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4.暗夜に矢を射る

暗夜に矢を射る:あてずっぽうに、またはむこうみずにやってみること。


 摩耶は悟を抱きかかええたまま、案内された客間に足を踏み入れた。

 歩くのも辛そうな悟を、とりあえずベッドに横たわらせた。

 だが、本人があまりにも嫌がるため、仕方なくベッドのヘッド部分にクッションを重ね、上半身を寄りかからせて座らせることになった。


「興奮したせいで、少し熱が上がってるみたいね」


 額に手を置いた摩耶が苦い顔で呟けば、えらく不機嫌そうに眉根を寄せた。


「少し休まないと、とても冷静に物事を考えられないわ。そうでしょう?」


 続く摩耶の説教めいたセリフに、悟はちょいちょい、と人差し指で近づくようアクションした。その意図を正確に読み取った摩耶は「喉が痛いなら、無理にしゃべらなくてもいいのに」と呟いて顔を寄せる。


「大丈夫なのか、この部屋は?」


 ささやくように投げられた質問に、摩耶も同じくらいの声量で「窓以外はね」と答えてから、顔をすぐに離した。そして、まるで誰かに言い聞かせるように、少しだけ大きめの声を張り上げる。


「声を出すのがつらいんだったら、何かを話そうとはしないの!」


 大仰な身振りで肩をすくめた摩耶は、ふぅ、とため息をついて視線を室内に巡らせた。


「あたしに恩を感じてもらってもね、それは、君の保護者にあたしの仕事ぶりを話すときに、いくらか良いことを言ってくれれば、それだけでいいのよ」


 悟も摩耶も、監視カメラと盗聴器を疑っていた。

 だからこそ聞かれたくないことは密やかに、聞かせたいことは大げさに声を出しているのだ。

 ベッドサイドに椅子を持って来た摩耶は、どかっと乱暴に座る。だが、ベッドを挟んだ逆側に飾ってある般若はんにゃの面を見るなり口元を歪めた。


「客間に、ああいうの飾るのって、趣味が分からないわ。気味が悪いと思わない?」


 悟は口の動きだけで「全然」と答えて首を振った。


「あたし、あれ系ダメなのよ」


 言うなり立ち上がった摩耶は、鞄の中からスカーフを取り出して、般若の面を隠すように引っ掛けた。


(これで、一つは目を塞いだ)


 目の部分が監視カメラになっていた。やや強引過ぎる流れだったかと反省するが、まぁ、女性が好むような装飾ではないだろうから、それほど不自然じゃないはず、と自己弁護する。慎重に行動すべきだが、慎重にし過ぎて何もしないわけにはいかない。


 後は、座る悟の真正面、壁にに施されたレリーフに隠されたカメラをどうするか。

 鞄を椅子の下に起き、そこからスマホを取り出した。その過程でもう一度室内にカメラが隠されていないかとこっそり探る。盗聴マイクと違って、カメラは視線の届く範囲内にあるはずだ。カメラからの視線に気をつければ、後は『音』を欺くだけだ。


 座る悟の手にスマホを渡す。声を出すのがつらい(という設定の)彼には必要だろう。


「眠れないなら、少しだけ話そうか」


 メール作成画面が表示されたスマホに、悟はスイスイと文章を打ち始めた。


『これで会話するんだな?』


 文字が小さいからか、パッと読めなかった摩耶は、悟からスマホを受け取った。窓を背にしている摩耶は、その身体で窓の向こうの視線から画面を隠す格好になる。

 内容に一つ頷いた摩耶は、再びスマホを悟に渡そうとした。

 ベッドの正面の監視カメラの死角を突いて、右手でスマホを持ったまま人差し指だけで器用に文章を入力した。


「えぇと、そんなに、あの立川さんが嫌いなの?」


 そう尋ねる摩耶からスマホを受け取った悟は、目の前で入力された文章に小さく目をみはる。


『ここから脱出方法を説明する』


 悟は『分かった』と入力しながら頷き、再びスマホを渡す。

 監視している側は、悟だけがスマホを使って会話しているように見えているだろう。盗聴マイクは摩耶の声を難なく拾っているはずだろうし、少々の不審を抱かれてもすぐに行動に移すことはない……と思いたい。


「でもね、今までたくさん命を狙われた君に、安息っていうのは欲しいものなんでしょう?」

『途次、窓から飛び降りる。大丈夫か』


 時間の制限もあり、摩耶が入力できるのは完結な文だけだ。

 悟は、摩耶の口先の問い掛けに対して、いかにも怒っていると言いたげにバンバンと布団を叩いてスマホに向かう。


『これは演技だ。熱はあるかもしれないが、問題ない』


 スマホを再び受け取った摩耶は、大げさにため息をついた。


「……そう。でも、お父さんやお母さんみたいになるのは、イヤなんでしょう?」

『無理と判断したら担ぐ』


 悟は肩を落として項垂れて見せた。


『そうはならない』

「だって、君までいなくなったら、お爺ちゃんは悲しむと思うわ」

『廊下の窓から。人も少ない』


 悟は遠い何かを見るように、部屋の窓に目を向けた。窓の外には整えられた庭があり、正門がある。


『正門側に、警備の人間が集まっているのか?』

「えぇ、そうね」

『庭から視線あり』


 回答を打ち込んだ摩耶は、上体を捻って悟の視線の先を追った。だが、それもそう長い時間でもなく、次に何を確認しようかと悩む悟の手からスマホを取り上げると、彼女は立ち上がった。


