5杯目 陰謀と情念のワルツ
次の投稿は23日18時半頃を予定しています。
同じ日の夜。
アデリエーヌは、自室のソファで休んでいた。
まさか、マリオンが自分の着衣を使ってイケないことをしていたなんて、露も知らないアデリエーヌである。
むしろ、休憩室でもかいがいしく自分の世話を焼くマリオンの心遣いに、「やっぱり忠犬ね……」と、もっと好感を抱いていた。
侍女たちはすでに下がらせ、部屋の中には自分一人だった。
自室は、天蓋付きのベッドにドレッサーと衣裳小物部屋、休憩用のソファとローテーブル、それに書架と文机が備わっている。
自室に書架があるのは珍しい。アデリエーヌは、この時代でも珍しい読書家の女性だった。
しかし今、彼女が目を通しているのは、一通の手紙。差出人は、王都にいる父だ。
ローテーブルの上には、なんだか得体のしれない珍妙な動物の置物が置かれていた。遠い異国から来た珍品らしい。
アデリエーヌは、置物はさておき、父からの手紙を読む。
――――――
あーちゃんへ。
お元気ですか。パパは元気です。
さて、この前、第3王子があーちゃんと婚約を前提に付き合いたいという話を持ってきました。
でも、安心してください。パパの方で、お断りをしておきましたよ。
あーちゃんも、婚約者がいながら平民の娘と恋仲になり、もとの婚約者を国外追放してしまうような男は嫌でしょう。
パパはそんな男に、大事なあーちゃんをお嫁に行かせることは、絶対にしません。だから、安心してください。
ところで、最近また、宮廷内に陰謀の季節がやってきています。
3人の王子の王位継承権に絡んで、あちこちで買収、裏取引、諜報合戦や暗殺などの絶えない日々が続いています。本当に嫌ですね。
パパはこうした意地の悪い争いは大嫌いですが、わが家が発展し、家門が未来永劫続くためにお仕事をしています。
ちなみにパパは、第1王子推しです。なかでも、うちとフューター侯爵家が、ガチ勢として頑張っています。
今年は、タウンハウスだけでなく、領地にまで密偵を送り込んで行うエクストリーム毒殺が大流行しています。
でも、うちはジョゼフがいるので安心してください。彼なら、きっとあーちゃんたちの安全を守ってくれるでしょう。
追伸
遠い異国から来た、バクという動物の置物を送ります。
この動物は、悪い夢を食べてくれるそうです。あーちゃんが毎日、いい夢を見られますように。
パパより。
――――――
アデリエーヌは、テーブルの上の置物を手に取る。
豚と狼が混じったような不思議な顔をしているが、首のところがどうも動くようだ。
首をひねると外れて、アデリエーヌは中の空洞に、小さな紙片が入っていることを見つける。
指でそれをつまみだすと、彼女はそれをじっと見る。
――――――
ジョゼフの動静は、あーちゃんがきちんと監視しておくように。
信頼できそうな者こそ、裏切るときがある。気を付けて。
パパとの約束だぞ。
――――――
アデリエーヌは、この陰謀好きの父親の警句を苦笑で受け取ると、紙片を燭台のろうそくで燃やす。
「お父様らしいわ……まったく。これぐらい、まめに政務を見てくださればいいのに」
警句が灰になったことを確認すると、アデリエーヌは、置物の首を戻して、ベッドに入るのだった。
◇
数日後。
アデリエーヌは執務を終えると自室に戻るため、珍しくひとりで廊下を歩いていた。
普段だったら迎えに来るはずの侍女たちが来ないのだ。
(――どうしたのかしら)
父からの手紙を読んで以降、どうにも胸の奥がざわざわする。些細なことが気になるし、疑心暗鬼になりがちだった。
曲がり角に差し掛かり、階段のそばにきたとき、女の声が聞こえてきた。
何やら騒々しかったので胸騒ぎを覚えたアデリエーヌは、物陰に隠れて、そっと聞き耳を立てる。
「…………ですこと?!」
女の強い声が聞こえる。
「……お嬢様、お嬢様って。あなた、最近少し調子に乗ってませんこと?」
「い、いえ。わたしはただお役目を果たしているだけです!」
(マリオン?!)
