兄弟として
「やだぁ!」
眼が覚める。
悪い夢を見た、とても怖い夢を見た、気がする。
しかし、どんな夢だったか、思い出せない。
「浩介、おはよう。」
「お兄ちゃん……!」
悠介の声を聞くと、何故か涙がこみあげてくる。
「お兄ちゃん……、ごめんなさい……!」
「何を謝ってるんだ?何も悪い事なんてしてないだろう?」
「でもぉ……!」
ひっぐひっぐと嗚咽をこぼしながら、浩介は悠介にしがみつく。
怖かった、とても怖かった、泣いてしまう程怖かった。
悠介は、ここにいる。
しかし、いなくなってしまう、そんな気がして。
「そうだ、ランドセル買いに行かないとな。」
「ランドセル?」
「小学校で使う移動用のバッグだよ。通ってないって事は、持ってないんだろう?そもそも、親御さんが話がつかないんだ、持ってたとしても渡してもらえるどうかもわかんないからな。」
悠治達が部活やらクラブに行って、昼ご飯を簡単に済ませてから、思い出す。
「よし、買い物行くか。」
「うん!」
朝泣いていたから、何かあるのかなって思ってたけど、気持ちは落ち着いてるみたいだ。
良かった、って思いながら、俺は車のキーをもって、上着を着て浩介とお出かけ。
「どの色がいい?」
「えーっと、うーんと。」
デパートの小学校のポップアップに来て、丁度次の小学生に向けての商品が並んでて、ありがたい。
浩介は、色とりどりのランドセルを見て、どれにしようか真剣に悩んでる。
「これ!」
「青色か、俺の時にはなかったなぁ。」
「そうなの?」
「俺の頃はな、男の子が黒で女の子が赤だったんだ。でも、今はこんな風に色とりどりのカラーリングがあるっていうのは、感心だな。」
浩介は青いランドセルを選んだ、値段は七万円くらいだし、そんな痛い買い物でもない。
他にも筆記用具とか、筆箱とか、そういうのが必要だろうから、って一旦移動。
「筆箱はどれがいい?色鉛筆は?算数セットもいるか……。」
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「どうした?唐突に。」
「だって……。こんなにいっぱい、お金かかるんでしょ?」
「そんなの、子供が気にする事じゃないよ。お金の心配はいらないよ、これでも俺、金だけは持ってるから。」
筆箱を選んでる時に、ふと浩介が聞いて来る。
どこか不安そうな、自分がこんなに選んでいいのか、そんな顔をしてる。
俺は笑いながら、心配ない事を伝えると、浩介はホッとしたみたいだ。
「くまさん、あるかなぁ。」
「浩介はくまさんが好きなのか?」
「可愛いから!」
「そっかそっか。あ、これなんてどうだ?」
なんて話をしてると、丁度くまのぬいぐるみがプリントされた筆箱を見つける。
浩介はそれを取って、つぶさに眺めていたが、それがいいと決めて籠に入れる。
「可愛いな。」
「ねぇ!可愛い!」
「浩介も可愛いよ、くまさんも可愛いけどな。」
「えへへ……。」
一通り学校に通うのに必要な道具を揃えると、だいぶだいぶな量になった。
まあいっか、なんて思いながら、車にそれを乗せておやつでも、と思ってデパートから少し離れた喫茶店に入る。
「フレンチトースト二つと、クリームソーダ、それにカフェオレをお願いします。」
「フレンチトーストにクリームソーダ、カフェオレですね、少々お待ちください。」
「フレンチトースト、ってなあに?」
「パンを卵と牛乳とお砂糖を混ぜたのに漬け込んで、焼いたお菓子だよ。美味しいぞ?」
浩介は、どんなお菓子が来るのかと想像してて、眉間にしわを寄せながら唸ってる。
まあ、アイスを知らなかったくらいだから、フレンチトーストなんて縁はなかっただろうな、とは思うけど。
「こちら、クリームソーダです。」
「あれ?昨日のとちょっと違うよぉ?」
「昨日のはアイスクリーム、これはソフトクリームだな。ソフトクリームのほうが柔らかいんだ。美味しいから、食べてごらん?」