「さぁ、立川さんに挨拶してから、おいとましましょう?」


 鞄にスマホを仕舞うと、少年がベッドから立ち上がるをさりげなく補助してから、般若の面を隠していたスカーフを回収する。


「確か、さっきの部屋は三階だったわよね」


 鞄を肩にかけると、まず自分が、と廊下に足を踏み出した。

 視界の端、廊下の折れた先で影が動いたように見えた。廊下側にも見張りが居るということだろう。当たり前だけれど。


(2つで足りるかしら)


 頭の中で段取りを確認すると、後ろを付いて来た悟の手をぎゅっと強く握った。


「お願いだから、信じて、動かないで」


 低い声でささやくと、鞄の中からジュースの缶のようなものを取り出した。パキリ、と何かのツメを折ると途端に白い煙が周囲を満たし、隠す。

 視界がゼロの中、同じようにツメを折るような音が鳴り、さらに部屋の中に硬質の物が転がる音がしたのを、悟は聞き逃さなかった。

 廊下の窓側に強い力で引っ張られた少年は、手にあった温もりが離れるのを感じる。足元から冷え込むような感覚に震えるが、自分が脅えているのだとは信じたくなかった。


バタバタバタ……


 慌しく駆け寄る足音は、()()()()近づいて来た。挟み討ちかと悟は息を必死で殺す。


「おい! 俺達が廊下の窓を開けるから、そっちは部屋を確かめるんだ!」


 煙幕の中、響いた命令に、二つの足音が部屋へと向かう。

 カラッと廊下の窓が開き、煙が洩れる。

 このままでは潜んでいることがバレる、と逃げるべく足を持ち上げた悟は、自分の腹に圧迫感を感じて低くうめいた。


「飛ぶよ」


 小さなその声に、安堵を感じる間もなく襲って来たのは浮遊感。


ガァンッ!


 耳が痛くなるような大きな音と脳みそがひっくり返りそうな衝撃に吐き気を覚えたとしても、誰も咎めはしないだろう。

 そこにゆさゆさと強い揺れが継続的に加わるなら、尚更。

 さすがに音に気づいた追っ手が、邸を囲む塀を乗り越える人影に向かって、怒号を浴びせた。それだけで済むわけもなく消音銃サイレンサーを二、三発放つ、バスバスというしけた音が響く。


「ちょ、また銃刀法違反……!」


 悟を抱えたまま走る摩耶が肝を冷やすが、幸いにも弾は地面や塀にめり込むに留まった。

 二人はそのまま夜闇に溶け込むように追っての目を振り切った。



 ◇  ◆  ◇



「この電車は大宮行き、各駅停車です」


 電車のアナウンスを聞きながら、駆け込み乗車で息を切らした母子おやこが小さな声で話していた。


「さすがに、この時間の上りは空いてるわね」

「帰宅時間だからな。―――それより、何がいったいどうなったんだ? あと乱暴過ぎる」


 子供が不機嫌を隠そうともせずに尋ねた。車両には母子のほかに学生らしい二人組しか乗っていない。その二人組も、最近発売されたゲームの話に熱中している。

 それでも、と母親――摩耶は気を遣って『さっき見た映画の内容』を話した。


「だから、敵地から坊ちゃんを連れて逃げることにした護衛は、煙幕を使って自分たちの身を隠したの。監視が廊下の置くに居ることは分かっていたからね」

「そこじゃない」

「はいはい。―――異変に気づいた監視が来る前に、坊ちゃんをその場に残した護衛は、足音を殺して逆側に離れていたのね。監視役が慌てて駆けつけるのに合わせて、足音を立てて戻ってきた。監視役に同じように駆けつけて来たと思い込ませたら、低い声で部屋を確認するように促した」

「……監視が部屋の中に入ったと同時に、廊下の窓から飛び降りたのか」

「そういうこと」


 シートに隣り合って座った二人は、ようやく整って来た息で頷き合った。


「もっと別の方法はなかったのか? 吐きそうだった」

「あら、坊ちゃんが『大丈夫』って言ったんじゃない」


 ふふん、と鼻で笑った摩耶は、スマホを取り出すと表示しっぱなしだった地図を消す。


「そのサイズの端末があると便利だな。僕も欲しい」

「そうね。でも随分と電池を食うから使いどころは気をつけないと」


 鞄から携帯用充電池のケーブルを取り出すと、サクっと挿す。色々と補充しないと、と呟きながらマフラーを取り出して隣の悟に巻きつけた。電車の中はまだ温かいが、体調が万全でない彼の身体を冷やすわけにはいかない。


「実際、あんなに上手くいくものじゃないと思うんだけどね。監視に作り声がバレたら終わりだし、駅に着く前に追いつかれてもダメ。すぐに電車が来たのも……運が良かったのかしら」


 平然と呟く摩耶に、悟はぎょっと身じろぎした。


「一応、先輩方には色々なケースの対処法は教わったけど、腕っぷしが強いってわけでもないしね、あたし」


 少年は口元を引きつらせて隣の護衛をにらみつけた。


「車内はまぁ、安全だけど、問題は最寄りの駅から坊ちゃんのお邸までの行程よねぇ……。さっきの映画は上手く省略してたけど、現実だったら、どうしたらいいのかしら」

「タクシーは使えないのか?」


 わざとらしく嘆息する摩耶に、悟は不機嫌を隠さずに提案する。


「向こうは逃げる坊ちゃんの行き先が分かってるから、邸の前で待ち伏せとかしてるんじゃないかしら? ……あぁ、そうか」


 摩耶は鞄のポケットを手探りで確かめる。


「この手があったわね」


 生涯初となる奇策に出ることを決意した摩耶の表情に、隣の護衛対象はどこか不安そうな様子を隠せなかった。


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