7杯目 クールキャラの甘えは防御無効ダメージです
次の投稿は28日18時半頃を予定しています。
やがて会話も落ち着いたのか、マリオンとカレンは、元の位置に戻り、また静かになった。
それからは、眠ったままのアデリエーヌを、マリオンはじっと見つめていた。
背後にいるはずのカレンは、本当に存在感を消していて、この場にいないかのように思えた。
マリオンは、アデリエーヌと2人きりになったような錯覚になり、ついアデリエーヌの頬へ手を伸ばそうとして、はっとした。
(いけないいけない。カレンさんが後ろにいるんだ……)
慌てて我に返り、ちら、と後ろを向くと、カレンは壁に沿って立ち、本当に気配を消している。
「マリオン様がご乱心さえしなければ、アタシは何も見ていませんし、聞いてませんよ」
カレンは両手を前で組んで、直立不動の姿勢でそう呟いた。
「…………っ」
マリオンは、カレンの言葉を無視した。まるで何かすることを待っているような、そんな気がしたからだ。
(わたしは、お嬢様の看護をするの。看護、看護)
マリオンは、そうやって自分に言い聞かせる。
すると、本当にそんな気持ちが優位になってきて、いやらしい気持ちはどこかへいってしまった。
マリオンは、カレンに頼んで、水が入った桶と清潔なタオルを何枚か用意してもらった。
濡らして固く絞ったタオルで、うっすらと汗が浮いたアデリエーヌの肌を拭く。
(お嬢様は、私とそう変わらないお年で、辺境伯家を支えてらっしゃるんだ)
白く細い首筋を見て、マリオンは、改めて主人のすごさを感じた。
(きっと、ものすごい重圧もかかっておられたのだろう)
そう思うと、まるでアデリエーヌが孤軍奮闘、周囲を敵に囲まれた状態で一人戦っているような気がした。
(わたしが、お嬢様のことを、守らないと――)
マリオンの心中に、火が灯る。
「う、うん――」
アデリエーヌが、苦しそうな表情を浮かべて身もだえした。
寝間着が乱れ、胸元があらわになる。
マリオンは、アデリエーヌが何か悪い夢でも見ているのではないか、と思って心配になる。
そして、そっと寝間着を直した。
「お嬢様……」
気が付くと、マリオンはアデリエーヌの頭を優しく撫でていた。
こんなことをすべきではないのは分かっている。でも、こうしてあげなければいけない気がした。
すると、ドアを小さく叩扉する音。
カレンが出ると、どうやら他のメイドが何やらやってきたらしい。
マリオンが、ドアの方を向くと、
「すみません、ちょっとアタシ、ヘルプに行かなきゃみたいなんです」
そういって、カレンは一礼した。
マリオンは、無言で礼を返す。カレンが部屋から出ていき、パタン、とドアが閉じた。
マリオンとアデリエーヌは、本当に2人きりになった。
部屋の中には、すぅすぅという、アデリエーヌの微かな寝息だけが聞こえている。
マリオンは、再びアデリエーヌの方を見る。
(お嬢様、普段は凛としておきれいなのに、こうして寝ているお顔は、子どもみたい)
それとなく、マリオンはアデリエーヌの頬に指を這わせる。
やわらかな産毛の感触が、指先をくすぐる。
くすぐったかったのか、アデリエーヌは、もぞもぞと手を動かして、自分の頬をぬぐった。
そのとき、マリオンの指に手が触れる。
「――っ!」
アデリエーヌは眠ったまま、マリオンの指を握った。
微かな力で、ほどけばすぐに引きはがすことができるようなぐらい、か弱い力。
でも、マリオンはその手をほどこうとはしなかった。
指先から、アデリエーヌの体温が伝わってくる。
やがて、アデリエーヌが寝返りを打った時に、マリオンの指から手が離れた。
マリオンは、とっさにアデリエーヌの手を握る。
そのとき、大きな胸の鼓動がひとつ、マリオンを打った。
アデリエーヌが、うっすらと目を開けたからだ。
お嬢様が目覚めたという嬉しさと、無礼にも手を握っているということへの恐怖が、マリオンに同時に攻め寄せる。
慌てて手を放そうとするが、アデリエーヌの方から、指をからませ、深く肌を密着させる。
「お嬢さ……きゃっ!」
アデリエーヌが再び寝返りを打った時、マリオンはアデリエーヌのもとへ引き込まれ、覆いかぶさるような体勢になった。
「あの、お嬢さま……って、寝てます?」
アデリエーヌを押し倒したような形になって、すぐ間近に寝顔が迫っていた。
どうやらさっき目を開けたのは、寝ぼけていたのだろう。アデリエーヌは、再び深い眠りに入ったようだった。
(どうしよう。動けない)
マリオンは困惑した。片方の手は、しっかりとアデリエーヌの指に絡めとられている。
ごくわずかな距離に、愛する主人の顔があった。生温かい寝息が自分の頬に当たって、思わずマリオンはドキドキする。
そのとき、マリオンは、はっとした。
(今なら、唇を奪えるかもしれない――)
マリオンの心の奥底で、よこしまな気持ちが息を吹き返した。
ほんの少し、ほんの少しの距離を詰めるだけで、口づけをかわすことができる。
しかも、アデリエーヌは、いまだ眠りのただなかにある。けして気づかれることはないだろう。
マリオンは迷った。口づけをすることは簡単だ。でも、そんなことをしてもよいのだろうか。
これまでは快楽や劣情に押し流されてきた。だが、口づけは神聖なものだ、とマリオンは思う。
それを、こんな形で、軽々しくお嬢様から奪ってもよいのだろうか。
マリオンは、このときは理性が打ち勝った。理性、というよりも、母性だったのかもしれない。
だが、この眠り姫は、計算を超えた一手を打ってきた。
再びアデリエーヌは、手をつないだまま、寝返りを打った。
今度は、マリオンの手を抱えるように、自分の口元に持っていく。
マリオンの小指が、アデリエーヌの柔らかな唇に触れた。
「……ママ……」
聞き取れないような小さな声で、アデリエーヌはそういった。
びっくりしたマリオンは、アデリエーヌの顔を覗き込む。まだ眠っている。
「……ママ……どこ……?」
と再び、アデリエーヌは言った。
(寝言……)
マリオンがそう思った瞬間。
マリオンの小指は、アデリエーヌの唇の中に取り込まれた。
ぬるり、と粘液質の感覚が、小指を通じて、マリオンの全身に信号を送る。
(ええっ?!)
マリオンが驚く間もなく、アデリーヌは、マリオンの小指を、ちゅうちゅうと吸い始めた。
まるで子猫が母猫の乳を求めているようだ。
マリオンは、指をむさぼるように吸われる感覚に困惑した。
いっしょうけんめい、乳を求めてアデリエーヌはマリオンの指を吸う。
その姿と、指を吸われる非日常的な感覚に、マリオンは背筋がゾクゾクした。
ふわっと、全身に汗をかくような感覚。実際、額には汗がにじんでいた。
(ど、どうしましょう……カレンさんが戻ってきたら……)
マリオンは、アデリエーヌにしっかりと指を手でつかまれ、なおも吸い続けられることに困惑し,少なからず恍惚感を得つつも、強い母性を感じた。
(やっぱり、私がお嬢様を守らないと――)
ベッドサイドに腰かけたマリオンは、アデリエーヌが再び深い眠りに就いて口を離すまで、じっとアデリエーヌのことを見つめ続けていた。
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