8杯目 悪だくみは、ベッドルームで。
次の投稿は30日18時半頃を予定しています。
アデリエーヌが目覚めたのは、その日の夕方、太陽が遠く西の空に沈み、窓から茜色に染まった空が見えるころだった。
そのときには、カレンも戻ってきていて、再び部屋の中には3人がいる状態だった。
「う……ん」と、悩まし気な声をかすかに上げ、アデリエーヌがうっすらと目を覚ました。
マリオンは椅子から立ち上がり、アデリエーヌの顔を覗き込む。
うん、今度は寝ぼけているのではないみたいだ。
「……お嬢様。お目覚めになられましたか?」
「マリオン……? あら、わたくし、どうしたのかしら……執務中だったはず」
「執務中に気を失われて、今までお休みになられてたんです。お昼に倒れられて、それから数時間は経っています」
「気を……? そんな、わたくしが?」
アデリエーヌは、自分が気絶したことなど、到底信じられなかったようだ。
周囲を見回し、すでに夕方であることを見て取って、
「マリオンが、ずっとそばにいてくれたの?」
するとマリオンは小さくうなずいた。
「ずっと気を張っていたのね……? 少し疲れているようにみえるわ」
そういうと、アデリエーヌはベッドの中から手を伸ばして、マリオンの頬に触れた。
マリオンの頬に、アデリエーヌの柔らかな指が触れ、マリオンは少しくすぐったさを感じる。
触れられて、ちょっと恥ずかしいが、もっと触ってほしいとマリオンは思った。
「……わたしは大丈夫です。それより、お医者様の所見では、お疲れが貯まっているとのこと。しばらくはご静養頂いて、執務はジョゼフ様が代わりにお取りになるそうですよ」
マリオンの言葉に、「ジョゼフが?!」と言って、アデリエーヌはベッドから急いで身を起こした。だが、めまいを起こしたのか、身を起こしたところでふらついて、前のめりに倒れ伏す。
「お嬢様、ご無理はなさらないでください!」
マリオンはアデリエーヌを寝かしつけると、心配そうにのぞき込む。
「だ、大丈夫です。……わたくしだって、武門の娘。戦塵にまみれることを考えれば、居館で政務をとることなど、たやすいことです」
アデリエーヌの言葉に、マリオンは少しためらう。すると、背後に人影が立つ。
「……ダメです、お嬢様。少なくとも今夜ぐらいは、どうかご静養ください」
マリオンの後ろから、カレンがアデリエーヌにそう告げた。口調こそ丁寧だが、有無を言わさぬ圧がある。
「……わかりました。ではカレン、みなにわたくしが目覚めたことを伝えてきて頂戴」
主人にそう命じられ、カレンは一瞬、マリオンの顔を見たが、
「承知しました」といって、部屋から出ていった。
部屋の中には、アデリエーヌとマリオンが、2人きりになった。
日はすでに沈み、マリオンは、燭台に火をともす。ぼんやりと室内が明るくなった。
「マリオン、こんな情けない姿を見せてしまうなんて、わたくしは恥ずかしいわ」
「そんな。お嬢様は、日々、ご主人様や兄上様に代わって、難しい政務に当たっておられます。けして、そのような」
マリオンは、アデリエーヌが眠っていたときに思いをはせていた、彼女の心労を気にかけた。
「いいえ。わたくしは、あなたにこんな姿を見せてしまうことが、嫌なのです」
「え……?」
「あなたがわたくしを見るまなざしが、とても強いのをいつも感じています。それは、貴族令嬢としてかくあるべし、という高い理想をあなたが心に秘めているからでしょう?」
(違います! ラブなんです!)とマリオンは心中で否定した。
「もし、わたくしが少しでも、その範を示すことができることなら……と、これまで、傲慢にも思っておりました」
「……そんな。お嬢様が傲慢だなんて」
マリオンは言下に否定する。だが、アデリエーヌは少し芝居がかった様子で、
「いいえ。わたくしは本当は傲慢なんです。こればかりは、神にどれだけ懺悔しても、懺悔しつくせないほどの罪を重ねています」
アデリエーヌは、普段よりも力のない瞳で、マリオンを見つめた。
「こうして、あなたにこのようなふがいない姿を見せてしまうのは、きっと、天使様がわたくしを罰したからでしょう」
(違います! お嬢様こそが天使様なんです!)と、マリオンは心中で絶叫した。
「……マリオン、わたくしを許して。情けない主だとは思っています。でも、わたくしにはあなたが必要なのです」
アデリエーヌは、マリオンに向かって、ゆっくりと、弱々しく手を伸ばす。その紅玉の瞳が、潤んでいるように見えた。
マリオンは、両の手で、アデリエーヌが差し出した手をしっかりと握る。
「お嬢様! わたしのような者でよろしければ、一生を御捧げします!」
感極まってマリオンは叫んだ。悔いはない。これは自分の本心だ。
すると、アデリエーヌは涙をぬぐうようなそぶりを見せ、
「ありがとう。じゃあ、ひとつ、お願いがあるの。わたくしが回復するまでの間、ジョゼフがどのような政務を行っているのか、マリオンがときどき様子を見て、毎日報告して頂戴。それと、わたくしに供しているのと同じように、これからは文官たちにもお茶を供してあげてほしいの」
「わかりました! そのようにいたします」
マリオンが、あまりよく考えずにそう力強く言うと、アデリエーヌは少し考えるふうをして、
「そうそう。ジョゼフたちが心配するといけないから、このことはわたくしたちだけの秘密にしましょう。もちろん、カレンにもだれにも言ってはなりませんよ」
マリオンは、「ふんす」と鼻を鳴らして、無言でうなずいた。
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