13.初めての異世界料理
快く引き受けてくれた料理長ノランは、まずは昼食を作るところを見せてくれることになった。
レナはしつこく翠を引き留めたが、料理はプロに教わるのが一番なのだ。
見て学ぶ、舌で覚えるは翠の基本スタイルだ。あとは実践あるのみ。
今日は比較的簡単なボア肉の煮込み料理を教えてくれることになった。
貯蔵室に吊り下げられた大きな肉塊を肩に担いだノランの姿は、さながら建設現場でセメントを運ぶ作業員だ。
聞くとノランは王族の護衛を任されるほどの騎士だったが、魔獣との戦闘で右脚を負傷して現役を引退したそうだ。一見脚が悪い様には見えないが、いろいろあるのだろう。
そんなノランは、今から森に木でも切りに行くんですかと聞きたくなるほど大きな斧を振りかぶっている。
調理台には巨大な肉塊が横たわっている。
「おらあ!」
ドン! と調理台も真っ二つにする勢いで斧を振り下ろす。
翠は思わずレナを見る。レナはさっきと変わらない表情でノランの作業を見ている。
翠は自分の認識を改めないといけないと思った。
これは見ているだけでは分からない。
「ボアの肉ってそんなに硬いんですか?」
何度も斧を振り下ろし続けるノランに聞くといい笑顔で返された。
「ぶつ切りはこの方が早いだけだ! おらおらおらあ!」
「・・・」
ボア肉の赤い血が翠の顔やエプロンに飛んでくる。
もう一度レナを見ると、私は止めましたよと真顔が返ってきた。
なるほど、と翠はこれが普通ではない事を悟る。だがここで諦めてはいけない。試合はまだ終わっていない。
一通り肉を割り終わって一呼吸置くノランに翠は声をかける。
「煮込み料理には他にどんな食材を使うですか?」
するとノランはパントリーに入って例の血を垂らしたココナッツもどきを鷲掴みにして持ってきた。
「コチャップだ」
ドンっと置かれた拍子にまたもや赤い液体が翠を襲う。
ノランは大きな鍋を空いている調理台の上に置く。
「魔導コンロです」
レナが呟く。ナイスアシスト!と翠は慌ててノランの近くに寄る。
「魔導コンロってどうやって使うんですか?」
翠が聞くとノランは眉を上げた。
「本当に何も知らないんだな」
「みどり様はこの度我が国にご降臨された聖女様と一緒に、昨日異世界から参られたばかりです」
レナが代わりに答えてくれる。
「聖女様と?」
「実はそうなんです。なのでこの世界のことを何も知らないので教えていただこうかと」
「って事はあんたも聖女様なのか?」
ノランが若干顔を引き攣らせて聞いてくる。
「いえ、私は巻き込まれただけのただの人です」
お気になさらず、と言うとノランは安堵の顔をした。
「じゃあさっき知らない食材ばかりって言ってたのはそう言う事か。元いた世界とそんなに違うのか?」
「色も形も全然違いますね。でも昨日今日と頂いた食事はどれも美味しかったので、似た味の食材が多いと思います。なので食材の扱いや魔道具の扱いを教えていただきたいんです」
「魔道具もか」
と言うと、ノランはどこか思い詰めた表情で翠を見た。
魔道具の扱いはよそ者には教えてはいけない決まりでもあるのだろうか。翠が若干不安を覚えていると、ノランは呟く様に言った。
「異世界って事はあんたは今一人なのか?」
そんな事を聞かれるとは思ってもいなかった翠は戸惑った。
「結衣ちゃん、聖女様とは以前からの知り合いなので完全に一人と言うわけではありませんけど、そうですね、家族や友人はもういませんね」
冷静に言ったつもりだが改めて口にすると声が震えそうになった。
「・・・そうか、辛かったな」
翠を思い遣って泣きそうな笑顔で言ったノランに、翠は胸が少し詰まった。ここにきて初めて心配の声をかけられたことが嬉しかった。
翠は心配してくれたノランを安心させようと笑顔で言う。
「辛くないといえば嘘になりますけど、取り敢えずは前向きにやっていこうと思ってます」
「そうか、困った事があったらなんでも言え、助けてやるくらいするぞ」
ニカッと人好きする笑顔を見せてノランが言う。
あぶねー、と翠は思った。
さっきまでの狂ったように生肉に斧を振るっている姿を見ていなかったら、イケオジの笑顔に惚れるところだった。
翠は全力でノランの笑顔を頭から追いやる。
「じゃあ再開するか!」
ノランはそう言って翠にコンロの扱いを教えてくれる。なんて事はないボタンに触れるだけだ。魔力を持つ人なら誰でも点火出来るらしい。火力のメモリもあって指で調整できる。
ここで翠にも魔力がある事は分かったが、そんなことより日本と似たシステムで簡単に料理ができる事が知れたことの方が翠をワクワクさせた。
ノランは大きな鍋の上に握り拳を作っていたかと思うと、それにさらに力を込めるとパキッと音がして手の中からとろりとした透明の液体が出てくる。
「油ですか?」
「そうだ。アプの実の中身は油だ」
胡桃の様な茶色く硬そうな実だ。あれはノランみたいな握力でなければ割れないなと翠は思う。
ノランは熱した油の上に、あれだけ斧を振り下ろしていたのに大振りな肉塊たちを豪快に置く。
ジュー肉の焼ける音と匂いが厨房に広がる。
翠も日常を思い出す匂いで嬉しくなった。
トングでひっくり返しながら満遍なく焼き目をつけると、そこでようやくコチャップの登場だ。
ノランは鍋の上に左手でコチャップを翳し、右手に斧を持つ。
コチャップに斧の角を突き立てた。
キャァァーーー・・・ボチョボチョボチョ
なに今の、と翠が戸惑っていると、ノランは次々とコチャップを割っていきその度に人の悲鳴らしきものが響き渡る。
コチャップはまだ生きている食材だったのかと焦ったが、五回ほど悲鳴を聞いてようやく翠は理解した。割って中に空気が入ると人の悲鳴の様な音が出るらしい。
非常に傍迷惑な実だった。
異世界だなぁ、と半ば放心状態になる翠にお構いなく、ノランは次々にワインや香草などを放り込んでいく。
時間はある。と翠は自分に言い聞かせる。
今は取り敢えず異世界の料理風景を楽しもう、とノランの豪快すぎる手捌きを見守る。
コチャップ自体はトマトソースみたいでいい匂いがした。




