初めてのハンバーグ
「んぅ……。」
朝が来た。
浩介は目を覚ますと、知らない天井というか、昨日連れてこられた悠介の部屋にいた。
一階にいた事は覚えているが、二階に上がって眠りについた事がうろ覚えだ、だいぶ眠かった覚えはあるが、確か警察の人が帰って、と記憶を掘り起こす。
「ふあぁ……。」
こんなに安心して眠ったのはいつぶりだろうか。
いつもは、父親か母親にたたき起こされ、文字通り叩かれて起きていた。
今日は誰も叩かない、今日は誰にも叩かれない。
なんだか安心する、と浩介は思いながら、悠介に挨拶をしようと起き上がる。
「悠介さん、おはようございます……。」
「お、起きたか。おはよう、浩介君。ぐっすり眠れたかい?」
「うん……。」
朝ごはんの準備をしてると、浩介君が起きてくる。
昨晩はぐっすり眠れたみたいで、疲れた顔はしてない。
けど、やっぱり悲しげな顔というか、まあ捨てられたって自覚してたならこういう顔をするだろうな、って顔をしてる。
「おはよ、浩介君。」
「えっと……。おはようございます、悠治さん。」
「君がにいちゃが連れてきた子?おはよ!僕は浩希!よろしくね!」
「僕は悠介って言うんだぁ!にいちゃと同じ名前なんだよぉ!よろしくねぇ!」
悠治と浩希と悠介、俺が保護した三人の子供が、浩介君に挨拶をする。
悠治とは昨日会ってたからびっくりはしなかったみたいだけど、浩希と悠介は初めて会うから、ちょっと驚いてるみたいだ。
浩希は今小学五年生、悠介は今小学二年生、二人は兄弟で、顔がよく似てるから、体格の違いとかで見分けないと、わからないと思う。
「この子達はね、親に捨てられたり、虐待を受けていたりしてね。施設出身の俺が、施設がいっぱいだからって、引き受けて一緒に暮らしてるんだ。」
「そう、なんですか……?」
「そうだよ、君も今日から一緒になると思うよ。まあ、ご両親次第な所はあるけどね。」
両親、と聞くと、浩介君は体をびくっと震えさせる。
やっぱり、親にトラウマがあるんだろうな、って感じて、この話題は一旦おしまい。
「朝ごはん食べようか、食べれないものある?」
「えっと……、大丈夫、です……。」
「そっか。じゃあそこに座っておくれ?もうすぐご飯が出来るから。」
一旦台所から出て、浩介君を空いてる椅子に案内して、朝ごはんのベーコンエッグを作る。
本人が自覚してないだけで、アレルギーとかがあったら困るけど、まあ卵くらいなら食べてるだろうと思って、そのチョイスだ。
「おなか、空いた……。」
「もうちょっと待ってね?」
昨日の晩から何も食べていないんだろう、浩介君はベーコンエッグの香りにそわそわしてる。
悠治と浩希と悠介もそわそわしてて、皆おなかすいてるんだな、ってちょっと笑っちゃう。
「はい、出来たよ。召し上がれ。」
「いっただきまーす!」
「いただきまーす!」
「まーす!」
トーストとベーコンエッグを出すと、三人はすぐに食べ始めて、浩介君は手を出さない。
「食べないのかい?」
「えっと……。他の人が食べ終わってから、食べなさいって……。」
「両親の教育か……。大丈夫だよ、食べて。誰も怒ったりしない、皆で一緒にご飯を食べよう。」
浩介君の頭を撫でながら、俺はそう言って席に着く。
浩介君は、なんだかホッとした様な顔をして、思いっきりトーストにかじりつく。
よっぽどお腹が空いてたんだろうな、こんな可愛い子を虐待するなんて、親はどうかしてるよ、っていう感想だ。
夜はあんまり見えなかった浩介君の顔、ぱっちりした二重に薄い唇、丸顔で痩せこけて。
可愛いんだけど、それよりも腕の細さとかが可愛そうになってくるくらい細くて、華奢だ。
「美味しい?」
「うん……!」
「良かった、たくさん食べるんだよ、君くらいの年齢の子は、たくさん食べないと大きくなれないからね。」
「良いの……?」
「勿論さ。お代わりするかい?」
「うん……!」
俺はそんなにお腹空いてないから、子供達の面倒に回る。
悠治達もまだまだ食べたりないみたいで、もう一回か二回ベーコンエッグを焼くかなって感じだ。
「浩介君はさ、どうしてここに来たの?」
「えっと……、わかんない、です……。」
「にいちゃが一緒に行こうって言ったんでしょぉ?僕達の時も同じだったもん!」
「そう言う事は本人が言いたくなるまで聞かない、約束だろ?」
悠治が疑問に思って口にしてるけど、そういう話は本人がするまで待つ、がここのルールだ。
孤児院とか保護施設と違ってあんまり人数が増えないから忘れがちなんだろうけど、そういう約束をしてる。
「そうだった、忘れてたや。ごめんね、浩介君。」
「い、いえ……。」
「さ、バンバン食べなされ。浩介君、この後警察と児童相談所の人が来るから、洋服だけ何とかしようか。悠ちゃんの服が丁度良いかな。悠ちゃん、あったかい洋服、用意してもらっても良いか?」
「はぁい!」
末っ子の悠介にお願いすると、元気の良い返事が返ってくる。
学校にも行ってないって話だし、学校の手続きなんかもしなきゃなーって思いながら、さてどうしたもんかと。
「悠介さんは、食べないんですか……?」
「ん?ああ、俺も食べるよ。いただきます。」
皆の分を取り分けてから、自分の分も出して食べ始める。
朝はあんまり食べない、夜にがっつり食べるタイプだから、トースト二枚で十分だ。
「ごちそうさまでした。」
「でしたー!」
ちょっと時間が経って、あっという間にご飯を食べ終わって、今日は土曜日だからまったりと時間が過ぎていく。
コーヒーをいれて、仕事部屋で煙草を吸いながら、これからの事を考える。
「ふー……。」
煙草、控えないとかな。
浩介君はきっと、煙草も怖がるだろうし、そうなってくると、暫くは煙草を控えなきゃかなとも思う。
まあ、吸ってる所見せなければ大丈夫かな?
