眠れぬ夜と不吉な噂
ロベルトは自室に戻ると、ベッドに身を投げ出した。しかし、一睡もできなかった。ステイシーの冷たい言葉と、その奥に隠された苦悩が、頭の中で何度も反響する。
「ロベルトとは別れて、家に帰してやれ。彼には関係ないことだ」
ステイシーは自分を金目当てだと見抜いていた。それは事実だった。しかし、今のロベルトは、もはやお金のことなど頭になかった。彼が気にしているのは、ステイシーの抱える孤独と、この家を覆う不穏な空気だった。ステイシーは一体、何と戦っているのか。そして、なぜそこまでして血を繋ぐことを拒むのか。彼の態度には、冷たさと同時に、自分への深い配慮が感じられた。
ロベルトの胸には、金銭目的で来たはずの自分を気遣ってくれるステイシーへの複雑な感情と、この家の秘密を知ってしまったことへの焦燥感が渦巻いていた。このままマデイラと婚約を続ければ、ステイシーをより深く苦しめることになるだろう。しかし、もう後戻りのできないところまで来てしまったような気がした。
翌日、ロベルトは気分転換のために、城下町へ散歩に出かけた。活気ある市場の片隅にある小さな酒場に入り、一杯のビールを注文した。すると、隣に座っていた年老いた男たちが、声を潜めて話し始めた。
「ビンセント家は、また新しい婿を取るらしいな」
「あの家は、狂ってる。あの血筋は、代々精神を病むと聞いた。昔から、あの家に嫁いだり婿入りしたりした者は、皆不幸になるんだ」
ロベルトは耳を澄ませた。地元の人間だけが知る、生々しい噂話。
「それに、今の当主、ステイシー様のお父様は誰なのかわからんって噂だろ?」
「そうらしい。奥方様が若様を連れて戻ってきたときも、父親は明かされなかった。ステイシー様の祖父、あの婿養子様は、力の弱い方だったらしいが、使用人との間に子供をもうけたそうだ。それが今の執事、シェラザードだとかなんとか……」
ロベルトは、その言葉に凍り付いた。頭の中でパズルがカチリと音を立てて繋がっていくようだった。そういえば、マデイラがシェラザードを紹介したとき、「母の代から仕えている」と言っていた。そして、ステイシーは、その言葉に鋭い視線を送っていた。
ステイシーの父親は、執事のシェラザード。母親は、身分違いの愛を貫き、未婚の母となった。家族は、血縁関係をひた隠し、ステイシーは父親不在のまま育ったのだ。そして、ステイシーの父親シェラザードは、母方の祖父が使用人に生ませた子。ステイシーの血には、祖父と使用人の血、そして祖母とシェラザードの血が流れている。その複雑で歪んだ血筋が、ステイシーの精神を病ませるという噂の原因なのか。
ビンセント家の不気味な空気、ステイシーの冷たい態度、そしてマデイラの異常なまでの執着。その全てが、一つの真実を指し示しているようだった。この美しい城は、恐るべき秘密を隠している。そして、その秘密は、ロベルトが想像していたよりも、はるかに根深いものだった。