「いただきます!」
ソフトクリームをスプーンですくって、一口ぱっくりと食べる。
眼がきらきらして、美味しいって震えながら感動してる浩介、そんな浩介を見てると、なんだか笑えてくる。
「美味しい!」
「良かった、いっぱい食べていいからな?」
「うん!」
昨日初めて飲んだメロンソーダに、新しく加わったソフトクリームの組み合わせは、子供には魅力的だろう。
「フレンチトースト、お持ちしました。」
「はい、ありがとうございます。」
「どうやって食べるの?」
「ナイフとフォーク使って、こうだよ。」
続いてフレンチトーストとカフェオレが来て、浩介はこのパンをどう食べればいいのかと聞いてくる。
流石にナイフとフォークの使い方は知らないかな?って思って、先に実践して見せる。
「えっと、こう?」
「そうそう、ナイフで切って、フォークで取るんだ。」
「……。美味しい!甘いよ!」
四苦八苦しながら俺の真似をして一口フレンチトーストを口に放り込んだ浩介は、頬を緩ませながら笑う。
それだけ美味しかったんだろう、不器用な作法でナイフとフォークを使って、あっという間に食べ終わる。
「美味しかったぁ……!」
「それは良かった。浩介は食べた事ない物が多いから、教えがいがあるな。」
それは悲しい事だ、本来ならもう知っていてもおかしくない年齢で、知らないのだから。
ただ、それを悲しい事として認識させたくなかった、初めての経験は何にも代えがたい感動がある、だから、出来るだけ幸せな経験にさせてあげたかった。
「お兄ちゃんが飲んでるのは、なあに?」
「コーヒーだよ。苦くて飲めないかもな?」
「苦いのって美味しいの?」
「癖になる美味さっていうのがあるな。苦いって言っても、野菜の苦さとはまた違う、そんな感じだよ。」
飲んでみるか?って浩介のほうにカップを渡すと、浩介は飲むかどうか悩んでるみたいだった。
苦いのが苦手なのかな?
「……。にがあい……。でも、美味しい!」「お、コーヒーの良さがわかるってのは、なかなか大人だな。」
「えへへー。」
一瞬嫌そうな顔をした後、笑う浩介。
まあ、カフェオレだし砂糖は入ってるし、飲めなくもないかなとは思ってたけど、悠介はまだコーヒーは甘みがあっても飲めないから、浩介の反応は意外だ。
「さて、食べ終わったら帰るか。二人がそろそろ帰ってくる時間だしな。」
「お兄ちゃん、あのね……。」
「どうかしたか?」
帰ろうとレジに行くと、浩介がもじもじして俺を引き留める。
何かあったかな、何か買い忘れでもあったかな、なんて思いながら、浩介が口を開くのを待つ。
「野球、やりたいなって……。」
「野球か。そっか、わかった。じゃあ、来週にでも監督に相談しに行こうか。グローブもその時買うかな。」
「良いの……?」
「勿論だ。やりたい事、なんでもやってごらん?きっと、楽しいと思うぞ?」
「やったー!」
嬉しさを全身で表す浩介、そんな浩介を見てると、引き取って良かったなと思う。
きっと、引き取られてなかったら、これからもずっと、抑圧され続ける人生を送ってたんだろうな、って。
「ただいまー。」
「ただいま!」
まだ誰も帰ってきてない家に帰ってきて、手紙が来てる事に気づく。
「浩介、小学校浩ちゃん達と同じだな。」
「そうなのぉ?」
「転校生として扱って、明日からぜひいらしてください、だってさ。」
手紙は学校からのもので、結構迅速に動いてくれてるんだなって関心。
浩介のクラスは決まっていたが、一度も学校に来ていなかった為、転校生扱いの方が気楽だろう、と気遣いの言葉まであった。
「学校、楽しみだな。」
「うん!」
「明日から早速おいで、だって。教科書とかは用意しきれてないけど、まあ大丈夫だろうとも書いてあるな。良かったな、浩介。」
「学校……、楽しいかなぁ!」
「勉強もしなきゃならないから、楽しいことばっかりじゃないとは思うけどな。でも、友達と一緒に遊んだり、一緒に勉強したり、っていうのは結構楽しいぞ?」
