二度目はどうぞお好きなように
「エリー? ねえ、エリーじゃない?」
その聞き覚えのある声に、エレノアは足がすくんだ。もう二度と会うこともないと思っていたのに。まさかこんな小さな町の雑貨屋で会うなんて。
偶然? そんなことがあるだろうか。エレノアはゆっくりと振り返った。
「ほらぁ、やっぱりエリーだ。久しぶりね」
ヴィヴィアンは屈託のない笑顔で近づいてきた。
「ヴィヴィ、どうしてここに? レオンと結婚して隣国に行ったんじゃなかったの?」
「それが聞いてよ、エリー。宮廷音楽士なんて、ぜんぜん良いものじゃなかったわ。あたし、ガッカリしちゃった」
「ガッカリって・・・」
エレノアはヴィヴィアンの言葉が信じられなかった。
「それを言うために、わざわざ私の居場所を捜して来たの?」
「昔のことを謝ろうと思って」
「どういうこと?」
「レオンには、やっぱりエリーみたいな献身的な人のほうが相応しいって分かったの。ねえ、あたしはもう身を引くから、レオンとよりを戻さない?」
「ちょっと、何を言っているの。私がレオンと付き合ってるのを知っていながら、レオンを奪ったのはヴィヴィでしょう?」
「えー? あたし何度も聞いたよ、レオンと付き合っているのかって。そうしたらエリーはいつも、ただの幼なじみだって答えたよね」
「それはレオンが、音楽家として独り立ちできるまでは交際を内緒にしようって言ったからよ。半人前のクセに結婚だなんて情けないだろうって」
「ふふ、男の変なプライドよね。そんなとこも可愛かったけど、あたしにはもう無理。レオンも後悔してる」
強気だったヴィヴィアンの顔が愁いを帯びた。
よく見ると、いつも流行を追っていた華やかなヴィヴィアンらしからぬ質素な形だ。経済的に苦しいのだろうか。エレノアはとりあえずヴィヴィアンの話を聞くことにして、近くのカフェに誘った。
「言っておくけど、私はレオンとよりを戻すつもりはないから」
エレノアは最初にそう念を押した。
ヴィヴィアンの話は長かったが、内容自体は簡単だった。
「要するに、夫が宮廷に出入りするような音楽家なら、ヴィヴィも高貴な人たちとお近づきになって優雅な生活が始まると思っていたのに、当てが外れたってわけね」
「そうよ、舞踏会やオペラ劇場に出かけていくけど、やることは演奏だけ。妻だからってそれを見に行けるわけじゃないし。演奏をしてない時は、練習とか写譜とか楽器のメンテナンスもしなくちゃいけない。疲れ果てて帰って来て、家では寝てばっかりよ。あたしはただ家事をやってレオンの帰りを待ってるだけ」
「じゃあ、昼間ヴィヴィも働けばいいじゃない」
「嫌よ。何のために結婚したか分からないじゃない」
「レオンが好きで結婚したんじゃないの?」
「その時は素敵だって思ったのよ。教会でヴィオラを弾くレオンに憧れてた女の子は多かったのよ」
「それでも、その楽団の仕事だけで生活できているんでしょう? 以前みたいに、教会の楽団員をやりながら仕立て屋で働くようなことをしなくて済む分、マシなんじゃないの」
「宮廷音楽士って名前は良いけど、結局は使用人でしかないのよね。拘束時間も長いし、夜会なんて深夜に及ぶし。レオンも疲れてずっとイライラしているの」
ヴィヴィアンの愚痴が続くので、エレノアはさすがにうんざりしてきた。
「だからって、私がよりを戻すのはおかしいでしょう。嫌なら離婚すればいいじゃない」
「レオンが納得してくれないの。家事は誰がやるんだって。それに、舞踏会なんかには結婚前の令嬢も参加するから、妻帯していることが条件なんだって。だから、別れたいならエリーを連れてこいってレオンが言うの」
「はあ!? 私を捨てたレオンがそう言ったの? 馬鹿にしないで、お断りだわ」
エリーは心底腹が立った。
「だって、レオンが言うの。エリーなら、教会で演奏する曲の写譜もしてくれたし、生活費の援助もしてくれた。お前ももっと協力してくれって」
「だから、それを妻であるヴィヴィがすればいいじゃない。勝手なことばかり言わないで」
「レオンは幼馴染みなんでしょう。話し合えばきっと昔みたいにうまくやれるわよ」
