なぁんだ、こんな簡単な
私は《わたし》を殺す。
もう、耐えきれないから。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「うるさいなぁ、日奈。どうしたの?」
「黙れ!! 黙れ黙れ黙れ! お前は《わたし》だろうが!! 私を、そんな風に呼ぶなああああああああああああああ!」
理性の壁は、とうに決壊していた。
今、この瞬間、自室で、家の中には両親もいないという好条件まで、よく抑えていたものだ。
頭の片隅から冷静に囁く声がするが、そんなものもう気にしなくていい。
もう堪えられない。耐えられない。
いいでしょ? もう、いいでしょ?
今はただ、この、殺意を。
《わたし》はひらひらとかわす。
台所から持ち出した包丁の刃を何度も振りぬいて、幾度無様に転がることになろうとも、私は衝動に身を任せる。
なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……!!
「わかってたことじゃない」
《わたし》は、酷い。
「最初から、《私》には無理だったんだよ」
そんなこと、言わないで。
「だから、一人になっちゃった」
「うるさい、うるさい、うるさあああああああああああああああああああああい!!」
どうして、どうして!?
私は頑張ったよ。
一生懸命声かけて、もう縮こまっていたはずの勇気を奮い立たせて、怖かったけど頑張ったんだよ。
それなのに、《わたし》の言葉はその場の空気を壊す。
ペラペラしゃべって、私が止めようとしても言うこと聞いてくれない。
どうしてか私がしゃべると沈黙が生まれ、その隙間で《わたし》が話す。
みんなの顔が徐々に強張り、会話はぎくしゃくして続かない。
やっと普通に話すことができたあの子も……、私が彼女が他の子と会話してる中に混じろうとしたら、目が、言ってたよ。
『空気読めない奴が来た』
「なんでだよ!! なんでわからないんだよ! どうして普通にできないんだよ! 《わたし》は!!」
「《わたし》は別にどうでもいいよ。人のことを気にしたら疲れるじゃん」
「その結果、私が孤独になってもいいって言うのかよ!!」
狭い部屋の中、私の殺意から逃げていた《わたし》がぴたりと足を止めた。
真っ直ぐに、私を見る。
笑みはない。ただ私を見ている。
同じ顔で、同じ姿で、同じ眼で、同じ同じ同じ同じ同じ――――キモチワルイ。
「あっ、あああ……、ああっ、あああああああああああああああああ!!」
喉からほとばしるのは、獣の咆哮。
体の中から蛆虫が湧いて、体内外に這って蠢いているような嫌悪感。
目の前の景色がモノクロになって、ぼやけてきて、すぐにノイズが走る。
腕を、振るった。
また、叫んだ。
目の前のできそこないのキョウゾウを、破壊、するために――――
「《わたし》を殺してもさぁ、《私》には、普通にトモダチなんてできっこないよ」
――勝手に、私の腕は止まった。
あっ、あれ? おかしいな。あと、もう数センチで《わたし》の顔をめちゃくちゃにできるのに……
「いるよねぇ。どうしても、その場の空気を壊してしまう人って。本人は普通のつもりなのに、他者とのコミュニケーションがどうしてもうまく取れなくて、場違いの発言をしてしまう。他者の気持ちを汲んで、言葉を選ぶことさえへったくそ。それが《私》という人間なんだよ」
聴覚だけが鋭敏になっている気がする。
全身がカタカタ震えてきて、今にも包丁を取り落しそうになる。
「《わたし》は、もうとっくのとうにわかってて、受け止めているよ。いるだけでその場の空気を見出し、口を開けば壊してしまう《私》には、どうやっても、あんな楽しそうで羨ましいおしゃべりは出来ないんだ。これは性質の問題で、しょうがないことで、《私》が《私》だってだけなんだから……だから――――気にしなくていいよ」
《わたし》は私の腕をとる。
その手がひんやりしていて、びくりとなった。
《わたし》は甘く優しく囁いた。
「《私》は、何も悪くない」
もう片方の手で、ゆっくりゆっくり包丁を握った指を解かれる。震えるばかりで何もできず、こみあげてくる吐き気に涙が頬を伝ってくる。
手からするりと抜けおちた刃は床にキレイに突き刺さって、私はそれを呆然と見ていた。
不意に抱きしめられても、何の反応もできなかった。
「私、は…………」
振りほどこうとして、身体に力が入らない。
嗚咽混じりの言葉が、思いが喉からこみあげてきて溢れてくる。
「私は、普通におしゃべりしたい。普通に遊びたい。普通に笑いたい。誰もがしてるように、恋バナしたり、テストの点数を誰かと一喜一憂したり……したいんだよお」
「うん、知ってる」
「友達いっぱい欲しい孤独は嫌だよ変って言われたくない空気読めないって言われたくない誰かと買い物に生きたいグループ作りの時に独りぼっちになるのも嫌だみんなにあんな眼で見られたくない普通になりたいあの輪の中に入りたいこんな気持ちを抱えて生きるのは嫌だ孤独は嫌孤独は嫌孤独は嫌……」
ナンデ、《私》ニハ、駄目ナノ……?