「悠にぃ、じゃあ僕部活行ってくるねー。」
「はいよ、行ってらっしゃい。」
悠治がひょっこり顔を出して、中学の野球部に出かける。
悠治を保護したのが悠治が小学五年生の頃、野球選手に憧れてるって言ってたから、すぐに野球クラブを探したっけ。
浩希も悠介も、今では悠治につられて野球クラブに通ってる、まあ悠介はまだティーボールだけど。
「さってと。」
双葉さんと児相の人が来るまでに、ちょっと準備だけしておかないと。
「初めまして、浩介君。俺は児童相談所の矢川だよ。これから先、色々とお話をする事になるから、よろしくね?」
「よろしく、おねがいします……。」
「それで、悠介君。相変わらずなんだね?これ以上は、大変な事になるかもしれない、って言っておいたよね?」
「あはは……。だって矢川さん、放っておけないでしょ?」
朝九時になって、双葉さんと一緒に、児童相談所の壮年の男性、矢川さんがやってきた。
この人、俺が保護された時にはもうベテランって言ってて、多分歳は五十何ぼかくらいじゃないかな、だいぶベテランの類の、優しい人だ。
ただ、強面だから、ちょっと子供に怯えられがちだけど。
現に今浩介君も、俺の後ろに隠れて、俺の服の袖を握って涙目になってる。
「それもそうか。じゃあ、仕事しようかな。ご両親には聞き取りに行ったけど、まあなしのつぶてと言うか、虐待は認めないけど家に入れる気もない、って感じだ。そもそも、庶民が云々で話にならなかったしな。だから、多分施設に入るかここで暮らすかのどっちかなんだけど、施設は定員がね。悠介君、君は引き取る気でいるんだろう?」
「そうですね。もしも矢川さんが良いって言ってくれて、家裁が許すなら、引き取る気でいますよ。」
「俺は構いやしないよ。まあ、家裁も許すだろうな。施設はいっぱいいっぱい、養親を探しても見つからない、でも保護児童は増えていく。嫌な世の中になってきたもんだな、待ったく……。浩介君、君はどうしたいかとかあるかな?施設があくまでここにいるか、それとも悠介君と養子縁組をして正式にここに住むか。」
「えっと、その……。」
「わからないか……。養子縁組っていうのはね、親子になるって事だよ。悠介君がお父さんになる、って事だ。まあ、悠介君はお兄ちゃんって呼ばせてるし、実際そういう関係の方が近いけどもね。」
浩介君はじっと俺のほうを見つめてる。
きっと、それをしていい相手なのかどうか、っていうのを考えてるんだと思う。
「迷惑じゃ、ないですか……?」
「迷惑だったら、俺はそもそも昨日、浩介君に声を掛けてないよ。そういう覚悟があるから、話しかけたんだ。迷惑だなんて、子供が考える事じゃないんだよ。」
「……。」
「答えはすぐ出さなくてもいいよ、浩介君。それでも一緒に暮らす事にはなるだろうけど、養子縁組をするかどうかはゆっくり考えていけばいい。」
「うん……。よろしく、おねがいします……。」
「じゃあ、今日はこれで俺達は一回帰るから。上に報告もしなきゃならないし、ご両親がどういう腹積もりなのかも考えとかないといけないから。浩介君、これ、俺の携帯の電話番号ね。何かあったら、すぐ掛けてくると良い。」「大丈夫だよ浩介君、矢川さん、怖い顔してるけど、優しい人だから。」
矢川さんに怯えてた浩介君だったけど、俺の言葉に頷いて電話番号の書かれた名刺を受け取って、ぺこっとお礼を言う。
これから先の事を考えると頭が痛い、なんてぼやきながら、双葉さんと矢川さんは家を出ていった。
「さて、じゃあまずは洋服かな。悠ちゃんのを着せてるのも良いんだけど、ちょっとぶかぶかだろう?」
「良いの……?」
「あぁ。浩介君……、いや、浩介って呼んだ方が良いかな。浩介、これからよろしくな。」
「うん……!」
生きる場所、生きていい場所、それが見つかった気がしたんだろう。
浩介は、元気よく返事をすると、俺と一緒に買い物に出かけた。
「こっちも良いな、これも買おう。夏物は……、また今度で良いか。」
「悠介さん、こんなに良いの……?」
「だって、同じ服着まわしてたら、虐待って言われちゃうだろうし、色々と一から揃えなきゃなんだから、これくらいは買わないとな。」
「そう、なんだ……。」
子供服の店に来て、次々籠に洋服をいれていく悠介の姿に、驚いている浩介。
こんな風に買い物をした事もない、いつも洗濯をする分しか洋服を買い与えられていなかった浩介にとって、それは衝撃的ともいえる量だった。
「これなんかどうだ?あったかそうだよ?」
浩介の身長に合わせて、洋服をポイポイといれていく悠介。
「浩介、何か欲しい柄の服とかあるかな?あったら、遠慮はいらないからどんどん選んでな?」
「う、うん……。えっと……。」
浩介は悩む、今まで選択権を与えられた事がなかった、自分で何かを決定する事がなかった浩介にとって、何かを選ぶというのは難しいのだろう。
「……。くまさん……。」
「可愛い柄だね、それが良い?」
「えっと……、うん……。」
熊のプリントがされた、白いシャツ。
浩介は、それに惹かれている様子だった。
「良し、じゃあそれも買おう。」
「良いの……?」
「良くなかったら聞いてないって。さ、籠にいれて?」
「ありがとう……!」
初めて、自分の意思というものを尊重してもらった浩介は、顔を赤くして気分を高揚させる。
それだけ、抑圧されていたのだろう、と悠介は見ていたが、きらきらと目を輝かせてくまのシャツを握りしめている光景は、可愛いが切ないのだろう。
眉間にしわを一瞬寄せ、見られてはいけないと一瞬で元の笑顔に戻る。
「他には欲しいものある?何でも言ってくれよ?」
「ううん、大丈夫……!」
くまのシャツが余程嬉しかったのか、それ以上は言わない浩介。
たったそれだけの事、を喜んでしまうというべきか、たったそれだけの事で、心がいっぱいになってしまう、それが悲しい、と悠介は感じていた。
「お昼どうしようか、皆は今日は部活だったりクラブだったりでいないしなぁ。外食でもするか?」
「外食って……?」
「お外でご飯を食べるんだよ。何か食べたいものはある?ハンバーグとかどうだ?」
「ハンバーグ、って何……?」
洋服をたんまり買って、さて昼ご飯はどうしようかって話になったんだけど、ハンバーグを知らない子供がいるのか、とちょっと衝撃。
じゃあ普段何食べてたんだ?
