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3杯目 悪い子犬と悪いメイド

 侍女の仕事は、お仕えする貴族の女性の身の回りの世話や、話し相手、また買い物や衣装選びの手伝い、秘書係などである。

 

 しかし、今の辺境伯家には、お仕えする女性はアデリエーヌしかいない。

 アデリエーヌの母はすでに亡く、兄の婚約者はまだ実家暮らしだった。

 そしてアデリエーヌ自身は、ほとんどの時間を領地経営の実務に充てていた。だから、日に何度かのお世話以外は、あまり侍女に用事は無い。

 

 そこで、茶の給仕を終えて暇になったマリオンは、自室に戻ると、自己嫌悪にさいなまれていた。


 (どうしましょう。わたし、変態さんになってしまった……)


 彼女は今、ベッドに潜り込み、頭を抱えている。

 ついさっき、自らが犯した過ちを繰り返し何度も何度も頭の中で思い出す。


 (カレンさん(あくまのささやき)にそそのかされたとはいえ、お嬢様がお使いになったティーカップに、あんなことを……うへへ)


 思い返すと、少し口元がにやけてしまう。

 空になったティーカップ。青いローズマリーの残り香にブルーベリーの甘さが覆い被さる。その吸い付くような白磁の肌。

 白磁の柔肌に自身の唇でそっと触れたとき、絹のような触感が伝わる。その向こうにあるのは、マリオンが敬愛する主人の唇の感触。そう思ったとき、マリオンの全身に走る痺れるような恍惚感。それから襲い来るゾクゾクという背徳感。


「うああああ―……」


 マリオンは、布団の中で転げ回った。

 やったことは後悔していない。というか、これまで何度も茶を供してきたのに、なんで今まで気が付かなかったのか。もっと早くに気づいていれば。いや違う。やっちゃいけないのだ。こんなことは、常識的にも、教会の教えにも反する悪魔の所業だ。自分がしたことは、憧れのお嬢様を汚してしまいかねない、不敬なことなのだ。


 (高貴なお方であるお嬢様と、卑賎な男爵家の娘のわたしが、か、か、間接キスを……)


 マリオンは、布団の中にもぐりこんだまま、どうしようもない胸の高まりを抑えられず、同時に、全身を毒するような切なさにも襲われていた。体の芯が、熱くなっている。


(だ、だめ……。これ以上、お嬢様を汚すような真似をしては……)


 だが、自分の中の低俗な、獣のような欲望と衝動が、体の内側からマリオンの理性を打ち砕こうとする。

 まだ日も高いのに、数年前に覚えてしまった遊びに手が伸びようとする。


 マリオンは、何とか獣を抑え込もうと、布団の中で身を丸くして、ぎゅっと自分の体を強く抱きしめた。

 でも、どうしても抑えられない――!

 

 そのとき、リズミカルにドアが叩扉(ノック)され、外からカレンの声が聞こえてきた。


「マリオン様ー。お仕事の時間ですよー。マリオン様ー?」


 そのはずみに、獣はしっぽをまいて、再びマリオンの内側に逃げ隠れる。


(あうう、そそのかしたり、我慢させたり。カレンさんは、魔女か何かですか――!)


 マリオンは、ドアの向こうにいるカレンを、はじめて憎らしく思った。


 やがて、何度か布団の中で深呼吸をして、心を落ち着けたマリオンは、ドアを開け、カレンの前に姿を現す。


「……どうしたんすか。顔、赤いですよ。熱でもあるんすか?」


「な、なんでもありません! さぁカレンさん、次のお仕事に行きましょう!」


 マリオンは、普段よりも声を張って、カレンの後をついて行く。


(ダメよ! マリオン! わたしは、お嬢様に誠心誠意お仕えするんだから! ……ぜったいに、あんなことは、二度と……う、うう)


 なんとかアデリエーヌへの執着を振り払おうとするが、マリオンの脳内ではぐるぐると「ダメ!絶対」と「ちょっとぐらいならいいじゃない」が回っている。


「……マリオン様、こっちっすよ」


 廊下の曲がるべきところを、そのまままっすぐ行こうとして、カレンに止められた。

 

 ――お嬢様のことを考えると、いつもこうだ。とマリオンは恥じる。

 お嬢様がおられると、そちらばかり見てしまうし、お声が聞こえれば、そればかり聞いてしまう。

 お姿もお声もないときは、つい頭の中で妄想してしまう。

 だから、侍女頭様や他の先輩方には、ぼんやりしていて『どんくさい』とか『物覚えが悪い』とか叱られてばかりだ。

 少しでもお嬢様のようになりたい。そんな思いが、ついつい、自分の意識をお嬢様にばかり向けさせる。


「ごめんなさい。ちょっとぼんやりしていました!」


 マリオンは、自分で自分の両頬を叩くと、カレンのところへ行く。


「えっと。次の仕事は、湯浴み後のお嬢様へ供するお飲み物のセッティングっすね」


 風呂上がりの一杯を準備する。これが次のマリオンの仕事だ。

 入浴後の休憩時に、ハーブ水や果物水などをアデリエーヌに供する。

 先輩たちも、マリオンの給仕だけは一目置いていて、マリオンは専属のお茶係になりつつある。


 厨房に行き、季節のフルーツをカットし、果汁のみを使うものは絞りにかける。

 初夏のこの季節は、桃が一番みずみずしくておいしい頃だ。

 だから、今日はモモをピューレにして、キンキンに冷えた井戸水とあわせて、ジュースにしようとマリオンは決めた。


 サクサクと手回しよく桃の皮をむき、カットして裏ごしする。

 その手つきはスムーズで、マリオンは迷いなく工程を進めていく。


 ピューレができたら、甘みを加えるはちみつと、色味をよくするレモン汁を加えて、あとは井戸水で割るだけだ。

 生のバジルを小皿にとっておく。これは、飲む前に手で叩いて、香りを出し、トッピングにする。


「じゃあちょっと味見を……」


 カレンがひとすくいピューレを取り、小さなコップで盗み飲みする。


「あ、うまいっすね……マリオン様、ホントは手際がいいのに、なんでいつもはポンコツなんですか?」


 「……いやぁ、あのう、そのぅ」と、マリオンは赤くなってもじもじする。


「お嬢様のことっすか?」


 カレンに言われて、マリオンはビクッと体を震わせた。


「な、なんでそれを……」


「いや、ふつーに見てたらわかりますって。マリオン様、ずっとお嬢様のこと、目で追ってるでしょ?」


「え、いや、そんなことは……」


「侍女頭様からなにか言われていても、耳はお嬢様の方ばっかり向けてるし」


「ちゃんとお話、聞いてますよぉ」


「……ばれてますから」


 そして、もう一杯、味見をしたカレンは、


「マリオン様が、お嬢様をどう思っていても、別に、誰かに言ったりはしませんから。アタシ口は堅い方なんで」


 そういって、カレンは自分の唇をぺろり、と舌で舐めた。

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