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迷子の風呂敷

ふわりと香る、薬特有の匂い。

ゴリ、ゴリリ、と薬研が乾燥した薬草をすりつぶす度、その匂いは広がる。


葛葉(くずは)は、額に滲んだ汗を手ぬぐいで拭いとり、薬研を再び両手で握って力を込める。

「ふぅ……」

ひとつ息を吐き、薬研を動かす。


薬草を手で触る。

サラサラとした、細かく砕けている感触がする。

「よし、いい感じ…」

あとは仕舞えば、この薬草は大丈夫だ。

葛葉は立ち上がり、竹でできた壁を伝いながら、背後の大きな棚の前に立つ。

薬草が入っている瓶を手に取り、ひとつずつ振って、匂いを嗅ぐ。


(これは…月影草)

(これは…朝露の花……そろそろ摘みに行かなくてはならないですね…)


どの瓶にも、葛葉が採ってきた薬草や、調合した薬が入っている。

四半刻して、ようやく空の瓶を見つけた。

薬船から瓶へ、すりつぶした狐火の花を移し替えた。

茶にして飲むと、体を温める効果のある狐火の花。触れるとほんのりぬくもりを感じる。

サラサラ…と、瓶の中に落ち、蓋をしっかりとしめる。


と。



「…おや」

葛葉は、庵の戸口の近くに、気配を感じた。

ざあざあと、雨が枝葉や地面をたたいている。

そんな音が反響するなかでも葛葉は、傷を抱えるモノがわかった。

「そんなところにいては、体が冷えてしまいますよ。中にお入りなさい」

葛葉は、ちいさなモノの前にしゃがんで、そう諭した。


そこにいたのは、風呂敷のあやかし、兎袋(うさぎぶくろ)