「浩介、ずっと何食べてきたんだい?」
「えっとね……。お野菜と、お米……。」
「あぁ、それでそんなに体が細いのか、納得だ。ハンバーグはね、お肉を細かーくしたのを捏ねて、丸めて焼いたのだよ。子供が好きな事が多いかな。」
「じゃあ、それ食べたい……。」
肉を食べた事が無いっていうのは驚きだけど、それならこの体の華奢さも納得だ。
子供に栄養をきちんと上げてない、これも一個、虐待としての判断材料になるかな。
「いらっしゃい!あら悠介君!今日はまたどなた?」
「こんにちは、奈津子母さん。席、空いてます?この子は浩介、これから一緒に暮らす子です。」
「いらっしゃい、浩介君。私は砂川奈津子、ここの看板ばばあよ!」
「えっと……、はじめ、まして……。」
「あらあら、ずいぶんとまた引っ込み思案な子ねぇ……。また何かあった子なんでしょう?こんな細い体で、可愛そうに……。おばちゃんがいっぱい、ご飯食べさせてあげるからね!」
なじみの洋食屋に来て、看板ばばあって自称してる奥さんと挨拶。
この店は夫婦で五十年くらいやってる店らしくて、俺が小さい頃、近所のおっちゃんに連れてこられたのが出会いだった。
実家からは少し離れてるんだけど、家からわりかし近くて、今でも通ってるのは、きっと奈津子母さんが好きだからだと思う。
「ご注文はなんにしましょ?」
「ハンバーグ定食二つと、そうだな……。浩介、クリームソーダ、って飲んだ事あるか?上にアイスクリームがのっかってるんだ。」
「ううん……。」
「じゃあ、クリームソーダも追加で。後はナポリタンも。」
「はいよ!コーヒーは後でいいかしら?」
「はい。」
奈津子母さんは、注文を旦那さんに伝えに厨房に行って、大きなよく通る声でオーダーをしてるのが聞こえてくる。
「母さんって……。悠介さんの、お母さんなんですか……?」
「ん?違うよ。ただ、子供の頃から仲良くさせてもらっててね、何て呼べばいいですか?って聞いたら、奈津子母さんが良いって、言ってくれたんだ。俺にとっては、母親みたいな人だよ。優しくて、愛情が深くて、笑顔が素敵で。良い人なんだ。」
「あらあら、褒めてもハンバーグは大きくしないわよ?悠介君、また少し太ったんじゃないかしら?そろそろ痩せないと、ダイエットも大変になってくるわよぉ?」
注文を取って戻ってきた奈津子母さんは、恰幅の良いおばあちゃんって感じの見た目で、眼は垂れ目でちょっと細くて、笑い皺がチャーミングな顔つきだ。
「はいこれ、クリームソーダよ!」
「これ、なんですか……?」
「炭酸、って見た事ない?しゅわしゅわしてるんだよ。美味しいから、飲んでごらん?」
浩介は、恐る恐る、初めて見る炭酸飲料に口をつける。
「……。美味しい!」
「そっか、それはよかった。」
ぱっちりした眼を大きく開いて、驚きながら夢中になってクリームソーダを飲む浩介。
今までの食事が野菜と米って事は、飲んだ事なかったんだろうなとは思ってたけど、こういう反応は新しいな。
「アイスも食べてごらん?」
「ん……。冷たい……、甘い……!」
「アイスも食べた事ないの?あらあら、またずいぶんなご家庭で育って来たのねぇ……。いっぱい飲んでいいのよ?今日はお代わり自由にしちゃう!」
「良いんですか?」
「嬉しいもの、こう言って美味しそうに食べてもらうが、何よりの幸せじゃない?だから良いの!ほら浩介君、好きなだけ食べて好きなだけ飲みなさい!」
「うん……!」
ハンバーグが来る前にお腹いっぱいになっちゃわないかな、ってちょっと止めようとしたけど、あんまりにも浩介が美味しそうにクリームソーダを飲むもんだから、やめとこう。
「はい、ハンバーグだよぉ?」
「美味しそう……!」
「はい、悠介君はナポリタンもね。」
「ありがとうございます。」
クリームソーダに夢中になって、二杯飲み終わって三杯目をお代わりした所で、ハンバーグ定食が来た。
浩介は眼をきらきらさせながら、どうやって食べるのかな?ってきょとんとしてる。
「いただきます。」
「わぁ……!」
俺が箸でハンバーグを一口放りこむと、浩介はそれを真似して箸をとって、不器用そうに持ってハンバーグを一口かじる。
「美味しい……!悠介さん……!美味しいよ……!」
静かに、でも感動してる浩介は、嬉しそうにハンバーグを口にバクバクと入れていく。
本来はこれくらい食べたかったんだろうな、って言うのが印象で、やっぱり子供はこういうのが好きなんだろうなって、改めて再認識する。
俺もそうだった、家じゃ碌にご飯も食わせてもらえなくて、いつも家族の残り物で、それでおっちゃんにここに連れてきてもらって、えらく感動した覚えがある。
少し似てるんだろうな、きっと。
「お腹いっぱい……!」
「よく食べたわねぇ!美味しかったかしら?」
「美味しかった、です……!」
「じゃあ、またいらっしゃいな。悠介君に連れてきてもらって、今度はお友達でも一緒にどう?」
「ありがとうございます、奈津子母さん。それじゃ、そろそろ子供達が帰ってくる時間なので、今日は帰りますね。」
「また浩希君達も連れてきて頂戴な!あの子達見てると、元気が出るのよねぇ。」
そろそろ時間だ、お暇しないと。
「ごちそうさまでした。」
「ごちそうさまでした……!」
感動冷めやまぬ様子の浩介を連れて、俺達は家に戻る。
「悠介さん……。美味しかった……!」
「そっかそっか、また行こうな。」
「うん……!」
帰り道、車の中で、浩介は興奮気味に悠介に言葉を伝えていた。
元々主張をほとんどしない、おとなしいのだけが良さだ、と両親に言われていた浩介が、ここまで自己主張をする、というのはとても珍しい事だった。
悠介はそこまでは知らないが、なんとなく浩介の語尾に翳りがあるのには気づいていて、それが何故なのか、もなんとなく理解していた。
それは、かつての自分の姿にそっくりだったからだ。
