ハートフルロボット
過去に姉妹もののお話を書いたので、ふと兄弟もののお話が書きたくなりました^^
僕はロボットになりたい。
何も思わない、何も感じないロボットに。
*****
「坂井君って、ほんと優しいよね。誰にでも優しくて、怒った事とかないでしょ?」
僕は曖昧に微笑みつつ、「普通にあるよ。弟とかとも良く喧嘩するし」と無難に返す。謙遜し過ぎずに済む便利な台詞。相手は「え〜、意外〜」と言いつつも、興味なさげに目の前のシーザーサラダをつまみ始める。
昔からよく言われるこの言葉が、僕に興味のない、僕を知らない奴らが口にするただの挨拶だと気がついてしまったのはいつからだったろう。「こんにちは」を返すのと同じくらいに無難な回答を返せるようになったのは、いつからだったろう。
ーー付き合いで参加してる飲み会で愚痴れる訳無い、か。
「ごめん、今日はちょっと酔ったみたいだ」
僕はそう言うと、財布から五千円札を一枚机に置き、席を立った。
「気をつけて帰ってね〜」
引き止められない事に慣れた筈なのに。今日だけは微かなさみしさを感じつつも、大人しく居酒屋を出る。酔っている時は、大人しく帰るのが一番なのだ。そう自分に言い聞かせつつ。
足元がふらついてるな。久々の酔いたい欲求に冷静さを欠いて、日本酒やらワインやらをちゃんぽんしたのがまずかったのか。その場に立ち止まると、ひんやりとした風が頬を撫でる。
ーー気持ちいいなぁ。
僕は揺らぐ視界の中、風を楽しみつつ、ぼんやりと道路を眺める。ゆるゆるとした速度で、目の前を車のランプが走り抜けて行く。
「にぃ…ちゃん……?」
何分くらい眺めていただろうか? 道をすれ違う多くの人に飲まれながら、十字路の隅っこで道路を眺める僕に声を掛けたのは、数年ぶりの弟の声だった。
*****
「あんな所でなにしてたんだよ」
酔いの回った僕をそのままにしておけなかったのか、風を楽しんでいた僕は弟の部屋に強制連行されていた。
子綺麗に片付いた弟の部屋。思えば部屋に入れてもらったのって、こいつが一人暮らし開始する時に引っ越し手伝ったっきりだから、もう三年以上前の事か。
僕は物珍しさにキョロキョロと部屋を見渡すと、対で揃えられたキャラクター物のマグカップ。もしかしてこいつ、彼女持ちだったりするのか? ぐるぐると思考を巡らせつつ、弟を眺める。
そんな兄の思いに気づく事も無く、弟は冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、透明なコップなみなみに水を注ぐ。あれ、僕の分かな? 回らない頭を巡らせて、
「ありがとう」
と言葉に出す。弟はきょとんとした表情をする。あれっ、僕のじゃ無かったのかな? 部屋に連れ帰ってくれた事へのお礼という事にしておこうか? そんな風に考えているうちに、
「どーぞ」
コトンっと音を立てて目の前にコップが置かれる。僕はじーっと、なみなみに注がれた水面を眺める。水を通した向こう側って歪んでるなぁ。なんてぼんやり眺めていると、
「飲めよ」
フッと弟が笑みを浮かべる。緩やかに世界が溶け始める。僕はグイッと水を呷る。
「で? 仕事で嫌なことでもあった?」
弟は世間話でもするように、でも少しだけ気遣わしげに問う。
うん、嫌なことはあった。僕が半年がかりで口説き落として纏まりかけた契約を、同期にぶち壊された。しかもその責任は知らず知らずの内に僕のせいにされてた。その上、便所の個室で気分を持ち直そうとしてたら、その同期に、「あいつは優しい奴だから、責任被ってくれるし、大丈夫」とかって優しいって言葉で便利に使われた。それを愚痴りたかったのに、愚痴る相手をぐるぐる考えても、だーれも思いつかなかった。なんか、愚痴りたいっていう感情がどうでも良くなって、めっちゃさみしくなった。
