第十二愛
新しい年の幕開けと共に、とうとう退院の日がやってきた。
あの暑い夏から半年が経過していた。異例の早さでの退院である。遠藤先生も鳥越さんもびっくりするほどの早さのようだ。
わたしは荷物をまとめてくれているパパに耳打ちした。
「ああ、行っておいで。パパは一階のロビーで待ってるから、ゆっくり話をしておいで」
「パパ、ありがとう」
わたしはパパに頭を下げると、一目散に翔君の病室に向かった。
――コンコン。
「どうぞ」
翔君の元気な声が聞こえてきた。病室のドアをスライドさせ中を覗き込む。きょろきょろと部屋中に目を這わせ誰もいない事が確認できると、わたしは彼の胸に飛び込んだ。
「具合はどう?」
「……」
「翔君? どうしたの?」
初めて見るわたしの私服姿を驚いたような顔で見ていた。
「今まで、パジャマ姿しか見たことなかったからつい見惚れちゃった。凛、可愛いよ」
「ありが……」
わたしが話し終わるのを待つ事なく、彼はわたしの唇を塞いでしまった。そして彼の右手はスカートの中をまさぐり始めた。
「翔……君。駄目だよ」
彼は手を離し項垂れた。
「ごめん。明日から毎日は逢えないんだって思うと寂しくて……」
「大丈夫。お見舞いにくるから。それに、翔君ももうすぐ退院でしょ? 頑張って。わたしの為に早く退院して。ね?」
「分かった。でも凛もまだ安静が必要なんだから、無理してまで見舞いに来ちゃ駄目だよ」
「うん」
これ以上一緒にいると涙がこぼれてしまいそうな気がした。翔君の為にも笑顔でお別れしなきゃ。
「下でパパが待ってるから行くね」
彼と別れて廊下に出た瞬間、我慢していたものが一気に溢れ出してきた。逢おうと思えばいつでも逢える。そんな事は充分に分かっていたのだけれど、何故か涙は止まらなかった。
パパにもこんな泣き顔は見せたくない。落ち着く為に少しの間トイレの中で時間を費やす事にした。
鏡に映るわたしはパパに買ってもらったニット帽を被っている。髪の毛はまだ抜け落ちたままである。
早くお洒落をして愛たちとお出かけしたい。早くお洒落をして彼と手を繋いで歩きたい。
髪の毛がない事を少し恥ずかしくも思い、悔しくも思った。
しかし次の瞬間、「今、わたしが鏡に映っている」という事実に気づいたのだ。
わたしが映っている。そう、わたしは今こうして生きているんだ。髪の毛がない事くらい、造作もない事。
生きている喜びを噛み締めながら、わたしを待つパパのもとへ一歩一歩歩き始めた。
病院のロビーへ行くと、わたしを見つけたパパはこちらへ向かって手を振った後、手招きをした。
パパの隣には遠藤先生と鳥越さんがいたのだ。わたしが小走りでパパたちの所まで行くと、
「遠藤先生と鳥越さんが待っててくれたんだぞ。ちゃんとお礼言いなさい」
「あっ、すみません。お待たせしてしまって。先生、鳥越さん、本当にありがとうございました」
二人に見送られながら、わたしはワンボックスカーの後部座席に乗り込んだ。窓を最大に開け、二人が見えなくなるまで、わたしは手を振り続けた。
「パパ、わたしが入院してる間、ちゃんとご飯作って食べてた? 一人分で面倒だからってコンビニのお弁当ばっかり食べてたんじゃないの?」
「凛には敵わないな。その通りでございます」
パパはバックミラーに映るわたしに向かって首をすくめた。
「もう! やっぱり。O型のパパらしいわね。おおざっぱって言うかなんで言うか。ハァ。今日はわたしがちゃんとした料理作ってあげるから、途中でスーパーに寄ってね」
きっちりした性格であるママの血を受け継いだA型のわたしはため息をついた。
するとパパは慌てた様子を見せた。
「えっ? いやっ、大丈夫だよ。凛も病み上がりだし……その……お寿司でも取ってたべようか」
その後、何度作ると言ってもパパは「病み上がりだから」を理由に断り続けた。
病院から程近い場所にある我が家に着いた。半年前と変わらない景色がわたしを迎えてくれていた。
わたしは玄関へ入り、廊下を通ってリビングに向かっていった。
リビングのドアを開けると真っ暗だったはずのその空間に自然と明かりが灯った。
――パンパンパンパン‼
何かが爆発したのだろうかと勘違いする程大きな音が鳴ると同時に、大勢の人たちが奥から出てきた。
「退院おめでとう」
「凛先輩おめでとう」
「凛、待ってたよ」
驚いて固まるわたしに、見たことのあるたくさんの笑顔が押し寄せてきたのだ。
わたしはもみくちゃにされながらみんなを抱き締め返した。
「みんな……ありがとう」
涙で言葉にならなかったけれど、わたしはなんとか言葉を絞り出した。
テーブルにはところ狭しと色とりどりの料理が並んでいた。