「絶対に、嫌! だいたいなんで本人が言いに来ないのよ。家事をやってくれる人がほしいなら家政婦を雇えばいいじゃない。幼馴染みの情に期待しないで」
小声でありながらヒートアップする二人の会話は、次第にカフェの中で目立ってきた。
エレノアもそろそろ頃合いかと、ヴィヴィアンに出ようと言おうとしたところで、
「エリー」
エレノアの背後から低音の落ち着いた声がした。
「ヒューゴさん」
振り向いて見上げると、ヒューゴはエレノアの向かいに座るヴィヴィを見て、
「友だち?」
と、聞いた。
「ええ、昔の。でももう話は終わったの」
「そうか、じゃあ行こうか。レストランを予約してある」
「ありがとう」
と言って、エレノアは立ち上がった。
「じゃあ、ヴィヴィ、さよなら。レオンにはきっぱりお断りだと言っておいて」
「待ってよ、エリー。その人は誰? 付き合ってるの?」
エレノアは黙って微笑んだ。
「俺はヒューゴ。今、エリーを口説いているところなんだ。だから邪魔しないでくれないか」
そう言ってヒューゴとエレノアはカフェを出て行った。
残されたヴィヴィアンは、
「なによ、なによ、エリーのくせに。あんな金持ちそうな男に言い寄られてるのに、ちゃんと付き合ってないの?」
二人が出て行ったドアをしばらく恨めしそうに眺めていたヴィヴィアンだが、ふと思いついた。
「なんだ。まだちゃんと付き合ってないなら、あたしが彼に声をかけてもいいわよね」
ヴィヴィアンは、ゆがんだ笑顔を浮かべた。
それからヴィヴィアンはヒューゴのことを調べた。
レオンからエレノアを連れて来るように言われて来たのだが、もはやそれはどうでも良かった。だって、離婚して困るのはレオンだけで、ヴィヴィアンの知ったことではない。
レオンだって、見目が良いのだからいくらでも次が見つかると思う。ただ、出会う時間があればの話だが。そこは楽団長にでも頼んで、見繕ってもらえば良いではないか。自分の嫁探しくらい自分で何とかしてほしい。
それに、ヴィヴィアンがエレノアからヒューゴを奪ったら、エレノアも諦めてレオンのところに行くかもしれない。そうなったら一番理想的だ。
ヴィヴィアンは、若くして成功した実業家のヒューゴを自分のものにするつもりだった。
なにしろあの時のエレノアは、まだヒューゴにそれほど心を開いていないように見えた。レオンに振られた傷が癒えないのか、新しい恋に戸惑っているのか、ヒューゴに遠慮しているように見えた。これは自分が割って入る余地があるとヴィヴィアンは思ったのだ。
ひと月後、エレノアが働く雑貨屋のドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ・・・」
と言ったきり、エレノアは固まった。
ヴィヴィアンとヒューゴが腕を組んで店に入ってきたからだ。
流行のお洒落なドレスを着て、ヴィヴィアンは満面の笑みでエレノアに告げた。
「ヒューとあたし、正式にお付き合いすることになったの。結婚式には招待するわね。日取りが決まったらまた連絡するわ」
ヒューゴは、そんなヴィヴィアンの腰に手を添え、愛しそうに眺めた。
「ヴィヴィ、『あたし』じゃなくて『私』と言いなさい。俺と同じ世界で生きるために自分を磨かないといけないよ」
「はい。私、ヒューに相応しい女性になるわ。いえ、なりますわ」
ヴィヴィアンの返事にヒューゴは満足そうに頷いた。
「ヴィヴィは君と違って実に素直だ。与えた分だけ返してくれる。俺は彼女をどこまでも愛し続ける自信がある。エリー、君と過ごした時間も無駄だったとは思わない。ただ、愛しても愛し甲斐がなかった。俺のことは忘れてくれ。すまない、君が俺に振り向いてくれるのを待てなかった」
ヒューゴは真摯に詫びた。
その隣でヴィヴィアンは勝ち誇った顔をしていた。
「じゃあ、次は結婚式で会いましょう。来てくれるわよね? 幸せのおすそ分けをあげるわ」
エレノアは呆然とその言葉を聞いた。
確かにヒューゴの求愛にきちんと答えてはいなかった。食事に誘われれば五回に一回は応じ、観劇などの外出もごくまれに付き合った。気を持たせたつもりはない。その時のエレノアには、それが精一杯だったのだ。