でもそんな言葉を言うのも虚しくて、吐き出すと社会人として戻れなくなれそうで、その言葉を飲み込む。そして、
「にーちゃんさぁ、お前と良く喧嘩する事になってんだー」
と弟の顔も見ずに告げた。僕の中でギリギリ晒せる愚痴の欠片だ。
「へぇ、にーちゃんと俺が喧嘩ねぇ。そりゃ初耳だ」
弟は楽しげにコロコロと笑う。僕と弟は喧嘩なんてしない。子供の頃は人並みにチャンネル争い程度はしていたが、譲り合いの精神が根付いた家庭で育った僕たちは、中学の頃にはそんな喧嘩もしなくなっていた。
「にーちゃん、俺も秘密教えてやろうか?」
弟は楽しげな声で話す。僕が振り返ると、
「俺も兄貴とは良く喧嘩してる事になってる。しかもガキの頃は取っ組み合いの喧嘩とかもしてたらしい」
弟は悪戯っ子の表情をすると、社会で生きるってそういう事でしょ? と笑う。
「なぁんだ、僕等は知らない内に良く喧嘩する兄弟になってたのか」
弟の笑みが僕に「楽しめよ」とでも言っているような気がして、クツクツと笑いが湧き上がる。挨拶のような社交辞令すらも弟は楽しんでるみたいだった。
ーー思えばガキの頃から、こいつは僕よりも要領が良かったな。
そして僕は、僕よりも要領が良くて甘え上手な弟を甘やかすのが好きだったんだ。
「……そういやお前、彼女できたの?」
俺は軽く鼻を啜ると、しんみりしかけた気持ちを切り替えるみたいに話題を変える。弟は僕の脈絡の無い質問に、
「できてないけど。なんで?」
と頭に大きなハテナマークを浮かべつつ答える。
「いや、ペアのマグカップとかあるからさ」
「……」
「なに? 僕なんか変な事……」
謎の無言に僕が口を開くとそれを遮るように、
「ブッ……あははははは」
弟は吹き出し、部屋に響き渡る大声で、派手に笑い続けた。
「ひー、はぁ、苦しっ……にーちゃん、それ、本気で言ってるんだよね?」
弟は酸欠気味で顔を真っ赤にしながら僕を見る。
「僕、そんなに笑わせるような可笑しな事言った?」
「いやっ、悪い。そういやあの日もにーちゃん酔ってたもんなぁ。覚えてないのも仕方ないか」
そう言うと弟は対になったマグカップを持ってくる。
「はいっ、よーーーく見て。見覚え、無い?」
水色と黄色のマグには、胸にハートマークのついた可愛らしいロボットのイラストが描かれていた。
既視感。
いつ見たものか分からないが、確かに見覚えがあるロボットだった。
「どこで見たかは分からないけれど、見覚えは、多分、ある」
弟は「そっか」と呟くと、
「こいつらはね、オズの魔法使いに出てくるブリキ男なんだって。やめときゃ良いのに、わざわざオズの魔法使いのもとまで旅をして、それで心を得たんだってさ」
弟は子どもに童話を読んで聞かせるかのように優しい口調で話した。
「へぇ、折角持たずに済んでる心をわざわざ……」
僕がポロリと本音を漏らすも、弟は気にした様子もなく、
「うんっ、わざわざ。危険な旅に出てまで、心が欲しかったんだって。だから、俺たちも心なんて要らないって思うくらい辛くなっても、手放したらこいつらに失礼なんだってさ」
そう説明すると、「お話おしまいっ」と告げてマグカップを食器棚に戻した。
僕がそれでもマグカップの事をはっきりと思い出せないでいると、
