1. 別世界に翔ける!
じわりと滲む汗が額からぽろりと一滴床に落ちた瞬間、僕は一気に力を抜いた。床に仰向けになって転がれば、石の冷たさが肌を伝わり心地いい。
「んー、やっぱ腹減ると駄目だ~」
ラスメリナの地下室で『力』の使い勝手を実験していた僕は、色々試すうちに『力』の残量が少なくなっているのを感じた。
エネルギーをとらないと回復しない。胃袋ハングリーサインはチカチカと点滅を始めていた。
「腹減った~、ごはん~」
扉を開く一回分の『力』は残っている。歩くのも面倒だし、このまま扉開いてご飯にまっしぐらしよう!
レーンにいるねーちゃんのご飯食べたいから、クリムリクスの食堂に行こっと。僕はゴロリと寝返り打ってうつ伏せになり、横着して寝転がったまま床に両手で扉を描く。上から円を描くよう赤く光る軌跡を残しながら、順番に書いていく。
レーン、クリムリク……ス、食……グゥ。
書いているうちに睡魔が襲いうっかり書き間違えたのを気付かず、目が覚めたらいつの間にか時空を越えていた。
*****
「……んあっ?!」
ものすごく近い距離で顔を覗き込む人がいて、視界を塞いでいたからビックリした! 僕が声をあげたらその人も驚いたみたいで目を丸くする。
「わ、起きた!」
キョロキョロあちこち見ても見覚えがない。まっ、よくあることだけどね!
目の前の彼女は心配顔で僕を伺っている。
「あの、大丈夫ですか? 店の前で倒れてたので……」
黒い髪はショートカットで、黒い瞳。左目下のホクロが印象的だ。
「どこか痛い所とかありますか?」
「んー。……腹減った」
ぎょごるがごごごきゅきゅ~っと盛大に腹の虫が鳴る。その音は随分と大きく響いたようで、彼女は笑いながら「今、何か食べるもの持ってきますね」と立ち上がった。
その様子を目で追いながら、僕はゆっくりと辺りを観察する。
――――大雑把でいい加減とはよく言われるけど(失礼だよねっ?!)、過去色々痛い目にもあったし、現在の状況をちゃんと把握しないとねっ。
店、って言ってたけど……お菓子屋さん? バターの香りとなんか甘い香りがふんわり漂ってきて、腹の虫が僕のお腹を食い破って外に出てきそうな勢いだよ! キシャァァァッって!! ホラーだよ怪談だよ怖いってー!
寝かされていたのは店内にあるソファ席。荒れ狂う腹の虫を押さえながら起き上がると、テーブルや椅子が並んでいるのが目に入る。喫茶店ぽい感じ? 木製の造りで間接照明も灯り温かみがあって居心地が良い。
ヨイショと座りなおして視界が広くなったので、もうちょっと首を伸ばして店の奥まで窺うとショーケースが見えた。ケーキ屋さんみたいに何種類ものケーキが並び、一番上には色とりどりの丸いお菓子が、花壇の花のように咲き誇っている。
そのショーケースの上や壁に造りつけられた棚には、籠盛りの焼き菓子が綺麗にラッピングされて。うーん、まさにお菓子屋さん。
この様子から見て、ひょっとして無意識に日本に帰ってたのかな? いやいや服がそれっぽくなかったような? でもでも見覚えある物が色々並んでるし! なんかちっこいシュークリームが山になってるヤツとか、モミの木っぽい飴細工らしきものとか! どことなくディスプレイがクリスマスの雰囲気を醸し出している。
……一体僕はどこに落ちたんだろーね。
*****
「どうぞ」
「わー! きれーい! そしてまた美味しそー!!」
「……足りないみたいだね。これも食べる?」
「食べる食べる!」
「……えっと、保存庫ならまだ何かあったよね」
目の前に並べられる料理やお菓子の数々を前にぺろりと瞬殺していたら、彼女は「どこまで入るんだろ」とか言いながら店の奥から色々持ってきてくれた。観察? それとも実験なの?!
