? さては彼と喧嘩でもしたな?」


 パパは土鍋の火を止め、缶ビール片手にリビンクのテーブルに座る。


「何から言っていいのか……。あのね、翔君……今日亡くなっちゃったの。膵臓(すいぞう)癌も併発してたみたいで……」


「なんだって? 翔君が亡くなった? 退院するんじゃなかったのか! そうか。それでお前、お弁当食べてなかったのか。気をしっかり持つんだぞ」


 どうやらタコさんを食べたのはパパのようだ。しかしそんなことはどうでもいい。後一つ、パパに打ち明けなければならない事がある。


「パパ、それからね……」


 わたしはそこまで言うと言葉につまってしまった。


「どうした。まだ何かあるのか?」


 パパは缶ビールを口元まで運んでいたけれど、飲まずにテーブルへ戻した。


 パパの目を見る事ができず下をむいたままわたしは口を開いた。


「う……うん。パパ、ごめんなさい。わたし……」


 覚悟を決めたわたしはすっと頭を上げパパの目をしっかりと見つめた。


「わたし……お腹に赤ちゃんがいるの」


 再び缶ビールに手を伸ばそうとしていたパパの右手はぴたりと止まった。


「そうなのか。相手は翔君だったのか?」


 予想に反してパパは落ちついていた。柔らかい言葉の裏にある動揺を必死に隠しているのだろう。

 わたしはこくりと頷いた。


「どうするんだ?」


「中絶しようと思ってる」


「そっか。分かった」


 淡々とした会話だったけれど、パパの声のトーンの中にわたしは優しさを感じとる事ができた。

 

 胸の支えが取れたわたしはお腹が減っている事に気がついた。


「そう言えばお弁当二つとも残ってるからパパも食べる? お鍋ってもう作っちゃった?」


「そうだな。お鍋は明日にして、今日はお弁当食べようか」


 サラダとお味噌汁だけ作り、二人でお弁当を食べる事にしたのだ。


 お弁当を食べてくれたのはパパに変更になってしまったけれど、わたしの長い一日はようやく終わろうとしている。


 寝る前、わたしたちは海外で行われているテニス中継をテレビで観ていた。


「ジョコビッチ圧勝だね。わたし、そろそろ寝るね」


「そうか。ゆっくり寝るんだぞ」


「うん」


 わたしは部屋へ向かいかけたが一旦止まり振り返る。


「あっ、パパ」


「どうした?」


「いや……その……ありがとう」


 パパは笑顔を作りうんと頷いた。



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