「マジかぁ、俺にとっては大事な思い出なんだぞぉ。説明すっから、忘れんなよ」
そう言うとポリポリと頬を搔きつつ、
「にーちゃんがプレゼントしてくれたんだよ。俺がここに引っ越したその日に」
とポツリポツリと話し始めた。
弟曰く、引っ越しの日の晩に、居酒屋で酒を飲み交わした時、弟は将来の不安とかそういう事を僕に吐き出したらしい。
僕と同じく『良い子』のレールを進み続けた弟。初めての社会人。初めての営業職。不安で心が押しつぶされそうだった。
その話をした帰り道、薬局の外にワゴンで売られていたマグカップを見つけた僕は、胸にハートマークを宿したロボットの話を尤もらしく語ったらしい。そして対でそれを購入すると、弟のアパートの真新しい食器棚に供えるようにそっと置いたんだという。
「悪い、全然覚えてない」
僕が詫びると、
「ひっでぇな」
と言いながらも弟は楽しげに笑う。
「ちなみになんで二個買ったかとかって……」
僕が恐々訊くと、
「あぁ、一個は俺の分でもう一個は、にーちゃんの分だって」
とけろっとした表情で答える。
「遊びに来た時に僕の所有物が何も無いなんて寂しいだろぅって言ってた」
恥ずかしい。そう思いつつも立ち上がると、まだほんのりふらつく足で食器棚に向かう。
二人のロボットは使い勝手の良さそうな透明コップが並ぶ棚で、ど真ん中の一番良いポジションを陣取っていた。
「お前にも居場所はあるよ」そう告げているような愛らしい姿をじーっと見つめると、なんだか心の箍が緩み、ポロポロと涙が流れた。
「にーちゃん、飲み過ぎたね」
弟の声が頭に響いたかと思うと、僕はベッドへと連行されていた。
*****
目覚めると、気分は最悪だった。
ーーいっそ、全てを忘れていれば楽だったのに。
三十過ぎの男が、弟のベッドで枕を濡らす。恥以外の何物でもないな。
「にーちゃん、起きた? 朝飯、トーストと目玉焼きとコーヒーでいいー?」
こんな時に何事も無かったかのように声を掛け合えるから、兄弟っていうのはありがたい。
「うん、大丈夫」
俺はベッドから起き上がると、洗面所に向かう。ひっでぇ顔。腫れぼったくなった目元を冷ますように、冷たい水で顔を洗う。
そして居間に行くと、そこにはちょこんとロボットが鎮座ましましていた。僕が無言でマグカップと睨めっこしていると、
「とりあえず先にコーヒー飲んでてー」
と弟の頭越しに声が聞こえる。僕は両手でマグカップを抱き上げると、そっと口をつける。
「甘っ……」
するとアニメ映画みたいにトーストに目玉焼きをのせた皿を両手に持った弟が、ニヤニヤとした表情で現れた。
「弟の愛情たっぷり。甘くて美味いでしょ」
そういえばこいつ、超がつくほどの甘党だった。
「しんどい時には甘〜いコーヒー飲んで、俺を思い出せよ。事前連絡くれれば、ここに帰って来ても良いんだぜ」
そう告げた弟の頬はほんのり朱が差していた。弱気になっても、僕に心を持つことを許してくれるこいつがいる。
ロボットですら心を求めるんだから、もう少しだけ心を持ったまま、頑張ってみても良いかもしれない。
そう思いながら、僕はまた、砂糖のように甘いコーヒーに口をつけた。
「弟の愛情、甘いなぁ……」
僕が独りごちながらマグを置くと、ロボットがニヤリと、僕を見て微笑んだ気がした。
かなりのブラコンですね笑 姉妹ものを書けばシスコン気味になり、兄弟ものを書けばブラコンになる。兄弟姉妹に夢を見過ぎでしょうか^^? ちょっと気弱になった時に、張りつめた気持ちを緩められる誰かが居るって幸せですよね*^^*