「うーん、お腹いっぱいー! ありがとーご馳走様!」
「……本当に良く食べましたね」
「きっとお腹の中に魔物飼ってるんだよ! どれだけ食べたか数えてみるよ? えーと、ミートパイ、ホウレンソウとベーコンのキッシュ、リコッタチーズのタルト、まるごとバナナロール、ベリーのムース……あとおれ達の賄い用ごはんとかー、レンさんクライスさんに用意しておいたランチまで!」
呆れたように言う彼女はイチイと名乗った。ヒツジ商会代表で、菓子屋の他なんか色々やっているらしい。もう一人はトマと言って、僕が食べちゃった商品名を指折り数えていたけど、途中から放棄した。
「ねえイチイ、開店前だけど全部なくなっちゃったよ。どうしよう?」
「そうだね、しょうがないからトマ、臨時休業の看板出しておいてくれる?」
「わかったー」
トマが小走りに店の扉へ向かって駆け出した。
やっべ、そうだよね、売りもんだもんね。腹の虫の赴くまま食欲を満たしたら、ショーケースの中身はすっかり無くなってキレイサッパリカラッポだ。その上、今日ここに来て食事をする予定だった人の分まで食べちゃったようで。
「うっわー、ゴメンゴメン超ゴメンッ! あんまりにも美味しくて。いやほんと、すっごい美味しかったよー! 力も戻ったし、これならすぐにでも帰れそうだよありがとー! もーウッカリ違うところ落ちちゃうもんだからマイッタマイッタ。んでここって日本のどこなの?」
「え?」
「え? って、違うの? 僕てっきり日本とばっかり思ってたけど」
「今、日本って言いました?」
「うん、ああ僕は翔。趣味と実益を兼ねてる旅行者、行った先で迷子になるのがたまにキズ。って、いやいや別に迷子が趣味な訳じゃなくて! んーとなんつーかここ日本じゃなければどこなのさ」
「ルード・ミルって世界のイスフェリアって国ですよ。ここは城下町」
僕はたらーりと頬を滴る汗を、気づかれないように拭い取った。
「わー! またやっちゃった! まーたやっちゃった! いや違うわざとだよ、わざと! 狙ってたね。最初からここ来るつもりだったんだ! ……多分!」
そう言ってみたらそんな気分になってきた! よっしゃなんかやる気でたー!
「あれ? でも翔君も日本人って事ですか?」
目の前の彼女は、顎に指を当てて首を傾げる。
「えーと、うん、大体そう!」
「大体ってなんだよ……」
トマが『呆れてものが言えない』と思いっきり読み取れる表情していたけど、見なかった事にする。どうやら僕って日本人がいる所に行く(迷子とはいうもんか!)確率が高いみたいだ。
お店を営業できないほど食べ散らかしちゃったし、僕に出来る事ってなんかないかなー。
「ねえ、イチ……イチ……、えーゴホン。いっちーって魔力多いみたいけれど……」
「……いっちー……」
「んでさ、いっちーはその魔力でどういう事出来るのかなーなんて」
「えっと……例えば照明は、魔法石っていう電池みたいなものと魔方陣を組み合わせています。補助魔法に分類される固定魔法は、地盤の強化や食品の腐敗防止とか……。あとは基本的に火とか水とか好きな形で具現出来ます。例えば……こんなことも」
そう言っていっちーは両手を小さく広げ、その間に水でできた龍みたいなのを出した。小さく踊るその龍はとてもキレーで……。
「うわー! これすごい! 僕もやりたいー!!」
「翔君もなにか魔法が出来るんですか?」
「まあ見ててよ!」
どれどれ、と同じ様に両手を出し目を閉じてイメージを浮かべる。いっちーと同じんの、いっちーと同じんの……。
「わ、でた!」
トマが驚いたように声をあげ、僕はうっすら目を開けて確認するとそこには。
「……タツノオトシゴ、マーブル模様……」
いっちーが冷静に分析をした。いやまさにその通りで……。おっかしーな?! 僕が契約した竜もいるし、大体いっちーの龍を目の前にして形は掴んでいるはずなんだけど、何故にコレだろ?! しかも色が毒々しい。いや、禍々しいような。昭和特撮のオープニングのような。
「……」
「……」
僕は黙って両手でタツノオトシゴを挟んで包んでぎゅっとして消した。……うん、無かった事にしよう。幸いにも、いっちーとトマは遠くを見ているから! 決して今のを見なかった振りなんかじゃないやい!
