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短編(異世界など)

結婚式で「誓います」と言ったのに、祝福の鐘が鳴りませんでした

作者: みき
掲載日:2026/09/13

 この国では、結婚する二人が心から誓いを立てると、教会の鐘が鳴る。


 誰かがひもを引くわけではない。風が吹いているわけでもない。ただ、神の前で二人の言葉に偽りがなければ、塔の一番上にある銀の鐘が、一度だけ澄んだ音を響かせるのだ。


 だから結婚式で鐘が鳴らないことなど、めったにない。


 少なくとも私は、自分の結婚式で鳴らないとは思っていなかった。


「アリシア・ベルフォード。私はあなたを妻とし、生涯大切にすると誓います」


 向かいに立つエドガーが、まっすぐ私を見つめてそう言った。


 幼いころから知っている顔だった。黒い髪も、少し緊張すると右の眉がわずかに上がるところも、何度も見てきた。


 私たちは十六歳で婚約して、今日で二十二歳になる。


 六年。


 短くはない。


 私は白い手袋を重ねた手を胸の前で組み、ゆっくり息を吸った。


「私、アリシア・ベルフォードも、エドガー・レインを夫とし、生涯あなたを愛し、支えることを誓います」


 司祭が微笑んだ。


 参列している人々も、自然と塔の方へ目を向ける。


 私も待った。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 鐘は鳴らなかった。


 静かだった。


 広い教会の中には、誰かが息を飲む音まで聞こえそうなほどの静けさが広がっていた。


「……あら?」


 思わず声が出た。


 隣でエドガーも、同じように塔を見上げていた。


「鳴らないな」


「そうですね」


「もう少し待つものだったか?」


「結婚式に遅刻する鐘という話は、聞いたことがありませんけれど」


 私がそう返すと、前に立つ司祭が困ったようにせきをした。


「お二人とも、少しお待ちください。まれではありますが、鐘がすぐに反応しないことも……」


「あるのですか?」


「いえ、私は見たことがありません」


 では、ないのでは。


 そう思ったが、口には出さなかった。


 参列席がざわめき始めた。


 当然だ。


 王都の大教会で、侯爵家同士の結婚式をしている。その新郎新婦が誓いの言葉を口にしたのに、祝福の鐘が鳴らなかったのだ。


 この鐘は、言葉の真偽を確かめる道具ではない。


 たとえば「私は浮気をしません」と言えば、嘘を見抜いて鳴らない、というものではないらしい。


 ただ、結婚する二人が本気でその誓いを信じている時にだけ鳴る。


 だから鳴らない場合、どちらか、あるいは二人ともが、今口にした誓いを心の底では信じていないということになる。


 私はエドガーを見た。


 エドガーも私を見た。


「アリシア」


「はい」


「俺は浮気していない」


「私もしておりません」


「好きな男がいるわけでも?」


「いません。エドガーは?」


「いない」


「男性も?」


「なぜ広げた?」


「念のためです」


「いない」


 少しだけ笑いが起きた。


 参列者の何人かが、すぐに口元を押さえた。


 場を和ませるつもりはなかったのだが、少なくとも息苦しさは少し消えた。


 けれど鐘は、まだ鳴らなかった。


 司祭が少し考えてから言った。


「もう一度、誓いを立ててみましょう。言葉を間違えた可能性もございます」


「間違えてはおりません」


「私も覚えております」


「ですが、念のために」


 仕方なく、エドガーがもう一度私の手を取った。


「アリシア。私はあなたを妻とし、生涯大切にすると誓います」


 声は落ち着いていた。


 迷いも感じない。


 続いて私も言う。


「私も、あなたを夫とし、生涯愛し、支えることを誓います」


 また待つ。


 鳴らない。


 今度はさすがに、私の母が参列席で立ち上がった。


「どういうことですの?」


「母上、少し落ち着いてください」


「これが落ち着いていられますか。アリシア、あなた何か隠しているの?」


「何も隠しておりません」


「ではエドガー様が?」


 今度はエドガーの母が立ち上がった。


「うちの息子が何かしたとおっしゃりたいのですか?」


「鐘が鳴っていないのですから、どちらかに何かあるのでしょう」


「それならアリシア様の可能性もございますでしょう」


「まあ!」


「母上」


「お母様」


 私とエドガーの声が重なった。


 六年も婚約していたせいか、こういう時だけは息が合う。


「少し二人で話します」


 エドガーがそう言うと、司祭もすぐにうなずいた。


「それがよろしいでしょう。控え室をお使いください。鐘については、私どもでも確認しておきます」


 確認して直るものなのだろうか。


 少なくとも、鐘が壊れていたという結論になれば一番平和だった。


 けれど私は、たぶん違うだろうと思っていた。


     