悠介は、六人家族の二番目に生まれ、長男は最初の子だから、三番目の長女は初めての女の子だから、末っ子の三男は末っ子だから、という理由で甘やかされていた中で、冷遇を受けていた。
何をやっても叱られる、外食には連れて行って貰えない、食べるのはいつも家族の残飯。
そんな生活をしていた悠介が、浩介の状態に気づかないわけがなかった。
「なぁ浩介、俺の事さんづけするの、やめないか?これから一緒に暮らしていくんだし、もっと気楽に呼んでくれよ。」
「えっと……、良いの……?」
「良くなかったらこんな話してないって。好きな様に呼んでくれよ。悠治は悠にぃ、浩ちゃんと悠ちゃんはにいちゃ、って呼んでくれてるぞ?」
「うんと、えっと……。」
「まあ、すぐには答えは出さなくても大丈夫だ。浩介が呼びたい様に、呼んでくれればいいから。」
浩介は悩む。
両親以外に殆ど関わりを持った事もない、他人というものを殆ど知らない浩介は、この人を何て呼べばいいのか、と悩んでいる。
しかし、悠介さん、と他人行儀でいるのも嫌だ、と心のどこかで思っていて、どうすればいいのか、と。
「……。お兄ちゃん、って呼んでもいい……?」
「お兄ちゃんか、良いぞ?」
「お兄ちゃん……、ありがとう、僕を見つけてくれて……。」
「良いって事よ。きっと、出会う運命だったんだろうさ。昨日、散歩に出たのは、何かの縁を手繰り寄せる為だったのかもしれないな。」
「えっと……?」
悠介の言葉は、時々難しくてわからない。
浩介は首を傾げ、どういう意味だろうか、と考える。
「要するに、会う事が決まってたって事だよ。きっと、俺と浩介は、悠治達もそうだけど、会う事は神様が決めてたんだよ。」
「神様が……?」
「まあ、神様なんて信じちゃいないけどな。いるとしたら、なんでこんな無垢な子供をひどい目に合わせるんだ?前世の罪?んなもん知った事かってな。でもきっと、会うべくして会った、とは思うな。きっと、会わなきゃならかったんだってね。だから、俺は真面目に思ってるよ、浩介を守りたいって。」
「お兄ちゃん……。」
守りたい。
そんな言葉を言われたのは、生まれて初めてだ。
ずっと、外には庶民しかいない、バカしかいないから関わるな、と教えられてきた。
子供ながらに、そんな事はないんじゃないかと思っていた浩介は、その気持ちが本物だった事を知る。
「僕……。」
「浩介は泣いていいんだ。泣いて泣いて、涙が枯れて、そしたら、前に歩いて行こう。」
「……。」
涙が出てくる、それは悲しいからではない。
嬉しいのだ、浩介は、生まれて初めて出会った、自分を守りたいと願ってくれた人と出会えて、嬉しいのだ。
それを知ってか知らずか、悠介は赤信号で車が止まった所で、浩介の頭を撫でる。
心地良い、嬉しい、涙が止まらない。
悠介の言葉が理解出来た訳ではない、しかし浩介は、その言葉を忘れてはいけない、と感じ取っていた。
「ただいまっと。」
「えっと……、ただいま……。」
まだ誰も帰ってきてないけど、癖で口に出すと、浩介も戸惑いながら口を開いてくれる。
ここで暮らす事になる、っていうのを理解してるんだろうな、って考えながら、それが良かったのか悪かったのか、なんて。
「それじゃ、着替えておいで。部屋は……。そうだな、空きがないから、俺と同じ部屋で良いか?煙草くさいかもしれないけど。」
「うん……、お兄ちゃんと、一緒……。」
「そっちの部屋は俺の仕事部屋だから、俺がいない時は入っちゃ駄目だからな?一応、仕事関係のものがいっぱいあるから。それで、二階に上がって……。」
「うん……。」
浩介に部屋を教えながら、二階に上がる。
「こっちが悠治の部屋、こっちが浩希と悠介の部屋だ。それで、ここがこれから浩介が寝る所だな。さて、片づけをしないと洋服が入らないな……。浩介、手伝ってもらっても良いか?」
「うん……!」
浩介と初めての共同作業、取り合えず俺の洋服を片づけて、浩介の服が入るくらいにはしておかないとなって。
「ふぅ、休憩するか。」
「うん……。」
「ココア、飲むか?」
「美味しいの……?」
「昨日上げたやつ、眠くて覚えてなかったかな?」
一階に戻って、牛乳をあっためる。
浩介はその様子をつぶさに見てて、ちょっとそわそわしてる。
「座ってて大丈夫だぞ?」
「ううん……。お兄ちゃんと、一緒……。」
ずいぶんと懐いて来たな、とか思いながら、牛乳が沸騰するちょっと前まであっためて、ココアパウダーを入れて、少し冷まして。
「はい、どうぞ。」
「いただきます……。」
あったかいココアは、体に染み込む。
もう気が付けば十二月の頭、だいぶ寒くなってきたし、暖房は入れてるけど体の芯が冷えてる。
そんな所にホットココアは染み込んでくる、ホッと一息ついて、顔を見合わせる。
「どうかしたか?」
「お兄ちゃん……、ニコニコしてる……。父ちゃんも母ちゃんも、いっつも怒ってて……。」
「そうかな?俺だって怒る事はあるぞ?ただ、皆の前では怒った顔を見せたくない、ってだけだ。」
「なんで……?」
「皆に笑っていて欲しいから、皆に幸せになって欲しいからだ。俺は愛を売る、人を愛する事でしか、生を実感出来ない。生を実感するっていうのは、要は生きてる理由みたいなもんだ。その代わり、皆の心をもらってる。皆の幸せが、俺の幸せなんだ。」
「わかんない……。けど、嬉しい……。」
愛を売るので、心をください。
それは、おっちゃんの口癖で、俺の口癖だ。
おっちゃんは、両親が亡くなって独りっきりで生きてて、俺にそう言ったんだ。
最初は意味が分からなかった、愛を売るから、っていうのも、心を下さいっていうのも。
でも、今ならその意味がわかる、愛する事で、幸せになって欲しいんだって。
愛する事で、愛する人が、幸せでいてくれる事。
それが、おっちゃんにとっては幸せだったんだろうって。
