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18.意外とチョロい


 地下は思ったよりも深かった。何故こんなにも深いのかを尋ねると、精霊は人間界からより離れている場所に居心地良さを感じるのだと言う。地下深く、湖の底、森の奥深く、山の頂、人の手が到底及ばない場所に存在することが多いらしい。

 だが何故そんな場所に向かっているのかと言う質問には答えてくれなかった。


 地下に辿り着いた翠は息を呑んだ。

 そこにあったのは地底湖。地底湖と言うには小部屋のようなサイズだが、連なる石の壁や天井から滴る水の音が幻想的で、何より深く澄み渡る碧い湖面が美しい。湖の底から光が湧き出ていて、辺りは地底と思えないくらい明るくなっていた。


 「きれい・・・」

 「これはいったいどう言うことですか?」


 翠の感嘆を遮ってレナが怒った顔で言う。美人の怒り顔は何とも迫力がある。階段を降りている時から徐々に空気が張り詰めていくのを翠は背中越しに感じていたが、問われたバルトナー師団長はどこ吹く風と言った様子だ。


 「どうとは?」

 「この様な場所、私は伝え聞いておりません」

 「それは私の知ったことではないね」


 バッサリと表現するのが相応しい口調でバルトナー師団長が言うと、レナは言葉に詰まらせた。


 「っ・・・でしたら、閣下がここに来た理由は何ですか」

 「それも君に教える必要のないことだ。私に意見したかったら相応の立場を得てから言いなさい。それにここへは君が勝手について来たのだよ。邪魔するつもりなら今すぐ出て行きなさい」

 

 バルトナー師団長がノランに目配せすると、ノランは一歩踏み出した。本気だと察したレナは悔しそうではあったが握りしめた拳を開いて従順の意を示した。

 

 「ミドリ君、ここは美しいだろう」


 突然の話題転換に一瞬乗り遅れた翠は「ああ、はい」となんとも味気ない返事を返してしまった。


 「ここには二十年前まで精霊が宿っていたのだよ」

 「精霊が⁉︎」


 翠より早く反応したレナをバルトナー師団長が一瞥する。するとレナは口を閉じて踏み出した足を黙って引いた。

 翠の頭にはハテナが浮かんだ。確か公爵の話では二百年前から徐々に精霊は王国の領土から姿を消していったと言っていた気がするが。

 翠が不思議そうに首を傾げる様子を見てバルトナー師団長は言う。


 「この国から精霊は姿を消したと言われているが、ただ一人この王国に留まってくれた精霊がいたのだよ。そのおかげで王国は今も存続出来ている」


 留まってくれたと言うには少々語弊があるがね、とバルトナー師団長は独りごちる。


 「素朴な疑問なんですけど、精霊は人の姿をしているんですか?」

 「君が気になるのはそこかい?」


 可笑しそうに言うバルトナー師団長に翠は当然だとばかりに頷く。バルトナー師団長はしばし「ん〜」と顎をさすりながら思案する。

 

 「そうだねぇ、一般的には精霊は聖女となる素質のある人間にしか見えないと言われているが、稀に強い力を持つ精霊は人の形をして我々の前に現れることがある」

 「じゃあその人の姿をした精霊がここにいたんですか」

 「そう言うことだ」


 そう言いながら、バルトナー師団長は金の鍵を懐から取り出すと、「おっと」などと見え透いた小芝居をしながら鍵を湖に投げ入れた。


 「えっ」

 「おいっ」

 

 翠とノランの声が重なる。


 「おや、落ちてしまったね」


 お前が落としたんだろうがとは誰も口にしない。そうなる状況を見越してかバルトナー師団長は、全く困っていなさそうな顔をしながら「困ったね」などと嘯く。

 何だこの状況、と思いながら翠は嫌な流れに陥っているのではないだろうとかと押し黙った。


 「悪いがミドリ君、落としてしまった鍵を取って来てくれないか」

 「嫌です何でですか」

 

 即答である。当然である。


 「落としてしまっておいて何だが、私は泳げないのだよ」

 「だったらノラン」

 「ノラン、君も泳げないね」

 「はっ、泳げません」


 嘘つけ!と思いを込めてノランを睨み上げるが、ノラン自信も困惑して目を白黒させている。どうやら神経反射で答えてしまった様だ。


 「でしたらわたし」

 「君は黙っていなさい」


 レナはおとなしく引き下がった。

 これはあれか? 新手のイジメか? 集団で三十路の女を湖に掘り込もうなんていじめにしても酷すぎるぞ。

 

 「ミドリ君」


 バルトナー師団長は駄々っ子を嗜める様に言う。

 もう一度言おう、何だこの状況。


 「納得がいきません。何で私が取りに行かないといけないんですか。理由を説明して下さい」

 「皆泳げないのだから致し方あるまい」

 「理由になってません。あれで何とかできないんですか?」

 「あれとは?」

 「あれですよ、魔法」


 翠が言うとバルトナー師団長は何故か残念な者を見る様な目で翠を見た。

 何ですか、咄嗟に言葉が出てこないなんてよくありますよね。年上なんだから分かりますよね。

 翠は淑女あるまじき顔でバルトナー師団長を威嚇する。

 

 「残念ながら私は水魔法が苦手でね。水の底に落ちたものを拾うなどと言う芸当はできない」

 「だったら何か長い棒を探しましょう」


 翠は辺りを探すが、棒どころか植物すら見当たらない。辺り一面光沢のある石ばかりだ。


 「ミドリ君」

 「だから何で私が」

 「ここの湖は王国では珍しく底から熱い湯が湧き出していてね、この湖はいわば温泉と言えるから寒くはないはずだよ」

 「温泉!?」


 翠は全力で食いついた。

 翠は休日になると一人で温泉巡りをするほど温泉好きだ。それなのに昨日聞いたら、王国には温泉は無いと言うでは無いか。そもそも湯に浸かる文化がないときた。

 翠は悲嘆に暮れて夜を明かしたのだ。

 そう考えると、この国に来てからいいこと無いなと思い至る。

 そうだ、騙されてはいけない。と翠は冷静さを取り戻した。


 「それにしては湯気も出ていないし、見るからに冷たそうですけど」

 「ここは精霊が住んでいた特別な空間だよ? 湖に手をつけてごらん」


 翠はしゃがんで指先を湖に入れた。


 「あったかい」


 四十度。と脳内センサーが反応する。


 「どうだい? 鍵を取って来てくれたら、この温泉を君に使わせてあげよう」


 その言葉で翠の心は揺れた。


 「閣下それはいくら何でも」

 「いいから黙っていなさい」


 翠の後ろでバルトナー師団長とノランが何やら言っているが、翠は迷いに迷っている。そこでバルトナー師団長はとどめとばかりに告げる。


 「使うだけでは割に合わないと言うならそうだね、君の専用にしてもいい。国王ですら持っていない君専用の温泉だよ」


 庶民翠には専用の温泉という響きは何とも魅力的だった。

 翠は気だるそうに立ち上がって、腕を組んで一言。


 「・・・分かりましたよ」


 その顔が満更でもないことはその場にいる全員が気付いたが、誰も口にすることはなかった。



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