気を取り直して、何か希望はないか直接聞いてみた。
「そうですね……1日日本に帰るっていうのはどうでしょう? ルミナリエと中華街に行ってみたくて」
*****
「……なんだって?」
「ごめんなさい僕が悪うございました」
いっちーを日本へと送ったすぐ後に、ランチを食べにきたクラ……ク……クラさんとレンさんが、いっちーの不在とランチ料理が無い事にそれこそ『ガーン』っていう効果音が似合う感じで立ち尽くしていた。
わーん、ごめんなさいぃ!!
しゅーんと反省している僕の横から、トマが追い討ちをかけた。
「今日のランチはねー、レンの好きな卵サンドとクラムチャウダーだったんだけどねー。後はクライスさんの食べたがってたキッシュもあったよ」
「お前! 俺はな、昨日の夜からメシ抜きだったんだよ、どうしてくれるんだ!」
テーブルを拳で殴りつけ、うっすらと目に涙を浮かべたクラさん。そのクラさんの肩をポンポンとレンさんは叩き、怒鳴りつけるようなことは無いものの、明らかに僕を責めるような口調で溜息を吐きながら、横目で睨むその目は冷たい。うわっ、こわいよー!!
「……最近忙しくて、久々にイチイの手料理だったんだけど」
「まってーまってー! あ! そうだ!! じゃあ僕がなんかご馳走するよ!」
料理上手なねーちゃんいるし、それ今までずっと食べてきたし、丸焼き以外料理作った事ないけど(多分)出来る(気がする)!
トマの「おれ作るから」ってのは聞こえない。うん!
じゃーちょっとまってて! と、僕は店の外に飛び出した。
とはいえ、僕は別世界の人間。なんかほら僕ってシャイだからさ! 『力』使って姿を隠し、山へと向かう。なんか動物みたいなのいるといいな。移動も『力』を使って速度を上げた。いやもう飛んじゃおう!
道行く途中チャーハンを作っている屋台を見つけた。中華鍋が振るわれる度に炎の龍が踊る。ちょーかっこいいいいい!!!
よし、絶対コレやろ! 見た目もいいし!
そして辿りついた先で不思議ウサギやヘンテコ牛、うーん、何かわかんないけど生命体をゲット。鶏なら何となく味のイメージつくんだけどなあ。
襲ってくる判別不能な獣もいたけど、グーパンチでやっつけた。これも食べられるかなと思って調べようとしたら、チャリンと音を立ててコインに変化した。
なにー! まさかこんな……っ! リアルRPG--!!
よし、今度来たら絶対ここで遊ぼう! 何故なら愛用の刀を置いてきてしまったから。冒険といったら剣は欲しいよね、見栄え的にさ! 来る途中冒険者らしき人も見かけたので、そういった冒険遊びが出来そうだ。うわー、良すぎる! 楽しすぎる! やた!
コインを拾おうとかがんだら、判別不能の獣に付いていた髭だけが残った。よく分からないけど持って帰ろうっと。
帰りは時間がもったいないから扉を描いて戻る。
「えーとなんだっけかな。ルード・ミルでー、イスフェリアーの、城下町ー、んでヒツジ菓子屋ー?」
指でツツツっと描きあげて、扉を開くとそこはもう店の前。時間短縮バンザイ。
「おっまたせー」と店に入れば、テーブル席でレンさんとクラさんとトマがじっと座って待っていた。いや、じっとじゃないね……イライラオーラがもうありえないほど満ちてるよ!