いつからか、それを理解してからと言うもの、俺もそう言う様になった。
おっちゃんが死んじゃった事を知ってから、それを受け継ぐのは俺だけなんだって、受け継げるのも俺だけなんだって、そう思って。
「いつか俺の事を忘れても構わない、でも、幸せになってくれ。」
おっちゃんが、施設に引き取られる前日に言ってた言葉。
おっちゃんは、名前も知らなかった、俺を愛してくれた人は。
最期の最期まで、俺の幸せを願ってくれた。
だから、俺もそうしたいと思った。
施設を出てすぐに、宝くじで一等を当てて、この家を買った頃。
施設で世話になった先生が、定員が近いってぼやいてて、じゃあ俺に出来る事はなんだ?って思った時に、施設に入れなかった、はぐれてしまった子を迎え入れよう、って決めたんだ。
「お兄ちゃんも……。大切な人が、いたの……?」
「そうだな、二人、はもう死んじゃった、名前も知らない近所のおっちゃんだったな。後は、昔の恋人かな。それに、今は皆が大切な人だ。大切な弟達、命を賭してでも守りたいと願った子達。浩介だって、その一人だよ。」
「えへへ……、嬉しい……。」
「……。愛を売るので、心をください。これは、忘れてくれて構わない、大人になってもわからなくても構わない。でも、聞いてほしい。俺は、俺にとっては、皆が幸せである事が幸せなんだ。皆が笑顔でいてくれる事、いっぱい感動して泣く事、怒る事、色んな事があって、それで。最後に、幸せだったと思える人生を送って。それが、俺にとって幸せなんだ。だから……。この言葉は忘れてもいい、ただ、幸せになってくれ。」
「えっと……、うん……!」
浩介の頭を撫でながら、俺は伝えておきたい事を話す。
昔おっちゃんが言ってた、あの時は理解出来なかった、今なら理解出来る言葉。
おっちゃんも、きっと俺と同じだったんだろうな。
誰かを愛する事でしか、自分という存在を認識出来ない、生を実感する事が出来ない、寂しいと思われても仕方がない、でもそれしか無くて。
今の俺を見たら、どう思うんだろう。
「ただいまー!」
「ただいまぁ!」
「おかえりー。」
夕方になって、浩希と悠介が帰ってくる。
二人とも泥だらけになって、今日もいっぱい練習をしてきたんだな、っていうのがよくわかる。
「浩介君、そのお洋服可愛いね!」
「可愛いねぇ!」
「えっと……、えへへ……。」
浩介が着てたくま柄のシャツを見て、二人はきらきらと眼を輝かせる。
浩介もまんざらじゃないみたいで、嬉しそうにはにかんでる。
そもそも同級生の友達なんかがいなかったであろう浩介にとっては、二人は良い感じに友達感覚になれるかもしれないな、とか考えたり。
「ほら、着替えておいで。洗濯しないと、泥が取れなくなっちゃうよ。」
「はーい!」
二人は元気よく返事をすると、着替えをしに部屋に一旦引っ込む。
「ねぇ……、お兄ちゃん……。野球って、楽しいの……?」
「ん?そうだなぁ。俺は運動が苦手だから何とも言えないけど、楽しいんじゃないか?皆、楽しそうにやってるな。俺もたまに見学行くけど、皆楽しそうに野球やってるよ。浩介もやりたいかい?」
「えっと……、えっと……。」
「なあになあに?浩介君も一緒に野球するの?楽しそう!」
「浩ちゃんとキャッチボールするの、すっごく楽しいよ!悠治にいちゃと一緒にやったりするんだぁ!浩くんも一緒にやろうよぉ!」
浩くん、ってあだ名は多分、野球の練習中に考えたんだろうな。
浩介って呼び捨てにするのはちょっと違う、でも浩ちゃんだと浩希とかぶっちゃう、だから浩くんなんだろうな。
「僕も浩くんって呼ぼうかなぁ。悠ちゃん、良いあだ名考えたね!」
「えっへへぇ!」
「浩くん……、って、僕の事……?」
「そうだよぉ?嫌だったぁ?」
「ううん……、嬉しい……!」
あだ名なんて初めてつけてもらったんだろう、浩介は嬉しそうにニコニコ笑ってる。
「野球、やってみる?ほら、にいちゃも一緒にキャッチボールしよ!」
「俺もか。」
「そうだよぉ!にいちゃも一緒!みんなで一緒!」
「グローブは……。悠ちゃんが一年生の頃に使ってた奴で大丈夫かな。悠治が帰ってくるまでだぞ?」
「はーい!」
二人が俺と浩介の手を取って、早く早くと急かす。
俺はしまっておいたグローブを取りに行って、近所の公園まで皆で手を繋いで歩いて行った。
「こうやって投げるんだよ!」
「うん……!」
浩介は、テレビでいつか見た、キャッチボールというものを、初めてする高揚感に包まれていた。
テレビで見た、友達という存在、友達と一緒にやる事はなんだって楽しい、と憧れていた。
不格好なフォームでボールを投げて、すぐに呼吸が乱れるが、それでも楽しくて。
体を動かす楽しさ、友達と何かをする楽しさ、野球の楽しさ。
三つの楽しさを初めて味わった浩介は、とても楽しそうに笑っている。
今にでも爆発してしまいそうな、そんな楽しさに包まれて、幸せだった。
この幸せは、一生忘れる事がないだろう、と断言出来る程、浩介は今幸せだった。
「こうだよぉ!」
「うん!」
つっかえつっかえの言葉もどこへやら、元気よく返事をする浩介。
初めての事だらけの今日は、きっと忘れられない日になるだろう。
初めての野球、友達、ハンバーグにクリームソーダ、洋服、撫でてもらった事。
それら全てを、浩介は一生忘れないだろう。
それほどに、今浩介は幸せを感じていた。
「ふー……、それで、向こうの親御さんはなんて言ってる?」
「それが、相変わらず庶民がどうの、子供なんていないだの……。前行った時より悪化してますね。矢川さんは、坂崎君とは面識は会ったんです?」
「俺はなかったよ。担当が違ったから。ただ、噂には聞いてたかな。学校側から、親に連絡がつかない子がいる、噂では虐待を受けてるらしい、なんて話をどっかで聞いた覚えがある。」
