6杯目 侍女とメイドのアオハルトーク
次の投稿は25日18時半頃を予定しています。
事件が起こったのは、それからしばらく経ったある日の昼のことだった。
アデリエーヌが、執務中に倒れたのだ。
先日マリオンに手を出そうとした侍女になぜか急な縁組が決まり、暇乞いのあいさつを受け、送り出したしばらく後のことだった。
この報はたちどころに屋敷内を駆け巡り、ハーブ園で庭師とお茶の材料を選定していたマリオンのところにも届けられた。
「お嬢様が大変!」
マリオンはあわてて、アデリエーヌが倒れているという遊戯室に向かう。
遊戯室には、ジョゼフをはじめとする家臣たちと、メイドのカレンたちに、先輩の侍女数名。
そして、長椅子に寝かされて横になっているアデリエーヌの姿があった。
「お嬢様! どうかお気を確かに!」
遊戯室に飛び込んだと同時に、マリオンは声を上げた。さらに何かを言おうとするのを、カレンによって口をふさがれる。
「……マリオン様。お嬢様はお休みになっているだけですから。あまり大きな声を出さないでください」
まだもごもご何かを言おうとするマリオンの口をふさぎながら、カレンが耳元で囁く。
「……医者の見立てだと、過労だそうだ。お嬢様は、ここのところ精力的に政務を行われていたので、少し無理をなされたのでしょう」
ジョゼフが、マリオンにもよく聞こえるように、周囲の者に言う。そして、
「落ち着いたら、お嬢様を寝室にお連れするように。あとそれから。しばらくは、政務のうち、可能なものはわたくしの責任で決済をするようにします」
と言葉をつづけた。
アデリエーヌを担架で運ぶのは、男たちの仕事だった。しかし、彼女の寝室に入って担架からベッドにその身を移してからは、侍女たちの仕事になる。
眠っているアデリエーヌのドレスを脱がし、軽く施されていた化粧を落として、寝間着を着せる。
そして、起こさないように、そおっとベッドに寝かしつけた。
「わたしが、お嬢様のおそばに、はべります」
寝ずの番を買って出たのは、マリオンだった。
マリオンが、アデリエーヌに忠誠一途なのを知る他の侍女たちは、マリオンにその仕事を任せ、他の用事のために散っていく。
ただし寝室には、なぜかカレンも残っていた。
「あのー。カレンさんは、お仕事に戻っていただいてもいいんですよ?」
「いやー。何かあったらいけないんで、アタシもここにいますよ。あ、でも、いないっていう扱いでいいっす」
「いえいえ。そういうわけにはいかないでしょう? 他のお仕事もあるわけですし」
「いやー、そっちは、他のメイドにお願いしたんでいいかなーって思ってるんですけど」
2人は、そう言葉の応酬をする。だが、やがてマリオンが根負けしたのか、カレンがいてもいいことになった。
そう、別にお嬢様が寝ていて、部屋の中でわたしと2人きりだったとしても、わたしは何もしないのだから。……したかった!
