第九愛
時は流れ、病室から窓の外を眺めると中庭が電飾で飾られていた。もうすぐクリスマス。
夕方の五時から九時までの間、そのきらびやかな光景が病室に届けられるのだ。
見ているだけで病気の事など忘れてしまいそうになる。
五時半、病室のドアがノックされた。
――コンコン。
遠藤先生と鳥越さんが入ってきた。
「凛ちゃん、具合はどうかな?」
顔いっぱいに優しい皺を蓄え、遠藤先生がわたしに問いかけた。
「あっ、先生。絶好調です。もう退院できそうなくらい元気ですよ」
遠藤先生は目を細めわたしに笑顔を投げ掛けた。
「そうか。今日はその退院についての話で来たんだよ」
わたしはどちらからともなくパパと顔を合わせた。パパの表情が自然とほころんだ。
「先生、凛は……凛は退院できるんですか?」
先生の答えが待ちきれないかのように、パパは先生に詰め寄り息を飲んだ。
――ごくり。
その音が病室中に響き渡る。
鳥越さんはそんなパパが可笑しかったのか、手を口にあてがいくすりと笑っている。
「はい。治りましたよ、お父さん。あと二週間だけ様子を見て退院しましょう。凛ちゃん、よく頑張ったね」
先生はそう言うと口角を上げた。いっそう深くなった顔の皺が笑顔を引き立てている。
「凛。やったぞ! 病気に勝ったぞ! 凛……凛……。良かった。ほんとに良かった」
パパはわたしを抱き締めた。筋肉質なパパの腕がわたしを包み込んでいる。頬をわたしの頬にあてがい、パパの涙がわたしの頬を伝った。わたしの涙とパパの涙が重なりあい顎を滑りシーツにぽとりと落ちていった。
「パパ……わたし……わたし……。生きられるのね? パパ……ラケット……もう一度ラケットが持てるのね?」
パパはわたしの背中に右手を回し、わき腹を持った。そして左手をわたしの太ももの下に滑らせ、軽々とベッドから持ち上げたのだ。
「凛! そうだよ。またテニスができるんだよ。良かった。ほんとに良かった。先生、鳥越さん、ありがとうございました」
鳥越さんは首を左右に二度振り、パパに話しかけた。
「わたし達はやるべき事をやっただけです。凛ちゃんパパ、頑張ったのは凛ちゃん本人ですよ。褒めてあげて下さい」
パパはわたしをだっこしながらぐるぐると回った。
「パパー、目が回っちゃうよー」
「いいなあ凛ちゃん。お姫様だっこ、わたしもしてほしいなあ」
鳥越さんは冗談めかしくそう言った。
するとパパはわたしをベッドに降ろし、鳥越さんを抱え上げた。
「鳥越さん、ありがとう」
そう言いながら、わたしにしたようにぐるぐると回ったのだ。
「キャー! 凛ちゃんパパ、冗談ですよ。恥ずかしい」
白衣の天使は照れ笑いをしながら足をバタバタさせている。
「鳥越さん、もっと回しましょうか?」
「いやー、恥ずかしいです。凛ちゃんパパ、降ろしてー」
パパはゆっくり鳥越さんを降ろした。
「凛ちゃんパパ、恥ずかしい。でもちょっと楽しかったです」
ほんのり赤い頬がわたしには可愛らしく見えた。
「遠藤先生もしましょうか?」
パパはあまりの嬉しさに遠藤先生までお姫様だっこをしようとしている。
「え? あ、わたしは結構ですよ。ありがとうございます……」
遠藤先生は漫画でよく見る「額に汗」を付けたような苦笑いでそう答えた。
わたしも鳥越さんも笑いをこらえることができず、目を合わせて吹き出した。
「先生、遠慮なさらずに。凛を助けてくれた命の恩人なんですから、お姫様だっこくらいさせてくださいよ」
パパは機嫌のいいいたずらっ子のような顔で遠藤先生に絡んでいた。
「あ、いやあ。どちらかというと、わたしもお姫様だっこしたい方の人間なので……」
遠藤先生は頭をぽりぽり掻きながら笑顔を見せた。
「遠藤先生、じゃあわたしをだっこしてくださーい」
ちょっと甘えた声でお願いすると、
「よーし、じゃあだっこしてやるかな。よっこいしょっと。あいててて……腰が……。案外、重いもんだな。お父さんが軽々と持ち上げてたから、軽いと思ったら……」
「先生、失礼ね」
「お、これは失礼」
遠藤先生は苦笑いしながらわたしを見つめていた。
先生。ありがとう。この命……大切にします。
四人の笑い声と窓の外のイルミネーションが調和し、間もなくやってくるクリスマスの前祝いをしているようだった。