児童相談所から浩介の両親の元に職員が派遣されたが、なしのつぶてとでも言えば良いのだろうか、一向に非を認めない所か、子供がいないと言い出す始末だった。
矢川の後輩、新人の千田が対応していたのだが、これは難敵だと、矢川に相談をしていたのだ。
矢川は、外で煙草を吸いながら、その話を聞いて、やはり悠介のそういった探知能力というか、察知能力の高さは児相に欲しい人材だ、と考える。
以前にもその話を本人にしていたのだが、悠介は昔世話になった男性がしていた、小説の編集をしたい、とかたくなに断っていて、しかし子供を保護する事には積極的だった。
「坂入さん、これで三回目なんですって?子供見つけるっていうか、迎え入れるの。まだ若いんでしょうに、そんなにお金に余裕もあるんです?」
「宝くじで一等を当てた、なんて話だ。悠介君は、今は働いてるしな。悠治君を引き取った頃はまだ大学生だったけど、経済的には問題なし、って事で家裁が特別に養子縁組を許したんだと。」
「へー……。でも、普通なら自分の為に使いません?矢川さんだったらどうします?」
「あの子は悪い言い方をすると、まともな感性の持ち主じゃない。昔、世話になった人がいて、その人に凄く強く影響を受けてるらしい。本人も、変わり者だって事は自覚してるがな。ただ、あの優しさは時折悲しい。」
「どうしてです?」
千田は、まだ悠介の事をよく知らない。
今年入ったばかりの新人で、大学を卒業してからそのまま児相に入った千田は、悠介が子供を保護していると聞いて、とても驚いた覚えがあった。
矢川は、悠介の本質を知っている風で、少し表情に曇りを見せる。
強面な見た目とは裏腹に、その顔は心底誰かを心配している顔で、千田は、この表情を矢川がする時は、大概悲しい話だという印象があった。
「悠介君はな、自分がして欲しかったんだ、きっとな。自分がして欲しかった事、掛けて欲しかった言葉、態度、なんでも良い。あの子はな、そういう愛情に飢えてたんだよ。それこそ、名前も知らない知り合いと、そういう仲になっちまうくらいにはな。結局、最後まで名前も知らないまま、その人は亡くなったそうだが、それが悠介君が高校を卒業して、ちょうど施設を出た頃だったか。おっちゃんに大きくなったって報告しに行くんだ、なんて言って、その帰りには死にそうな顔をしててな。」
「……。その方は、どんな方だったんですか?」
「それがな、俺もわからんのだ。近所のおっちゃん、って悠介君は懐いてたけどな、誰でどこに住んでるのか、とかは教えてもらえなくてな。もしかしたら、児童誘拐かなんかで捕まるかも!って思っちゃったのかもな。もし、知っていたら、施設に顔を出したとて問題はなかったろうにな。悠介君は、その人に愛する事を教わった、って言ってたぞ。ただ、随分と歪んだ愛情だったんだろう、あの子も、それを教わった通りに踏襲しようとしてる。人を愛する事でしか、生きてる事を実感出来ない、それを教わってしまったんだ。」
「なんだか、悲しいですね……。まだ若いのに、だって、僕より何個か上くらいでしょう?」
「千田はまだ二十三だったか。三つ上だよ、悠介君は。今年で二十六歳、もうすぐ誕生日だったはずだ。」
千田は、若いうちは楽しい事がたくさんあって、大学も遊び半分勉強半分で、サークルでワイワイするのが楽しくて、という記憶があったが、悠介は学生時代にはもう、悠治を迎え入れていたという話だ。
遊びたい盛りだったはずだろうに、それよりも優先しなければならない事があった、それは寂しい事だろう。
「ただ、悠介君がそれで良いというのなら、俺達がそれ以上踏み込む事は出来ないぞ?あの子は、そうやって生きている理由を探してる、生きてもいい理由を見つけてるんだ。俺達が安易に奪ったら、きっとあの子はすぐにでも死んじまうだろう。それくらい、あの子の中ではそれは大事な事なんだ。」
「矢川さん、止めなかったんですか?」
「止められなかった、が正解だな。保護されて俺と初めて会った時には、もうそんな考えになっちまってたからな。端っからそんな考えなんじゃ、それを変える事も出来無かろうよ。悲しい子だ、寂しい子だ。でも、俺はあの子は好きだぞ?あの子の気概っていうか、そういうのは尊敬に値すると思ってる。」
矢川は、悠介が最初悠治を引き取ると言った時、危うさを感じていた。
悠介が家族と上手くいっていなかった、虐待を受けていたという事もあったが、二十歳そこいらの子供が、小学生の子供を引き取ろうとしてる、そこに危うさを感じていた。
子供が子供を引き取る様なものじゃないか、と当時は考えていて、悠治はすぐに遠方の施設に入る、と考えていた。
しかし、その予想とは裏腹に、悠介と悠治は良好な関係を築き、そしてそれから二年後、浩希と悠介という兄弟を、悠介が発見した。
浩希と悠介は巷では有名な放置子で、そろそろ児相が動くか動かないか、とむずがゆかった頃に、悠介が引き取った子達だ。
その頃には悠治との関係もきちんとしていて、悠介になら任せられる、と矢川が進言し、二人も悠介の家庭に加わる事になった。
それだけ悠介を信頼しているのだが、矢川は一つだけ心配している事があった。
「あの子は……。あの子は、きっと今の子達が皆自立したら、死んじまうんだろうさ。それまでにまた、新しく保護する子を見つけてりゃ話は別だろうがな。それがなかったら、きっと。」
「どうしてです?」
「悠介君はな、そうしてないと生きてる理由が見つけられない子だからだよ。施設にいた頃も、まだ小学生だったっていうのに、年下の子の面倒ばかり見てて、自分の事はおざなりだったらしい。悠治君が現れなかったら、今頃あの子は死んでただろう。それくらい、あの子にとってそれは大切な言葉だったんだろうさ。それこそ、その言葉に人生を捧げちまう程に、な。」
愛を売るので、心をください。
