2.一度言ってみたかった
翠と結依は今、王宮の応接室のソファに座らされている。
あれから一悶着あって、あわや翠は召喚の間に置き去りにされそうになったところ、結依の鶴の一声で翠も同行することになった。
翠は心の中で謝った。関係ないとか言ってごめん。
結依は召喚されてからずっと翠の腕を掴んで離さない。
王太子が結依に手を差し出してエスコートしようとしたが、それを全力で拒否したときの王太子の顔が見ものだった。
その王太子は向かいのソファに腰掛けたがはいいが、何故か石のように硬直している。
そしてかれこれ二十分、重々しい沈黙がこの部屋を支配している。
この空気は前にも味わったことがある。翠はしみじみと思い出していた。多額の借金がバレた翠の父が母の前で正座していた時の様子を。
翠は王宮のメイドさんが注いでくれた紅茶に手を伸ばしながら、この状況を作り出している人物に目をやった。
ちらりと気付かれないように見たつもりだったが、その人物もティーカップを傾けながらこちらを見ていて目が合った。
ドキリ。と心臓が飛び出すのではないかと思うほど動揺した。翠は慌てて視線をそらす。
しかし動揺は収まらず、カップを持つ手が微かに震えた。
(何でこんなに動揺してるんだ私は)
あの目が怖いのか。
鋭く、静かで、深い海の底のような目。
そして纏う空気が異様に重い。
全身から溢れ出すロイヤル感。ソファに座っていても分かる長い足、サラサラとした濃紺の髪が男性的な輪郭を縁取り、途轍もない色気を醸し出しているが、それと同時に全てを凍てつかせる冷酷さを漂わせている。
どこかで聞いたことがある、美形の無表情は怖いって。きっとそれだ。
確かに、王太子がビビるのも分かる。明らかに美形の質が違う。
うんうん、と翠は一人納得して王子同情的な視線を向けた。
翠の憐れむような視線に気付いた王太子が、何かを察して翠を睨み返してきた。
その目を『なによ』と言う気持ちで睨み返す。
こっちはまだ召喚の間に置き去りにされそうになった事根に持ってるんだから。
そこで初めて、その人物が声を発した。
「王太子殿下」
低く地を這うような声で呼ばれた王太子は、ビクッと背筋を伸ばして目を泳がせた。
この男性、これまで一言も話さないでこの空気を作り出していたのだから驚きだ。
「な、何だヴィンスレット公爵」
「何故このような状況になっているのか、お客人にも、わたしにも、分かるようにご説明いただけますか?」
「な、何を言っている公爵、其方には事前に話していたではないか」
そう王太子が発した瞬間、部屋の気温がまた一度低くなったように感じた。
「ええ、確かに聖女召喚に関して貴方様から話を伺いましたが、その提案は現実的ではなく、国の方針にも沿わないため実行不可と結論が出たはずですが、私の勘違いだったのですか?」
「それは」
「ましてや建国以来聖女召喚は一度も成功していない。過去に幾度と聖女召喚を試みては失敗し、王国にとって生命線とも言える魔力を大量に消費しては、その度に王国が危機に晒されてきた事を貴方は王国歴から学んでこなかったのですか」
公爵がピシャリと言い放つ。
王太子はプルプルと震え出したが、辛うじて感情を押し殺した声を発した。
「だが現に成功しているではないか」
「だから国王陛下の決定に背いても許されると?」
「父上もわかっている筈だ。この国には聖女が必要だ。何百年と我が王国だけ聖女不在のまま、溢れ出した瘴気は魔術師達だけではもはや手に負えなくなっている。北部最大の国庫地帯にまで瘴気の影響が出ているのだぞ?」
「その国庫地帯を守っている結界の魔力を消費してまで聖女召喚を推し進めて、もし成功しなかったらどうするつもりだったのですか」
「だからこうして成功したと言っている! くどいぞ公爵!」
王太子は結衣を指して言った。
突然の注目に驚いた結依は肩を震わせる。
公爵は震える結衣を感情の読めない目で見ていたかと思うと、一度視線を下げて再び王太子に向き合った。
「何より王太子殿下は初代聖女様の最後のお言葉を忘れたのですか」
「最後の言葉? そんなものは知らん! もうよい公爵、こうして聖女がこの国に現れたのだからそれ以外は全て瑣末な事だ。ようやく王国も聖女を得たのだ。聖女の力があればこれまでの憂いが瞬く間に解決し王国もかつての威光を取り戻せるだろう。煩わしい帝国も大人しくなると言うものだ!」
真っ赤な髪を掻き上げて得意になる王太子に翠は頭が痛くなる思いがした。
なんて他力本願な言い分だ。
翠の直感がこのままでは駄目だと警鐘を鳴らしている。
「公爵様、お聞きしたことがあります」
翠は公爵の目を見る。何故か初めて見た瞬間からこの人は話が通じる人だと確信めいたものを感じていた。
今後のことを話す前に、この事だけは確認しておかなければならない。出来れば聞きたくないが、聞かなければならない。
「何だ」
公爵!と王太子が不服を示すが公爵はどこ吹く風だ。翠は意を決して公爵に尋ねた。
「私たちは違う世界からこの国にやってきましたが、