 控え室に入るなり、エドガーは椅子に座って深く息を吐いた。


「どうする?」


「どうすると言われましても。鐘にお願いして鳴っていただくわけにもいきませんし、まずは原因を考えるしかないでしょう」


「君は冷静だな」


「今さら泣いても鳴りませんもの」


「それもそうだ」


 エドガーは少し笑った。


 私も向かいに座る。


 しばらく二人で黙っていた。


 六年も一緒にいて、何度も二人きりになったことはあるのに、今日ほど何を話せばいいか困ったことはなかった。


「まず確認しましょう」


「何を?」


「あなた、本当に私と結婚したいの?」


 エドガーが目を見開いた。


「したい」


「すぐ答えましたね」


「そこは迷うところじゃないだろう。だから今日ここにいるんだ」


「家が決めたから、ということではなく?」


「最初はそうだった。でも今は違う。俺は君と結婚したい」


 彼の声に迷いはなかった。


 それを聞いて、胸の中にあった固いものが少しだけほどけた。


「では私も同じです。エドガーと結婚したいと思っています」


「それなら、何が嘘なんだ?」


「分かりません」


 私たちはさっきの誓いを思い返した。


 彼は「生涯大切にする」。


 私は「生涯愛し、支える」。


 どれも結婚式では普通に使われる言葉だ。


「大切にする、か」


 エドガーがぽつりと言った。


「何か引っかかります?」


「いや。ただ……大切にできるのかなと思って」


「私を?」


「ああ」


 私は思わず眉を寄せた。


「それは、どういう意味でしょう。大切にしたくないということですか?」


「違う。逆だ」


 エドガーは少し困った顔をした。


「大切にしたい。でも、一生できると本当に言い切っていいのかと思った」


「なぜ?」


 しばらく彼は答えなかった。


 やがて、ゆっくり口を開いた。


「父を見て育ったからかもしれない」


 エドガーの父は、三年前に亡くなっている。


 私も何度か会ったことがあった。厳しい人ではあったが、家族にはきちんとしているように見えた。


「父は母を愛していたと思う。少なくとも若いころは。でも年を取って、領地が苦しくなってからは、母に当たることが増えた。怒鳴ったり、何日も口を利かなかったり、母の意見を聞かなくなった」


 私は黙って聞いた。


「母はそれでも『お父様は私を大切にしてくださっている』と言っていた。でも俺には、そうは見えなかった」


「……」


「俺も父に似ているところがある。仕事がうまくいかないと、機嫌が悪くなる。追い詰められると、一人で抱え込む。だから今日、『生涯大切にする』と言った時、少し思ったんだ」


 エドガーは自分の手を見る。


「俺は本当に、ずっとそうできるのかって」


 私はそこで、ようやく少し納得した。


「では、鐘が鳴らなかった原因はあなたですわね」


「ひどいな」


「事実でしょう?」


「そうかもしれない。でも君だって鳴らなかったんだから、無関係ではないだろう」


 その言葉に、今度は私が黙った。


 確かにそうだ。


 もし私だけが誓いを心から信じていたなら、鐘がどう反応するのかは知らない。


 ただ、何となく分かる。


 私にも何かある。


「私は……」


 口に出そうとして、止まった。


「愛していない?」


「それは違います」


「なら支えたくない?」


「それも違います」


「じゃあ何だ?」


 私は膝の上で手を組み直した。


「一生、という言葉かもしれません」


「俺と同じ?」


「少し違うと思います」


 考えながら話す。


「私はエドガーを愛しています。たぶん、今は。それに結婚した後も、できる限り支えたいと思っています。でも『生涯愛します』と言った時、少しだけ変だと思ったのです」


「変?」


「十年後、二十年後の私が何を考えているかなんて、今の私には分かりません」


 自分で言葉にして、初めてはっきりした。


「エドガーが変わるかもしれない。私も変わるかもしれない。大きなけんかをするかもしれませんし、ひどく傷つけ合うこともあるかもしれません。そんな未来を何も知らない今の私が、『一生愛します』と断言することに、少しだけためらいがあったのだと思います」