かつて、悠介が言われた言葉、随分とメッセージ性の強い言葉を聞いてきたんだな、と矢川は思っていたが、それは悠介の中で座右の銘とでも言えば良いのだろうか、それこそ生きる理由や糧になっているのだろうとは見える。
「くれぐれも、悠介君にこの話はしない様にな。あの子は、それをわかってて、蓋をしてるんだ。きっと、恋心にも似た感情を持っていたのを、無理やり蓋をして、恩人として認識してるんだろう。」
「なんだか、ホントに悲しいですね……。僕、そういう子がいるんだって勉強はしてきましたけど、実際そういう人がいるって、知らなかったです。」
「無理はないだろうさ。あの子は特例中の特例、とでも言えばいい存在だからな。ただ、ごく少数でも、そういう子はいるって事は、勉強になったと思えばいいさ。さて、学校にも話をつけにいかんといけないな。浩介君が学校に通いたいと思ったら、いつでも通い始められる様に、こっちで動く。」
「はい。」
千田は、悠介をとても悲しい人だと認識した。
まだその動機は理解出来なかったが、矢川が言った、恋心にも近い感情、というのを、きっと子供達に対して向けない様に必死になっているのだろう、と 。
「浩くん、寝ちゃったね。」
「そうだな、疲れたんだろうさ。」
公園からの帰り道、浩介は電池が切れた様に寝ちゃって、俺がおんぶして帰ってる。
浩希と悠介は、ちゃんと浩介の事を受け入れてくれてるみたいで、時折浩介の背中をさすりながら、一緒に歩いてる。
「楽しかったのかなぁ?」
「そうだな、楽しかったと思うよ。ずっと、こういう事をしてこれなかったと思うから。初めての経験が多くて、楽しくて疲れちゃったんだろうな。」
ゆっくりと歩きながら、浩希と悠介が来た時の事を思い出す。
浩希が小学三年、悠介が幼稚園年長の終わり頃、あそこの公園で二人、寒そうに身を寄せてたなって。
浩希が頑張って悠介を凍えさせない様にって、自分の上着を着せて、それで悠介はえんえんと泣いてて。
それでいて、二人を家に連れて行って、すぐに悠介は寝ちゃって、浩希が大泣きして。
家に帰れない、家にいたくない、って泣いてて、それで俺はもう悠治と一緒に暮らしてたから、もう二人増えた所で覚悟は出来てる、って思ったから、一緒に暮らす様になって。
にいちゃ、なんて呼ばれる日が来るとは、思わなかったな。
「浩くん、いっぱい遊ぼうね。」
「ねー!」
「こらこら、寝てる子を起こしたらいけませんよ?帰ったら、あったかいココアを入れようか。」
「やったー!」
ゆっくりゆっくり、眠りから無理に覚めないように、俺達は話をしながら家に帰った。
「お帰りー。」
「悠治、帰ってきてたか。ただいま。」
「ただいまー!」
「ただいまぁ!」
悠治が四人を迎え入れ、そろそろ帰ってくる頃じゃないか、と暖かいココアをいれて待っていた。
悠介は浩介を寝かす為に一旦寝室に行き、浩希と悠介は手を洗ってココアを飲む。
「ふー……。美味しー!」
「ねー!」
「野球してきたの?楽しかった?」
「浩くんがね!はじめてだったんだって!楽しそうだったよ!」
長男として浩希と悠介の面倒を見ているつもりの悠治は、浩くんという言葉を聞いて、微笑む。
この子達は友達を作るのが上手だ、だからすぐに打ち解けられたんだろう、と。
「悠治、ありがとな。」
「いえいえ、僕も飲みたかったから。」
悠介が二階から降りてきて、ココアを一口飲んでホッとしている。
悠治は、嬉しそうに笑いながら、自分もとリビングの席に座って、ホッと一息ココアを飲む。
「浩くん、って浩介君の事でしょ?僕も浩くんって呼ぼうかな。浩ちゃんって言うと、浩ちゃんとかぶっちゃうしね。」
浩ちゃん、っていうのは、浩希の事だ。
悠が二人、浩が二人になった、ちょっとややこしいかもしれないと思ったけど、良い言い分け方になったなって、ちょっと関心。
「浩くんは夜ご飯まで寝かせておくの?」
「起こすのは申し訳ないからな。明日には学校関連の話も入ってくるだろうし、今日くらいはゆっくりさせてやろう。」
「そうだね。って、学校関連?」
「学校、通ってなかったらしいんだ。行かせてもらえてなかったんだってさ。なんか、選民思想の強そうな親だったよ。」
悠介がため息をつく、それは大抵、親と向っている時だ。
悠治や二人の時もそうだった、悠介は一度だけため息をついて、シャキッとしなきゃなと言って、己を鼓舞して、立ち向かう。
それは悠介の役目ではないのかもしれない、それは児相や警察の役割かもしれない、しかし、悠介は立ち向かう事を選んだ。
「ふあぁ……。」
幸せな時間というのは、あっという間に過ぎていくものだ。
初めてのキャッチボールで疲れて寝てしまっていた浩介は、夜日が暮れてから目を覚ます。
「お兄ちゃん……?」
薄い意識の中で、悠介の背中に背負われていた気がする、と思いながら、浩介は一階に降りる。
「おはよう、浩介。」
悠治達は風呂に入っている様で、風呂場のほうから話声が聞こえてくる、悠介は一人、ご飯を作っている所だった。
「夜ご飯、唐揚げだからな、唐揚げ、食べた事あるか?」
「ううん。」
「美味しいぞぉ?施設で教えてもらったレシピなんだけどな、これがすっごく美味しいんだ。きっと、浩介も気に入ってくれると思うよ。」
「うん!」
初めて聞く料理、それは子供にとってはまばゆい光を放つ宝物の様なものなのだろう。
浩介は、椅子に座りながら、カウンターキッチンで唐揚げを揚げている悠介の姿をつぶさに見て、きらきらとした視線を送っていた。
「ねぇお兄ちゃん、お兄ちゃんはなんで、悠治さん達と一緒に暮らしてるの?」
「ん?浩介と同じ様な理由だよ、皆、家族に恵まれなくて、それでここにいるんだ。本当なら施設に行くはずだったんだけど、あいにくと施設がいっぱいいっぱいでな。遠くに行く事になる、ってなっちゃって、なら俺が引き取ろうと思ったんだ。友達と離れ離れにするのは、ちょっと忍びなかったからさ。」