・・・・・・戻る方法はあるのでしょうか」
翠はぎゅっと手に力を込める。結依の腕にも力が入るのが分かった。
戻れるものなら戻りたい。期待を込めてみたが、
公爵は目を逸らす事なくはっきりと言った。
「悪いが、其方達を元の国に返す方法は古い文献にも記されていない」
翠はぎゅっと目を瞑った。目の奥が焼ける様に熱い。隣から結衣が消えそうな声で翠の名を呼んだ。
戻れない。その事実が思く背にのしかかった。
喉の奥から熱い何かが込み上げて叫び出したくなる衝動を強く手を握る事で収める。
「何を言う。戻る必要などないではないか! 聖女は国王にも並ぶ地位と名声を持っているのだぞ」
場違いな事を言う王太子に、最早怒りを通り越して心が空虚になる。
権力でしか物を見れないのはその様に育てられたからだ。しかし国の頂点に立つべき王族が他人の力を当てにして粋がっている様では、何か起こった場合全ての責任を負わされかねない。
悲しんでる場合じゃ無い。
翠は腹を括る。
頑張らないと誓ったが、今頑張らなくては今後の生活環境が危ぶまれる。
「王太子殿下、一つよろしいでしょうか」
なに?と王太子が眉を吊り上げて聞き返してきたが、翠は王太子には目もくれず公爵を見る。
「許可する」
「公爵! 何故其方が許可を出す!」
自分が全て正しいと思い込んでいる子供に、ここは大人として一つ釘を刺しておかなければならない。
「王太子殿下は、聖女召喚の成功を大層喜んでおいでですが、結依ちゃんもこの国の為に喜んで協力するとお考えですか?」
「何? 当たり前では無いか。聖女はこの国で最も名誉ある者の称号だ」
だから誰であっても喜ぶべき事柄であると。
王太子は心底理解できない様子で翠を見ている。ついでに不快感を隠そうともいない。
そこまで嫌われる様な事しましたか。と声を大にして言いたいが私は大人だと歯を食いしばる。
「言い方を変えます。王太子殿下は今のこの現状をどの様にお考えですか?」
翠は涙目な結衣の肩を引き寄せて、寄り添いながら王太子を見て言った。
「さっきまでの話を聞いていなかったのかお前は、歳を食ってる割には頭が悪いのか? 聖女召喚が成功してこの国の長年の憂いは最早解消されたも同然だ。国を上げて祝福されるべき事で国王陛下も大層喜ばれるだろう。安心しろ結衣。聖女は最も尊ばれるる存在だ。其方に不自由はさせないしこの俺が責任を持って守ると約束しよう」
何良い笑顔で的外れな事を言ってるんだ。それにいちいち人に喧嘩を売らずにはいられないのか。
しかも結依ちゃんの名前をしれっと呼び捨てにしやがって。
コイツは子供だ。身分を振りかざせば全て思い通りになると勘違いしてる子供だ。
腹を立てたら負けだ。
だが一つだけ確認しておきたい。
この王太子は頭がお悪いのですか、と言う気持ちを込めて公爵を見るがあろう事か公爵は優雅にお茶を飲んでいた。
そうですか、そうですか。公爵様が止めないと言うことはこれから何を言っても咎めを受けませんよね。不敬罪とか言われたら公爵様も同罪ですからね。
花柄のティーカップもよくお似合いですこと。
「そうではありません王太子殿下。根本的なところで認識の違があります。私たちは私たちの国で自分達の生活をしていたのに、突然こんな文明も世界も違う国に連れてこられてましてや強制労働とは、納得しかねます」
「お前の納得など必要ない。俺が必要としているのは結依だけだ」
「・・・あなた方にとって聖女がどれだけの存在かは分かりませんが、突然呼ばれて役割を押し付けられても困ります。そもそもわざわざ他の世界から人を召喚して、その人間に他世界の問題を解決させること自体が間違っているとは思わないんですか?」
「何だと?」
「この国の問題を他人の所為にしてるって事ですよね。自分たちが解決できない問題を関係ない人間に解決してもらおうなんて無責任が過ぎるんじゃないですか」
バン! と王太子がティーテーブルを叩いた。
「さっきから言わせておけば好き放題言いおって、何故お前にそんな事を言われなければならん! 勝手に結衣に付いてきた聖女でもないお前に偉そうに言われる筋合いはない! 関係ない奴は大人しく引っ込んでいろ!」
プッチーン。と何かが切れる音がした。
「確かに関係ないですよね。なのに何で関係ない人間がこんなところにいるんでしょうね」
「お前が勝手に」
「勝手にとか言わないでくださいね。私も結依ちゃんと同じく被害者ですから!」
「被害者? 何を訳の分からない事をっ」
「訳がわからないのはこっちの方です! 名前も知らない、顔も知らない、ましてや国も世界も違う場所に突然連れてこられてこっちは頭真っ白なんですよ! それなのに関係ないですって? 人を馬鹿にするのも大概になさい! ちゃんと責任はとってもらいますからね! 貴方は私達を誘拐したって事を自覚しなさい! この誘拐犯!」
ビシっと、指を刺して言い放ったはいいが、人に指を刺してはいけないと日本人な血が騒いですぐに指を下げたのを、公爵は無表情で見ていた。