マリオンの声が聞こえて、アデリエーヌはぞっとした。
「あなた。陰では何て呼ばれているかご存じなの? お嬢様の愛犬、よ」
「――!」
「何かしら、その顔。だって、本当のことじゃない。どうせ、もうご寵愛も受けているのではなくて?」
アデリエーヌが、ちら、と様子をうかがうと、少し背の高い侍女が、マリオンを壁に追い詰めていた。
数年前から侍女として出仕している子爵家の娘のものだ。
年はアデリエーヌより1つ上の18歳。婚期を逃しつつあるが、社交的で、教養もあり、統率力もある。
高慢で、ときどき年若いメイドに手を出すことが欠点ではあるものの、周囲からは、将来の侍女頭候補として目されていた。
「うふふ。あなた、顔はかわいらしいものね。少しくらいどんくさくっても、可愛いから許してもらえるんでしょう」
侍女は、マリオンの顎に手をかけると、くい、と上を向けさせる。
「お、おやめになってください。は、離してください……」
マリオンが抵抗しようとするのを、侍女はぐい、と腕をつかんで、壁に押し付けた。
「うふふ、可愛い。お嬢様がご執心なさるのも無理はないわ。ねえ、あなた、まだご寵愛は受けていないようね」
「な、なんのことですか……」
マリオンが、泣きそうな顔で侍女に言う。
「ふふっ。ネンネちゃんなのね。いいわ、わたくしが、手取り足取り先輩として教えて差し上げます……」
アデリエーヌは、たまらなくなって、つ、と物陰から歩み出た。
「……あら。2人とも、なにをしているのかしら?」
ごく自然さを装った女主人の急な登場に、2人は慌てて姿勢を正した。
「お、お嬢様。い、いえ、っ。ちょっと世間話を」
侍女の言葉に、「あらそう」とアデリエーヌは、努めて穏やかに言う。
「マリオンが迎えに来ないから、どうしたのかと思っていましたの」
そういうと、アデリエーヌはマリオンの側に近づき、そっと手を取る。
「さぁ、マリオン。執務の後のお茶を淹れて頂戴――ああ、そこのあなた、用件は、もう済んで?」
マリオンを連れて離れると、アデリエーヌは、軽く後ろを振り返って侍女に尋ねた。
「は、はい」と侍女は言って、頭を下げる。
「――そう。わたくしも、同じですわ。では」
アデリエーヌはそういうと、マリオンを連れてもと来た道を引き返していった。
自分の手を通して伝わってくる、マリオンの手は、冷たくなって、震えていた。
(かわいそうな娘。脅かされて、こんなに震えている)
アデリエーヌは、ぎゅ、っとマリオンの手を握る。すると、マリオンも、ほんの少し握り返してきた。
どこへいくか定まらぬまま、歩く道々、アデリエーヌは瞼を伏して、息を吐いた。
(――あの女。よくもマリオンを汚そうとしたわね。メイドに飽き足らず、侍女にまで!)
しょせん替えが利く使用人などはどうとでもなる。だが、マリオンに手を出そうとしたことは許しがたい。
(マリオンが犬などと呼ばれている事実はないわ。それにそんなことは、わたくしが許さない。それをしてもいいのは、わたくしだけなのだから!)
アデリエーヌは、内心、怒りの火が沸き立っていた。あの女、どうしてやろうか。
だが、マリオンの前でそんなことはおくびにも出さない。
「――お嬢様。あの、ありがとうございます。助けてくださって、うれしかったです」
歩きながら、マリオンが言った。その言葉には、裏など全く感じられない。
(貴族の世界は、嘘と裏切りだとは知っている。でも、マリオンだけはそうではないと信じたい……)
マリオンの言葉を聞いて、アデリエーヌは、ふと、そんなことを思った。
そして、思わず、アデリエーヌはふわり、とマリオンを抱き寄せる。
「大丈夫よ、マリオン。何があっても、わたくしが守ってあげるわ」
――だからお願い、あなたは、わたくしを裏切らないでね。と言いたい気持ちをアデリエーヌはぐっと飲み込んだ。
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