幼い兎袋は顔をあげて、葛葉を見た。

「っ…!」

大きな丸い目が見開き、結び目の耳がぴんと立った。


風呂敷の目に映るのは、人間だった。

しかし普通ではない。

両目は白い布でおおわれている。

まだ青さの残る若い顔立ちで、そよ風に揺れる着流しからは、ぷんと薬のにおいがする。

どこか、山に住んでいる幽霊のように見えた。


「…ここ、」

兎袋は、恐怖を隠しきれない顔で、震えた声で言った。

「けが…なおす、とこ…きいたの……」

「はい、ここは診療所ですよ。今日はどうされましたか?」

葛葉は怖がらせないように、なるべく優しい声音で問いかけた。

兎袋は、足を見せた。

「…あし、ち、でてるの…ころんだ…。なおす、できる…?」

「ええ。あなたは……兎袋、ですね。お名前は?」

葛葉は、兎袋の体を、手で滑らせるようにして触れた。結び目の耳に触れると、兎袋はくすぐったそうに体をぷるぷるさせた。

「…さくら」

兎袋は、そう名乗った。



さくらを抱っこして、葛葉は庵の中へ入った。

目が見えないとは思えないほど足は軽やかで、さくらを座布団の上におろす動作も丁寧だった。

「…おじちゃん、ほんとに、め、みえてないの…?」

「はい、見えてませんよ、さくら殿。申し遅れました、私は葛葉です」

おじちゃんと呼ばれる年齢ではありません、という言葉は飲み込んだ。

「くずは…」

「はい、くずは、です」

葛葉はそう答えながら、さくらの足を慎重に触る。極端に痛がらないので、骨折や捻挫の可能性はまずない。

「とげとげ、いっぱいあったとこに…ころんだの…」

さくらの話から察するに、荊の茂みで足を切ったのだろう。

「それは大変でしたね…よくここまで来れました」

葛葉は、薬草棚に手をのばし、瓶をひとつひとつ手に滑らせて確かめる。

「これはさっきの狐火の花。傷薬は……あ、ありました」

葛葉が取り出した小瓶の中には、傷薬として重宝している霜ふり苔が入っていた。

ひんやりとした苔を手のひらに出す。

「傷口は…ここですか?」

「うん」

苔をさらさらとふりかける。

真っ白な霜ふり苔は、傷口を覆うようにぱちぱちと広がった。

その冷気が痛みを和らげていく。

「わああ...!いたいの、なくなった…!」

「これで治療はおしまいです。二、三日安静にしていれば、治りますよ」

「くずは!ありがとう!」

さくらは、桜柄の体をぽふぽふさせて、戸口の方へ駆けて行った。

葛葉は、その小さな足音が、雨音に混ざって消えていくのを、ただ静かに聞いていた。

「…また、いつでもお越しください」



***




夜中まで降り続いていた雨は、日が昇る頃にはすっかり止んでいた。

紫陽花の葉に雨粒がついていて、太陽の光を受けてきらきら光る。

葛葉は竹杖をついて庭に下りて、嗅覚をたよりに、薬草畑の前にしゃがんだ。

「うん、みんな元気そう…長雨で心配だったけど、大丈夫そうですね」

やわらかな葉っぱに触れて、ひとりごちる。


そのとき、

ぽてぽて、ことん……、ぽてぽて…

「ん…?」

葛葉の耳が、小さな足音と、何かが落ちる音を拾った。

ふわりと香る、花のような匂い。

「くずはー!」

ぽてぽてと走ってやってきたのは、さくらだった。

「あら、さくら殿…どうしました?傷がまた痛みますか?」

「ううん、ちがうの!これ、あげる!」

さくらは、ちいさな手の上にのっているものを、葛葉の手のひらの上にころころとのせた。

葛葉はそれを、指先ですべらせ、そっと包み込む。


つるつるした固いもの。

小さくて、先の方がほんの少し尖っている。

少しぼこっとした段差があって、その先はざらざらしている。まるで帽子みたいだ。

つまんで揺らしてみると、コトコトと音が鳴る。


「これは……どんぐりですね。では、診療代としていただきます。お釣りが出るくらい良いものですね」

「ほんと!?えへへ、よかったぁ!

くずは、ありがとう!またね!」

さくらは体をぽふぽふと跳ねさせて、嬉しそうに外へ歩き始めた。


しかしそこで、足をぴたりと止めた。

「…あ…あのね、くずは…」

「はい」

「……さくらのおうち、どっちだっけ?」

さくらは葛葉を見上げ、葛葉もさくらに顔を向けたまま固まった。

「おうちが、わからないのですか?」

「うん…どんぐり、ひろったときね、おうちどっちか、わすれちゃった…」

さくらはしょんぼりと、結び目の耳を伏せた。

葛葉も口をつぐみ、顎に手の甲を当てた。



彼は時折思う。

患者の傷や状態はわかる。

薬も匂いで判別がつく。


けれど、緊急を要する患者のとき。

時間がかかって助けられないかもしれない。

もうひとりくらい、誰かいてくれたら…。



「ならば、さくら殿。おうちがわかるまで、ここで過ごしてはいかがですか?実を言うと、私の目の代わりになってくれる方をさがしているのです」

「ここにいていいの…?」

葛葉はこくんとうなずいた。

「わあい!なるなる!さくら、くずはのおめめ、なる!」

さくらは目をきらきらさせて、ぴょこぴょこ跳ねた。桜の香りが、ふわっと広がった。

「ふふ、では今日から、よろしくお願いしますね、さくら」

「うん!」


盲目の薬師と、迷子の風呂敷の妖。一人と一匹は、やってくるあやかしたちを助けるために、まずは庵の掃除を始めた。


診療記録

水無月六日

種族:兎袋

名前:さくら

処置:霜ふり苔で患部を覆い、安静。

傾向:良好

診療代:どんぐり二つ

備考:迷子のようで、庵に住まわせる。私の目になってくれる模様


記録者:葛葉

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