 エドガーはしばらく黙っていた。


「それ、結婚式で言って大丈夫なことか?」


「大丈夫ではない気がします」


「正直だな」


「今日くらいは正直にしておいた方がよろしいでしょう。鐘が鳴りませんから」


「確かに」


 二人で少し笑った。


 けれど、笑っているうちに私は思った。


 私たちは今まで、こういう話をしたことがなかった。


 結婚後はどの屋敷に住むか。


 領地の仕事をどう分けるか。


 子どもは何人ほしいか。


 夜会へどの程度出るか。


 そういう話はたくさんしてきた。


 でも、


「愛し続けられるか不安だ」


「良い夫になれる自信がない」


 そんな話は、一度もしていない。


「エドガー」


「何?」


「私たち、結婚についてはたくさん話しましたけれど、夫婦になることについては、あまり話していなかったのかもしれません」


「どう違う?」


「結婚式や家のことは話しました。でも、けんかをした時にどうするかとか、嫌なことをどう伝えるかとか、そういう話はしたことがありません」


「確かに」


「私、あなたが機嫌の悪い日にどう接したらいいのか、知りません」


「俺も、君が怒った時どうなるか知らない」


「怒りますよ、私」


「知ってる。静かになる」


「それはまだ怒っていない時です」


「もっと上があるのか」


「あります」


「怖いな」


「今日知れて良かったですね」


 エドガーが笑った。


 その笑い方を見て、私は少しだけ肩の力が抜けた。


「じゃあ、どうする?」


「誓いを変えません?」


「変えていいものなのか?」


「司祭様に聞いてみましょう」


     