「トマー、ちょっと厨房借りるねー!」
「あ、ちょっと待ってよ! あの、カケルって料理できるの?」
「任せてよ! (ねーちゃんの見てたし)出来るさ! (ねーちゃんの作る料理は)完璧だよ!」
よーし、まずこのウサギを!
――――そして厨房に炎の竜が荒れ狂った。
*****
「皆さんお待たせー! モリモリ食べてね!」
出来上がった料理たちをテーブルに並べる。見た目はちょっとアレだけど気にするな! 料理は愛情だしね! 味見もしてないけど!
しかしみんなの反応が薄い。薄いっていうか若干引かれてる? いやいや大丈夫だって、多分。
「……クライス」
「え、俺!?」
「よろしくー!」
「いや……実際見た目に反して、というのもあるからな」
一旦深呼吸をしたクラさんは、グッと目を閉じて一さじ口に運んだ。
「……」
「……」
「どう? どんな味?」
――――バターン!
「クライスさんー!」
「……まぁそうだろうな」
「あれー、どしたのかなー?」
「カケル、一体何の料理作ったんだよ?!」
「えーと? なんだろわかんない。創作料理、風?」
僕が作る料理は、丸焼きに塩コショウ位しかしない。この厨房は色々なんかあったから目に付く物全部入れてみたんだよね。創意工夫が生きているやほーい! ただし、同じものは作れないよ? 覚えてないし。
ウサギ肉……つーか、捌いた事ないし! 丸ごとドボーンして煮込みだ。牛? 足だけ切って砂糖塗って焼いてみた。髭はジャムとケチャップ入れて焼いてみた。まあそんな感じの工夫をして作ったんだけど。
「うーん、やれば出来る、成せばなると思ったんだけどな?」
「思っただけじゃ駄目ですよ!」
ナイスな突っ込みと共に、目の前で突然光が弾けた。
「ただいまー、ってあれどうしたの? クライスさん?!」
時間通り、いっちーが帰ってきた。しかし帰ってくるなり、ひっくり返って泡を吹いているクラさんに
駆け寄る。
「あ、おかえりいっちー。ちょっとしたアレコレがあって……」
「イチイー! 待ってた!!」
「イチイ、遅い。っていうかどこに行ってたんだ」
皆がいっちーに駆け寄り、色々訴える。そのいっちーはというと、厨房に視線をやり――――声を失った。
その後僕にゆっくりと視線を戻し……ニッコリ笑った。
こ、こわいよぉぉぉ!!
「あー……色々反省してます……何でもさせてイタダキマス。ごめんなさい」
*****
「ってことがあってさー! ねえ聞いてる??」
「はいはい、聞いてるわよ。アンタらしいわねその思い込みの強さ」
「思い込みって言うなよ! そう言う気になるだけだよ」
「それが思い込みって言うのよ! それで? 許してくれたの?」
「……う、うん。ちょっと色々働くことになったけど、いっちーの世界も超楽しそうでさ! あと別の世界にも荷物運びに行ったりして。愉快な玩具っつーか着ぐるみも見つけたから近いうち行って来るね!」
「このお土産の箱は?」
「あ、そうだっけ! 開けてみよ」
「……あら、服ね。なんて書いてあるの? 私カケルの国の字って分からないんだけど」
「……」
「なによ」
「うん、コレ字じゃなくて柄だよ、柄!」
「ホントかしら? ウンノちゃんかリィン様に聞くわよ?」
「ゲフッ」
流石の僕も声が出なかった。……イル・メル・ジーンにこの漢字の意味を知られたら、向こう三年からかわれるに違いない。
絶対教えてなんてやるもんか!
――――出鱈目――――