「――――諦めて、たまるかあああああああああああああああああああ!」
叫んで、《わたし》を突き飛ばす。
落としてしまった包丁を拾い、馬乗りになって彼女の顔面目がけて振り落す。
「《わたし》さえっ、いなければ――――!」
「変われるの?」
まただ。
また私の身体は勝手に止まった。
もう聞きたくない。
何も聞きたくないのに。
「《わたし》がいなくなった後、私はどうするの? ちゃんと、友達に話しかけられるのかな。会話することなんてできるのかな」
その言葉に、思い出す。
私は頑張った。一生懸命に友達に話しかけようとした。
でも、実際に話しかけたのは全部、《わたし》だった。
物おじしない態度でずかずか輪の中に入り込んで言って、私が混じれずにいると強引な手段を使ってでも話を振ってきた。結果、場の空気を壊すことになるばかりだったけど、私が喋れたのは《わたし》がいたからだ。
私は頑張ったけど、勇気を奮い起こしたけど、実際にそれがかなったのは《わたし》がいたから。
果たして《わたし》がいなくなった後、私はどうなるのだろうか。
「ううっ……うう――――」
「《わたし》は、怖くないもん。何度迷惑がられようが、うざいって言われても、空気読めないって影口叩かれても平気。《わたし》が喋りたいから喋るだけ。普通になることなんて望んでないそ、《わたし》は《わたし》でいい」
「《わたし》がいなくなれば、私は変われ――」
「もし変われても、どうせ普通にはなれないよ」
私は自分が嫌いだ。
《わたし》が世界で一番大っ嫌いだ。
殺せばどうにかなると思っていたのに、いつの間にか支えになっていた?
何をしても、あの輪の中には入れない…………?
孤独のまま……?、
「というより、私が死ねばいいんじゃないの?」
《わたし》は笑う。
その笑みは、鏡の前で幾度も見た自虐の笑みによく似ていた。
「《わたし》は全然平気だけど、私は耐えられないんでしょ? 《わたし》を消しても私は変われない。でも孤独は嫌だって泣くんだったら――――」
その言葉の先を《私》は同時に呟く。
「「私が死ねばいいのに」」
嘆いているのは、私。
寂しいのも、辛いのも、私。
じゃあ、私がいなくなったら――――
私はゆっくりと刃を《わたし》から引いた。
そのまま緩慢な動作で、自分の首元に当てる。
ひんやりとして、冷たい。
心の中で渦巻いていた殺意は、感じなかった。
激情は全て遠ざかり、久しぶりに穏やかで、ぼんやりと何も思考しないでいれることが楽だった。
ただ、死ねばいいだけ。
ぽろぽろと勝手に零れてくる涙の滴が、愛おしい。
なぁんだ、こんな簡単なことだったのか。
私は笑えた。
きっと、《わたし》と同じ自虐的な笑み。
明日、連続投稿により完結いたします。
クリスマスに、なんてものを書いているんだわたしは……