 私たちは控え室を出て、司祭に事情を話した。


 最初、司祭はかなり驚いていた。


「一生愛するとは誓えない、と」


「今この場で未来まで分かるとは思えませんので」


「ですが、結婚の誓いとはそういうものでは……」


「できるか分からないことを、できると言っても鐘が鳴らなかったのでしょう?」


 そう言うと、司祭は黙った。


 エドガーが横から助け船を出す。


「形を変えたいのです。結婚する意思はあります。ただ、できない約束を立派な言葉で飾るより、俺たちが本当に守れると思うことを誓いたい」


 司祭はしばらく考えた。


「前例はございません」


「でしたら、今日が最初になりますね」


 私が言うと、司祭は困ったように笑った。


「ベルフォード侯爵令嬢は、昔からこういう方でしたか?」


「今日ほどではありません」


「エドガー」


「事実だろ」


 結局、司祭は許してくれた。


 参列者たちの前へ戻る。


 両家の母親は、まだ少し不安そうな顔をしていた。


「原因は分かったの?」


 母が聞く。


「たぶん」


「どちらだったの?」


「二人ともです」


 母はますます不安そうになった。


 しかし私は、さっきまでよりずっと落ち着いていた。


 もう一度、祭壇の前に立つ。


 エドガーと向かい合う。


 今度は、決められた誓いの文は使わない。


 先に私が話すことにした。


「エドガー」


「ああ」


「私は、あなたを一生愛すると約束することはできません」


 参列席がざわめいた。


 母の顔が見えた。


 ものすごい顔をしていた。


 あとで怒られる。


 でも今は続ける。


「十年後も二十年後も、私たちが今と同じ気持ちでいるかは分かりません。けんかをするでしょうし、嫌になる日もあると思います」


 エドガーは黙って聞いている。


「でも、分からないことを勝手に決めないと誓います。怒っているなら怒っていると言います。嫌なことは嫌だと言います。あなたの気持ちも、私が勝手に想像せずに聞きます」


 少しだけ息を吸った。


「そして明日もあなたと一緒にいたいと思えたなら、私は明日もあなたの妻でいます。その次の日も、その次の日も、自分で選び続けます」


 教会は静かだった。


 鐘はまだ鳴らない。


 次はエドガーだった。


「俺も、君を一生幸せにすると約束するのはやめる」


 今度はエドガーの母が目を見開いた。


「君が何を幸せだと思うか、俺が全部分かるとは思わない。俺自身、これから先ずっと良い夫でいられる自信もない」


 少し間を置く。


「だから、うまくできない時に隠さないと誓う。余裕がなくなったら余裕がないと言う。君のためだと言って、君の望んでいないことを勝手に決めない」


 エドガーが私の手を取った。


「それでも俺は、今日、君と夫婦になりたい」


 胸の奥が熱くなった。


「私もです」


 その瞬間だった。


 ごおん、と。


 大きく、澄んだ音が教会いっぱいに響いた。


 誰もひもを引いていない。


 風も吹いていない。


 それでも塔の上で、銀の鐘が鳴っていた。


 一度。


 長く、遠くまで届くような音だった。


 静かになったあと、誰かが拍手をした。


 次の瞬間には、教会全体から拍手と笑い声が上がった。


 母は泣いていた。


 エドガーの母も泣いていた。


 司祭まで目元を押さえている。


「ずいぶん時間のかかる祝福でしたね」


 私が言うと、エドガーが笑った。


「俺たちが時間をかけたんだろ」


「六年も婚約していたのに」


「六年かけて、今日ようやく夫婦になる話をした」


「そう考えると、少し遅いですね」


「でも間に合った」


 それはそうだった。


     


 結婚してから、私たちは何度もけんかをした。


 最初の大げんかは、三か月後だった。


 エドガーが仕事で疲れているからと、夕食を三日続けて別々に取った時だ。


 私は四日目に言った。


「一人になりたいならそう言ってください。私に気を使っているふりをして逃げるのは嫌です」


 エドガーは少しむっとした顔をしたあと、


「今日は誰とも話したくないくらい疲れてる。でも明日の朝は一緒に食べたい」


 と答えた。


「分かりました。では今夜は一人でどうぞ」


 それで終わった。


 半年後には、今度は私が領地の仕事で無理をしすぎた。


 エドガーが止めようとしたので、


「私のためと言って仕事を取り上げないでください」


 と怒った。


 彼は一度口を閉じてから、


「じゃあ聞く。どうしてほしい?」


 と言った。


「仕事を減らすのではなく、手伝ってください」


「分かった」


 そうして二人で書類を片づけた。


 たぶん、これからもこうなのだろう。


 私たちは一度誓っただけで、完璧な夫婦になったわけではない。


 今日できたことが、明日もできる保証もない。


 それでも結婚記念日になると、私たちは毎年あの教会へ行く。


 鐘を鳴らしてもらうためではない。


 あの日の鐘は、結婚式で一度鳴ったきりだ。


 十年目の結婚記念日。


 教会を出たところで、エドガーが私に聞いた。


「アリシア」


「はい」


「明日も俺の妻でいてくれる?」


 私は少し考えるふりをした。


「今日の夕食次第ですね」


「そんなに重要なのか?」


「もちろんです。あなた、昨日から魚料理ばかりでしょう。私はお肉が食べたいと申し上げました」


「分かった。肉にする」


「では、明日も考えて差し上げます」


「結婚十年目でも厳しいな」


「あなたこそ、毎年聞くではありませんか」


 エドガーは笑った。


「だって、一生分は約束してもらってないからな」


「そうでしたね」


 私も笑った。


 塔の上の鐘は鳴らなかった。


 もう、それでいい。


 あの日鳴った鐘は、「永遠に変わらない」と祝福したのではなかったのだと思う。


 明日も一緒にいるかどうかを、明日また二人で選ぶ。


 私たちが誓ったのは、そのために話すことだった。


「では帰りましょうか」


「ああ。肉を買って帰ろう」


「忘れたら?」


「その時はちゃんと謝る」


「よろしい」


 私たちは並んで教会の階段を下りた。


 背後では、銀の鐘が夕日に照らされていた。


 今日は鳴らない。


 鳴らなくても、私たちは同じ道を帰っていった。


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