だからヒューゴが、真っ直ぐに慕ってくるヴィヴィアンに惹かれたのも無理はないと思う。
「・・・お幸せに」
エレノアはそれだけ言った。
二人はぴたりと寄り添って、店から出て行った。
後ろ姿を見送ったまま、エレノアはしばらく立ち尽くしていた。
それから我に返り、エレノアはバックヤードにいる店長の元に走った。
「店長! 今日です。今退職します」
唐突なエレノアの言葉にも、店長は落ち着いていた。
「いよいよか。分かった、荷物はまとめてあるんだね」
「はい。いつでも出られるように準備は万端です。お世話になりました」
「よし、彼らに見つかるといけないから、乗合馬車の駅までうちの馬車で送っていこう。一刻でも早くここを発つんだ」
「ありがとうございます。向こうに着いたら連絡します」
「いや、エリーから直接の連絡はしなくていい。向こうの知り合い経由で知らせてもらえることになっているから。さあ、急ごう」
エレノアは鞄二つに全ての持ち物を詰めて、店の馬車に乗り込んだ。
「これでヒューゴの束縛から解放される。あの押しつけがましい善意の枷から逃げ出せる」
エレノアは安堵のあまり涙があふれてきた。
「エリー、安心するのはまだ早い。向こうに着くまでは気を緩めるな。ヤツの知り合いは多い。顔を俯けてとにかく逃げることだけ考えよう」
「はい」
「でもまあ、これまでのヤツの様子を見る限り、常に一人だけに執着するみたいだし、今はヴィヴィアンとやらにぞっこんなら、エリーを捜したりしないだろう。エリーの前に付き纏われていた女たちは、軒並みただ捨てられて、それっきり見向きもされなくなったしな。新しいおもちゃを見つけたら、古いのはいらないってタイプだ」
「そうだと嬉しいんだけど」
「さて、駅に着いたようだ。向こうでも真面目にがんばれよ」
「はい、ありがとうございました」
エレノアは乗合馬車に半日揺られ、その街で一泊した後、さらに二日かけて店長の知り合いの店に着いた。
エレノアはこの半年ほど、どこで目を付けられたのか分からないが、ヒューゴという男に執着され、つき纏われていた。素直に従えばどこまでも優しいが、従わなければ大声で諭された挙句、エレノアの希望は何一つ考慮してもらえなかった。
― エレノアにはピンクが似合うよ。
― 日傘はフリルがある方が可愛いね。
― あの歌劇より、こちらの方が教養のある層に評判がいいからこちらを見よう。
― 日曜日はミサに行くこと、これが俺と付き合う女性の最低条件だ。
― なぜ食事を断るの? 美容のためには俺の薦める食事が一番だよ。
― あんな雑貨屋で働いているなんて、友人たちに紹介できないじゃないか。俺の事業所においでよ、そうしたら毎日一緒に帰れるから。
― 来週泊りで別荘に行かないか。雪に閉じ込められて何日も過ごすなんて女の子なら絶対に憧れるだろう? 何が気に入らないの?
気が狂いそうだった。断るのにも気を遣い、逆上されないように細心の注意を払った。雑貨屋の店長に取りなしてもらったことも何度かある。どこかに訴えようにも、傍目からは好きな女の子の気を惹くために一生懸命になっている男にしか見えない。店長以外の人からは、結局のろけでしょうと言われて終わりだった。
店長は、ヒューゴが度々店を訪れて、嫌がるエレノアをしつこく誘っているのを見ていたために、この執着は危険だと見抜いた。そしてチャンスがあれば、エレノアを逃してやりたいと考えていた。
そこに、エレノアの昔の友人のヴィヴィアンが現われたので、渡りに船とヒューゴを彼女に押し付けることにした。罠を仕掛けるまでもなく、ヴィヴィアンはエレノアからヒューゴを奪うことに積極的で、ヒューゴもまた自身の執着心を喜んで受け入れてくれるヴィヴィアンに落ちた。
この先ヴィヴィアンとヒューゴの関係がどうなるかは分からない。けれど、それはもうエレノアには関係のないことだ。
「ヴィヴィアン、私をヒューゴから解放してくれて、ありがとう」
今はただそう思うのみだった。
読んでいただきありがとうございました。




