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2杯目 お嬢様の思惑と子犬のアップダウン

(あの子、絶対、犬よ! しかも、小型犬! トイプードル?! ポメラニアン?!)


 ドアが閉められ、廊下に人の気配がなくなったのを感じ取ると、アデリエーヌは椅子にどっかと座り、手元のクッションを力いっぱい抱きしめた。


(絶対! しっぽ! 生えてるって! ぶんぶんって!)


(それに、あの娘、叱られると思って! すごくビクビクしてたの! 可愛すぎ! キュン死するかと思った!)


 彼女はさっきのマリオンの様子を思い出し、きゅんきゅんする胸の高まりを抑えられず、身もだえする。

 堅牢な執務机の椅子が、ギシギシ音を立てた。


(マリオン。この春から行儀見習いでやってきた、男爵家の令嬢。あの子、どこ出身だったかしら……名前も思い出せない家柄の子よね。どんくさくて、物覚えも悪くって、どうしようもない子だって侍女たちはいっているけど、お茶を入れさせたら一級品! それに、わたくしの体を労わってくれるあの気遣い! はぁ……こんな田舎でも、ああいう子はいるのよね。うちなんか特に、『武門の家柄だ』なんて、なにかにつけガサツで根性主義な伝統があるけど、やっぱり、いいものはいいのよ! それに、どこかいじめたくなるようなかわいさがあるし……やば、思い出したらよだれ出た)


 ジョゼフが知ったら卒倒しそうな思惑を、絶対に他人には見せられないデレデレとした表情でアデリエーヌは妄想していた。

 眉目秀麗、品行方正、才色兼備で完全無欠のお嬢様も、その内面はふつうの(?)女の子なのである。


(わたくし、別に結婚なんてしなくてもいいの。お父様はできるだけ高値でわたくしを売りさばきたいのだろうけど……できることならどんどん値を釣り上げてくださってほしい。婚姻が決まるまでの間は、領地経営の仕事はわたくしの役目になるでしょうけど、それだけわたくしは自由に過ごせるもの)


 そして彼女は兄のことを思う。


(戦のことしか考えていないお兄様も、戦死したり、不具にならなければ、せいぜい戦塵にまみれてくださればいいわ。いずれこの家の総領としてお兄様はお父様の後を継ぐでしょうけど、戦のことばかりしかお考えにないもの。婚約者のマチルダ様は嘆いておられるけど、そうやって、蛮族や異教徒相手に戦を続けてくだされば、当家の重要度はこの国の中でいよいよ増すわけですし)


 アデリエーヌは、クッションを手放して、自慢の銀髪を指でくりんくりんと玩びながら、さらに考える。


(そして、わたくしは、実質的な女領主としてこの辺境伯家を切り盛りするのですわ。ふふっ、だったら、いずれ、わたくし好みにすべてを染め上げることだって可能ですわね! マリオンには、ホントに首輪つけちゃうかも……)


 そして、「ぐふっ」と、お嬢様らしからぬ下卑た笑いが漏れる。

 だがすぐに容色を改め、


(いけないいけない。そろそろ、ジョゼフたちが戻ってくる頃だわ。わたくしは、クールで完璧な令嬢ですのよ……)


 すると、まるで見計らったかのように、折り目正しい叩扉(ノック)の音がした。


 ◇


 一方、マリオンは、厨房の隅で、さっき使ったケトルを抱えて屈みこんでいた。


(あああ――! アデリエーヌ様、もう、なんなんですか、あんなご褒美くださるなんて――!)


 ひとしきり身もだえした後、平静を装って、マリオンは隣のメイドに声をかける。

 

「――ねえ、カレンさん。お、お嬢様、喜んでくださったかな?」


 すると、マリオンの横で、余った琥珀糖をむしゃむしゃ食べていたメイドのカレンは、


「さあー。まあ、そうかもしれませんねー。うちのお嬢様、ちょいS気質のワーカーホリックだし」


 と、塩っぽい返事をマリオンに返す。とはいえ、これが彼女の平常運転だ。

 カレンは、黙って仕事をしていれば、それなりの美人だ。だが、根が庶民の使用人なのでこんなものだ。


「うふふー。そうかもしれないんだー。あ、でも、余計なことをしたかもしれないですよね……たかが男爵家風情が、辺境伯のご令嬢の心配をするなんて」


「そーかもしれませんねー。お嬢様、にこにこしながら不出来な使用人に解雇を言い渡すことだってありましたし――」


 マリオンの不安を、カレンは恐ろしいことを言って返す。すると、とたんにマリオンの顔がと、さぁっと青くなる。


「まあ、あんまり気にしない方がいいっすよー」


 カレンのフォローにならないフォローは、「解雇……解雇だけは……」不安でがくがくと震えるマリオンの耳には届かなかった。


 マリオンが辺境伯家の行儀見習いとして勤めはじめたのは、今年の春からである。彼女は国内に掃いて捨てるほどある男爵家の生まれで、二男三女の一番下、三女にあたる。

 すでに姉たちは結婚して他家に嫁いでおり、兄たちもそれぞれ妻帯するか、婚約者がいる。

 今年16の年になって、両親は最後まで手元に置いておきたかった彼女を、ようやく行儀見習いとして外に出した。一般的に見ると、少し遅い。それだけ両親に溺愛されたということだ。両親としては、娘の玉の輿など望んでいないが、辺境伯家の騎士や同格の男爵家、あわよくば子爵の家と知り合い、やがて婚姻の可能性があれば十分、という思惑だった。


「どうしよう、カレンさん! わたし、お嬢様に嫌われたかしら。差し出がましい口を男爵家風情がって。お前のような出来損ないが、一人前に口を聞くなど百年早い、犬みたいなものだからワンって言えって命じられたらわたし……」


「マリオン様、そういう趣味でもあるんすか……」


 カレンは若干引きながら、残りの琥珀糖をメイド服の内ポケットに、ナプキンに包んでしまい込む。


「じゃあ、今からワンって言う練習でもしたらどうすかね……」


 あきれ顔をしたカレンの言葉に、ケトルを抱えたままのマリオンは、はっとした。ややあって、


「…………わん」


 恥じらいながら、蚊の鳴くような声で言う。

 カレンはたじろぎながら、


「マ、マジには、やらない方がいいっすよ……!」


 と口にしたあと、


「アタシは、これから掃除がありますから、茶器の洗い物、頼んでもいいっすか?」


 と、何か含みを持たせたまなざしを向けた。

 本来、侍女は、茶を入れる作法を教養の一つとして学ぶことがある。だが、後片付けは使用人の仕事だ。使用人に過ぎないカレンが洗い物をマリオンに頼むのは、本来ならば不敬なことで、とうてい許されることでは無い。

 そんなことぐらいはマリオンも承知で、もしそんなことを言う使用人がいたら、毅然とした態度で、しかるべき対応をしなければならない。


 だが、マリオンは何かを察したのか、


「わかりました。洗い物、しておきます。カレンさんは早くお掃除に行ってください」


 と、口早に返事した。

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