そんな気持ちはおくびにも出さず、マリオンは文机の椅子をもって、ベッドのそばに置いて座る。
カレンは基本、立ちっぱなしだ。ここは、侍女と使用人のしかるべき差である。ここを乱すと、よくない前例が生まれてしまう。
カレン本人は、マリオンのこの態度に、特段不満はなさそうな顔つきだった。
すぅすぅという、アデリエーヌの寝息だけが聞こえる、そんな静かな部屋だった。
(なんとかして、カレンさんを追い出さないと……)
真摯な面持ちでアデリエーヌの顔をじっと見つめるマリオンは、頭の中ではそんなことを考えていた。
やがて、その静寂を破ったのは、カレンだった。
「……失礼ながらお伺いするんですけど、マリオン様は、どうなりたいんすか?」
唐突な質問に、マリオンは、「え?」とだけしか返せなかった。
「お嬢様との関係っす」
カレンがそういうと、マリオンはあわてて席を立ち、静かにカレンのもとへ行く。
「……わたしは、子どものころから憧れていたお嬢様へお仕えするために、このお屋敷に参りました」
声を潜めて、マリオンはカレンに言う。
「憧れ……で、実際入ってどうっすか?」
「お嬢様は、私の理想通りの人でした。気高くって、美しくって、聡明で」
「ふうん」とカレンは興味なさそうに相槌を打ち、「アタシにはそうは見えませんけどね」とつぶやいた。
「な、なんでですか……!」
思わず大声を上げそうになるのをこらえて、マリオンは強い怒気をカレンに向けた。
カレンは、そんな怒気などそよ風ぐらいにしか感じなかったのか、
「確かに、お嬢様はおきれいで、貴族らしいおふるまいを身に着けてますよ。でも、一皮むけば、ただの女の子っす」
と、平然と言い放つ。
マリオンは、カレンの言う意味がすぐには分からなかった。戸惑いの色を浮かべる。
「……マリオン様は、本当は人の機微を見抜けるはずなんすから、ちゃんとお嬢様を見てあげたほうがいいっすよ」
そういうと、カレンはポケットの中から干しリンゴを取り出した。2つにちぎって、1つをマリオンに渡す。
マリオンは、「ありがとうございます」と言って受け取ると、ためらいもなく口にした。
「憧れが強すぎると、その人の本当の姿が歪んで見えますよ……今のお嬢様は、わざと周囲にそう見せさせてるところがあるっす」
むぐむぐと干しリンゴを口にしているマリオンは、カレンの方をじっと見つめた。
「お嬢様だって、本当はふつーの女の子でもありたいんじゃないすかね? もちろん、お立場はふまえてのことでしょうけど。マリオン様みたいに、使用人の懐から出てきた干しリンゴをためらいもなく食べる……なんてことはまずありえませんが」
カレンは、キシシ、と笑った。マリオンは、ちょっとむっとした。
「……で、どうなんすか?」
再び、カレンから質問が飛ぶ。マリオンは、少し考えた。
「……やっぱり、憧れの人で、主従の関係だと思います」そう言ったマリオンは、心に、ちく、と針が刺さったような気がした。
「そっかー」マリオンの答えに、カレンは腕を組んで壁にもたれ、嘆息した。
「……マリオン様は、そこんとこ、突き抜けるかなって思ったんすけどね」
カレンのその言葉が、不思議と、マリオンの心を打った。
「……うぇっ?!」
それからずっと沈黙を貫くマリオンをカレンが見て、驚いた声を上げる。
「どうしたんすか。マリオン様、泣いてるじゃないすか」
カレンに言われて、マリオンは、自分が涙を流しているのに気が付いた。
自分ではどうしようもなく、涙がとどまることなくあふれ出る。涙は頬を伝い、ぽたぽたとマリオンの衣服に垂れた。
どうしよう、こんな姿じゃ、お嬢様の前に立てない。
「ちょちょ、とりあえず、これで拭いてください」
カレンはポケットの中から木綿のハンカチを取り出す。どこかの家の紋章が刺しゅうされた、上質なハンカチだった。
マリオンはそれを借りて涙を拭く。それでも止まらず、マリオンは顔を覆う。
「……大丈夫っすか」
やがて、くすんくすんと鼻を鳴らしたマリオンの顔を、カレンがそっと覗き込んでくる。
マリオンは、すん、と鼻をすすって
「大丈夫です」
と小さな声で答えた。
「いきなり泣き出すから、焦りましたよー」
「ごめんなさい」マリオンは、身分がかなり下の、使用人でしかないカレンに、深々と頭を下げた。
「わたし、カレンさんに言われて気づきました」
マリオンの瞳に、光が宿っている。
「わたし、お嬢様に憧れてました。お嬢様みたいな貴婦人になりたいって――!」
カレンは、マリオンの言葉を黙って聞いていた。
「でも、今は違います。わたし、お嬢様のことを――愛しています」
迷いのない言葉で、マリオンはそういった。
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