「でも、僕お友達いないよ……?」
「それでも、始めちゃったんだから責任は取らないと、なんだよ。一人は引き取るけど、他は引き取らない、なんてのは無責任だと俺は思うから。責任なんてないかもしれないけど、俺は俺が見つけた子は俺が世話をする、それが俺の中での決まり事みたいなもんなんだ。」
浩介は、よくわからないという顔をしている。
悠介の話は難しい、子供に理解出来る話でもない、それは悠介自身わかっている。
ただ、きっといつか、わかってくれる日が来る、と思っていて、話をするのだ。
「いっただきまーす!」
「いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ。」
悠治達が風呂から出てきて、夜ご飯の時間だ。
先に浩介を風呂に入れようかとも思ったけど、唐揚げはアツアツで食べるのが一番美味しい、と思ってるから、まあ前後した所で問題はないだろう。
「美味しい!」
「それはよかった、やけどだけはしない様に気を付けてな?」
「うん!」
初めて食べる唐揚げに、えらく感動してる浩介を見てると、ホントに過去の自分を見てるみたいだって思う。
俺も昔、施設に引き取られて初めての食事が唐揚げで、他の子からもらうくらいにたくさん食べて、それでも食べたりなくて。
施設も裕福じゃない、切り盛りも大変だろうに、好きなだけ食わせてくれて。
「おかわり、してもいい……?」
「あぁ、たくさん食べろ。」
「ありがとう!」
浩介を眺めながら思い返してると、あっという間にお茶碗のご飯を平らげて、おかわり。
悠治より食べるのが早いのは驚いたけど、最初はそんなものかもしれないな。
「喉詰まらせない様に気を付けるんだよ?ちゃんと噛んで食べる様にな。」
「うん!」
頬っぺたにご飯粒をつけながら、浩介は満面の笑みで笑う。
それを見て、悠治達も嬉しそうに笑ってる、きっと、浩介の境遇が辛いものだったとは理解しているから、今こうして笑ってくれるのが嬉しいんだろうな。
「浩介、体染みないか?」
「大丈夫!」
「じゃあ、流すぞー。」
夜ご飯を食べ終わって、浩介と一緒に風呂に入る。
一人でも入れるかなって思ったんだけど、浩介から一緒に入りたいって言われて、まあいっかと思って一緒に入ってる。
「お兄ちゃん、まんまるだね!」
「昔は痩せこけてたんだけどなぁ。ご飯が美味しすぎて、気が付いたらこうなってたんだよ。」
浩介の傷だらけの体に気を使って、シャワーを済ませて湯船に入って。
俺の上に浩介が乗る形で、二人で一緒に湯船の中だ。
浩介は、俺がデブなのを改めて知った、って感じで、面白そうに笑ってる。
「そうだ、浩介。浩介って誕生日いつだ?」
「え……?えっと、十二月の、十二日!」
「俺と一日違いなのか。俺は十二月の十三日なんだよ。」
「ほんとだぁ!」
誕生日が一日違いとは、また運命めいた何かを感じなくもない。
やっぱり、俺と浩介が出会ったのは、きっと偶然じゃなくて、必然だったんだろう。
「お兄ちゃんのお誕生日、いっぱいおめでとうしたい!」
「浩介のもな。」
「僕の?」
「そうだぞ?浩介の誕生日、盛大に祝おう。好きなもの食べて、好きなもの買って、皆でお祝いだ。」
「やったー!」
お湯をぱちゃぱちゃしながら、浩介はウキウキしてる。
きっと、誕生日を祝ってもらった事もあんまりないんだろう、テレビか何かで見て、憧れていたんだろうと思うと、胸が苦しくなってくる。
でも、今嬉しそうにしている姿を見ると、少し安心もする。
誕生日も知らない程だったらどうしようか、なんて思ってたから、傷つけたら嫌だなって。
「お誕生日……、どうしよう!」
「どうした?」
「お兄ちゃんに何をプレゼントすればいいのかなぁ!わかんない!」
「あはは、子供がそんな事考えなくて良いんだよ、俺は皆が笑顔でいてくれるだけで幸せなんだから。」
急にそわそわしし始めて、そんな事を言うもんだから、思わず笑っちゃう。
自分のお祝いよりも俺のお祝いで悩むなんて、優しい子なんだなって。
両親があんな感じだから、もっと毒されててもおかしくなかった中で、優しさを失わずにいた子なんだ、って。
「浩介は良い子だ、誰が何と言おうと、良い子だよ。」
「そうかなぁ?えへへー。」
一緒にキャッチボールをしたからか、声に陰りも見せない。
これが素の浩介なんだろうな、ってちょっとホッとする。
「お兄ちゃん、一緒?」
「今日は仕事もないからな、駄目か?」
「ううん、嬉しい!」
風呂を上がって、浩介は悠介と一緒に眠れるかどうかを問う。
お兄ちゃんと言う存在に憧れていたのだろう、今まで両親に甘えられなかった分まで、一気に解消しようという勢いで悠介にせがむ。
「浩介は甘えん坊なんだな、懐かしいな。」
「懐かしいの?」
「俺もな、悠治も浩ちゃんも悠ちゃんも、皆甘えたがりだったんだよ。俺は施設の人に、悠治達は俺に、ってな。だから、昔の俺を見てるみたいで懐かしいんだ。」
浩介は、悠介が小さい頃というのを想像してみるが、なかなか今の悠介と違うとは思えない。
ずっとこういう感じで生きていて、ずっと誰かの為に何かをしていたんじゃないか、と思ってしまう。
「俺もな、昔は甘えん坊だったんだ。ただ、甘えられる人が近所のおっちゃんくらいでな。諦めてたんだけど、施設の先輩がえらく甘やかしてくれてな?」
「そうなんだぁ……。」
「眠いな。この話はまた今度しようか。今日はお休み、明日は学校に顔を出しに行こう。」
「えへへ……。」
浩介は、笑みを浮かべながら眠りにつく。
悠介に腕枕をされ、安心しきった様な表情をうかべながら、まどろみの中に落ちていった。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
「……。浩介、か……?」
「お兄ちゃん……!」
「……。」