浩介はわくわくを全身で表現したいって感じで、体をぶるっと震わせてそわそわしてる。
とりあえず学校に関して忌避感でもあったらと思ってたから、そこは良かった。
学校側も受け入れ準備は出来てるみたいだし、ここも安心かな。
「さ、今日は準備しないとな。勉強机は、俺の部屋の机を片付ければ良いだろう。」
「うん!」
浩希と悠介が帰ってくるまで、とりあえず片付けの時間だ。
両手いっぱいの荷物をもって、二階の俺の部屋に行って、片づけを始めた。
「お兄ちゃん、これだあれ?」
「ん?ああ、おっちゃんだよ。俺も名前は知らないんだけどな、世話になった人なんだ。施設に行く前日に、写真を一枚でいいから撮っておきたい、ってせがんでな。それで撮ってもらったんだ。そんな所で埃かぶってるとは思わなかったな。」
机を整理してる最中、浩介は一枚の写真を見つける。
その写真には、まだ幼い頃の悠介と、手を握って一緒に写っている中年男性の姿があった。
悠介が度々口にする「おっちゃん」とは、この人物の事であり、悠介が忘れられない、忘れてはいけないと考えている人物だ。
ぱっと見は少しいかつい顔をしているが、笑顔がとても優しく、穏やかな人物なのだろうという事が伺える。
「どっかに飾っておくかな……。」
仕事部屋にでも置いておくか、と悠介が悩んでいる内、浩介はつぶさにその写真を眺めていた。
悠介はその頃はまだ痩せていて、面影はあるがまったく違う体型で、よく見ると悠介だ、という程度にしかわからない。
「お兄ちゃん、痩せてたんだね!」
「そうだな。昔の話だけどな。」
「でも、今のお兄ちゃんのぷにぷにお腹も良いなぁ!」
「浩ちゃんも悠ちゃんも、同じこと言ってたな。お腹ってそんなに良いか?」
浩希と悠介も、悠介のお腹が好きだと言っていて、ダイエットをしようかとぼやくたびに、ぷにぷにお腹が、と言っていた。
自分としては邪魔なだけなんだがな、と悠介は思っていたが、なんだかそれが可愛くて、痩せるという選択肢があまり思いつかない、というのはあった。
「これはこっちで、っと。」
「これは?」
「向こうにしまおうか。俺の荷物は仕事部屋に持っていって、浩介のものを置こう。」
そんな話をしながら、片づけを進めていく二人。
あっという間に時間は過ぎていって、気が付けば浩希と悠介が帰ってくる時間になっていた。
「この辺で良いかな。浩介、後は自由にもの置いて良いからな?」
「うん!」
浩介は、生まれて初めて自分が自由に出来る空間というのを手に入れて、嬉しそうに笑う。
悠介はそんな浩介の頭を撫でながら、二人を出迎えに一階に降りた。
「ねぇお兄ちゃん、あのね。」
「なんだ?」
「僕、お兄ちゃんと家族になりたい。悠治お兄ちゃん達とも、一緒になりたいんだ。」
「じゃあ、養子縁組するか。ってなると、坂崎じゃなくて坂入性になるけど、良いか?」
「うん!」
夜ご飯を食べ終わって、浩介と風呂に入って、寝る前。
もじもじしながら何を言うのかなと思ったら、家族の事だった。
勿論良い、というか俺はそのつもりだったし、丁度良いって言った方が良いかな?
一緒に暮らす、って言っても、養子縁組をしておかないと、手続きがいろいろと面倒になりがちだし、浩介と家族になりたいとも思ってたから。
「今日は寝なさい、明日から学校だ。」
「楽しみだなぁ……。」
まどろみの中へ落ちていきながら、浩介はきっと、友達でも出来る想像をしてるんだろう。
ニコニコ笑いながら、眠りについた。
「……。」
本当に、両親に毒されてなくて良かった。
これで、庶民が云々言い始めたら、俺は怒らなきゃいけない所だったし、そもそも俺と関わろうだなんて思わなかっただろうし。
ホッとすると、なんだか眠くなってくる。
俺も寝よう、明日からが踏ん張りどころだ。
なんて事を考えてると、意識が飛んでいく。




