第十愛
クリスマスイブまであと一週間を切っていた。わたしは翔君に会いたくて車イスにでんと腰を降ろした。
退院できるほど回復していたので歩いて翔君の部屋に行く事も考えたのだけれど、車イスのほうが速い。そんな結論に辿り着いた為、わたしは両手で車輪をぐるぐると回した。
――コンコン。
彼の部屋のドアを叩いただけでわたしの心は踊った。
「どうぞ」
確かに「どうぞ」と聞こえた。しかしその声の主は若い女性であった。
えっ? 誰なの?
わたしは一抹の不安を覚えながらもドアをスライドさせた。
「あら、凛ちゃん。退院おめでとう」
作り笑顔でわたしを迎えたのはインターンの先生――咲花愛美――であった。
「あ、じゃあわたし、仕事があるからいくね」
「はい。お仕事頑張って」
翔君は鼻の下を伸ばしてるようなにやけようであった。
「ごきげんよう」
咲花はわたしの目も見ずにそう言って脇を通りすぎた。
ごきげんよう? なによそれ! 感じ悪いなあ。
「凛、どうした? そんなむすっとした顔して」
「別に。むすっとなんてしてませんけど」
わたしはそっぽを向いた。
「ほらあ。怒ってんじゃんか」
「だから怒ってないってば! ふんっ!」
「そういうのを怒ってるっていうんだよ、ったく! 咲花先生の事で怒ってんのか?」
翔君はわたしの顔を心配そうに覗き込む。
「な、何を話してたのよ。あの感じの悪い先生と」
「え、その……。年明けに退院したら食事行こうって誘われたんだよ。あ、でもね……。その……あれだ。断ったから。ほんとだよ」
翔君は浮気がばれそうになった男子のような慌てぶりである。
「どうだかねー。えっ? 退院したらって……」
わたしがそこまで言うと、彼はにんまりと微笑みながら右手でピースサインを作った。
「俺も退院できそうなんだよね。凛よりちょっと後になると思うけど」
わたしは嬉しさのあまり車イスから立ち上がり、彼の胸に飛び込んだ。
「翔君……良かった」
それ以上は言葉が出てこなかった。彼の胸の中でわんわん泣きじゃくるわたしを、彼の腕が強く抱き締めている。
「凛、俺たちの人生……これからだよな? これから楽しい事……いっぱい待ってるよな?」
わたしは頷くのが精一杯だった。
彼はわたしの両の頬に手をあてがうと、お互いの唇が徐々に近づいていく。
二人の唇が軽く触れ合うと、堰を切ったように激しく求め合っていた。
彼の左手がわたしのパジャマのボタンを器用に外していく。露になったわたしの胸をその左手がまさぐり始めた。
「翔君……だめだよ」
わたしの声など聞こえていないかのように彼の鼻息が激しくなっていく。わたしも幸せを感じながら自然と彼に身を任せていった。
「翔君……誰かがきたら……アーン……翔君……だめ」
彼はわたしから少し離れた。
「あ、ごめん。嫌……なのか? 待つよ。俺……凛がいいって言うまで待つよ。凛の事、大切にしたいから……」
「ううん。突然で心の準備っていうか……」
「あ、だよね。ごめん」
「もう、翔君さっきから謝ってばっかり」
「え? そっか。ごめん。あっ、また謝っちゃったね。ごめん」
「ぷっ! もう、またあ。あのね、夜、看護師さんの巡回、二時間おきでしょ? 十時の巡回が終わったらわたしの部屋に来て」
わたしは自分の言っている事に恥ずかしくなり、彼の目を直視することができなかった。
「あ、ああ。分かった。じゃ、じゃあ巡回が終わったらラ、ラインする」
今夜、彼と結ばれる。そう思うとなんだか複雑な気持ちになった。
「じゃあ、後で」
最後まで彼の目を見ることができず、わたしは彼の部屋を後にした。
「じゃあね」
ドアを閉めると同時に彼の優しい声がした。
わたしは車イスに乗り、ゆっくりと部屋へ向かっていた。
「凛ちゃん、何かいい事でもあったのかな? にやにやしてどうしたの?」
鳥越さんがわたしを見つけ話しかけてきたのだ。いつの間ににやにやしてたんだろう。わたしは恥ずかしさでいっぱいになった。
「えっ? いや……にやにやなんてしてないです」
わたしは逃げるように車輪を回し続けた。




