11杯目 こんなはずじゃなかったのに!
次の投稿は6日18時半頃を予定しています。
それから数日間、アデリエーヌは静養を続けた。
本当なら、翌日には動いても支障はなくなっていたのだが、わざと疲れたふりを続けていたのだ。
ジョゼフやそれ以外のものたちに、何か裏切りの兆候があるかもしれないからだった。
その間、世話のほとんどはマリオンが行い、マリオンはアデリエーヌによく仕えつつ、同時にジョゼフをはじめ文官衆ともよく話をした。
この頃から、アデリエーヌは夜に茶を喫する習慣ができた。
その実は、マリオンから報告を受ける密談の時間だったのである。
(……この子、密偵の才能があるんじゃないかしら)
アデリエーヌは、ベッドに腰掛けて茶を喫しながら、マリオンの報告に内心、舌を巻いた。
マリオンはどんくさくて物覚えも悪くて、どうしようもない子だと聞いていたが、実に相手の感情の機微を察するのがうまかった。
そして、意外に目端が利き、ちらりとみただけの文章も、これぞということは覚えていた。
それから、人当たりが良く、雑談をしているとつい相手は脇が甘くなって本音を漏らしてしまう。
本人は別に話し相手をだまそうなどとは思っていないようなので、人畜無害な存在と思われるのだろう、いわば天然の人たらしだった。
色々と集めた情報を統合すると、今のところジョゼフはシロだった。
アデリエーヌが執務をとらない間、よく文官衆をまとめ、また武官たちにも行き届いた指示を与えている。
王都との連絡も滞りなく行い、数件上がってきたアデリエーヌへの伺い事項も、マリオンが裏を取った内容と差異がない。
(一応そろそろ、静養は終わりにしようかしら。でも、調査は引き続きしてもらった方がいいわね)
アデリエーヌは、今後も秘密の役割を続けるよう、マリオンに命じる。
マリオンは、見えないしっぽをぶんぶん振って、もっと褒められたいという欲求をあらわにしているように見えた。
「ところで、最近、お茶が変わった気がするのだけど……?」
ふとそのことが気になったアデリエーヌは、マリオンにそう尋ねた。彼女の掌の中に納まったティーカップの中身は、ずいぶんと赤い。
「はい。滋養に富んで、心身が元気になるハーブを中心に調合してみたんです」
「この赤い色は、何かのお花から?」
「はい、サフランです」
サフランと聞いて、アデリエーヌは血相を変えた。
はるか遠くの異教徒が住む乾燥地帯でとれる香辛料で、その価格は同じ重さの金よりも、はるかに高いといわれている。
「マリオン。サフランって、あの赤いサフランのことを言っているのかしら?!」
「はい。……あ、でも、サフランの代金は、私のお小遣いの中から出していますからご安心ください」
「そ、そういうことじゃないの! でも、あんな高価なものを、どうして、あなたが自分の負担で買い求めているの?!」
すると、マリオンは途端にしゅん……とする。
「い、いけませんでしたか? 男爵家風情が手を出したことが、僭越だったのですね……」
しおしおのしょぼしょぼになったマリオンを見て、アデリエーヌは慌ててフォローした。
「ち、違うわマリオン。わたくしは、あなたがそこまでしてわたくしを気遣ってくださっていることには感謝しています。ですが……わたくし、あなたにあまり負担をかけさせたくないのですわ」
「……そうなんですか?」
「も、もちろんよ。これからは、きちんと財務官に請求なさい……まったく、もう」
マリオンが自分のことを心配して、そこまでして貢いでくれる忠誠心の発露に、アデリエーヌは快感を覚えていた。
しかし、だからといって、こんな無理を続けさせていてはいけない。
マリオンは、今や自分にとって、なくてはならない存在なのだ。
(……あれ? いつからそんなことを思うようになったのかしら?)
アデリエーヌは、ここ数日の自分の言動を思い返した。
すると、数日前。もうろうとする意識の中で、マリオンに言ってしまったある一言に行き当たる。
「……!!」
直後、アデリエーヌは恥ずかしくなって、猛烈に顔が熱くなった。肌が白い分、紅潮するとよく目立つ。
じわっと首筋や脇に汗をかくのを感じる。
急に胸がドキドキしてきた。頭も心なしかクラクラする。
(い、言ってしまいましたわ。わたくしのバカバカ! あの子は密偵兼玩具としてかわいがるだけのはずだったのに!)
「……お嬢様? どうされたのですか?」
意識を何とか取り戻すと、マリオンの心配そうな顔が、間近にあった。
「だ、大丈夫です。な、なんでもありませんことよ」
そういいつつもアデリエーヌは、マリオンの、よく見ると意外に整った顔立ちに視線がひきつけられる。
アデリエーヌは、つい、片手を伸ばす。ティーカップを手放し、両手で、すぅ、とマリオンを抱き寄せる。
ふにゅっとした感触が、アデリエーヌの唇に触れた。一度目は軽く。二度目はよりしっかりと密着して。
マリオンは抗わず、アデリエーヌの腕の中で大人しくしている。
アデリエーヌの鼻腔を、少女特有の、桃とシャンプーが混じったような、甘いにおいがくすぐる。
「……お、お嬢様……」
マリオンは、恥じらいの表情を浮かべながら、アデリエーヌを潤んだ瞳で見つめた。
「……マリオン」
アデリエーヌは、愛すべき忠犬の名前を呼ぶ。だが心中では、
(わ、わたくし、何をしてしまっているの――――っ!)
しかしその直後、(ええい、ままよ!)とアデリエーヌは決断した。
すでに賽は投げられた。状況が変わったのなら、もはや為すべきことを為すがままに、流れに応じてやるしかない!
このあたりは、さすが武門の家柄である。例えクール令嬢キャラでも、オラオライケイケの血筋には、決して抗えないのだ。
アデリエーヌは、さらにぐいっと力強く、マリオンをベッドに抱き寄せた。
翌朝。
(こ、これがロマンス小説で何度も読んだ、『朝チュン』ですのね……)
アデリエーヌは、まどろみのなかに、小鳥たちのさえずりを聴いた。
シーツの中で、もどかしく手足を動かすと、もう一人の柔肌と触れ合って、甘美なくすぐったさと、確かなぬくもりを感じる。
もちろん、将来、結婚することを考えて、踏みとどまるべきところは踏みとどまった。それでも、全身が蕩けるような多幸感に包まれる。
だが、想定していなかったことが一つだけある。
なぜか、自分はマリオンの腕の中で眠っていたのだ――!
◇
アデリエーヌが政務に復帰したことで、居館内のありようも、少しずつ元に戻り始めた。
ただし以前と少し変わった点がある。アデリエーヌは、これまで些事に至るまで、自分が処理の具体的方法に至るまで差配しないと気になって仕方がなかった。だが、過労で倒れてからはジョゼフや文官衆に仕事をゆだねることが増えてきたのだ。
ジョゼフはこの変化を、ことのほか喜んだ。彼曰く、「病を得たことで、お嬢様は一段と将器が大きくなられた」らしい。
そしてもう1つ、変わったことがある。
「……ほら、お嬢様、どうして欲しいんですか?」
「だ、抱っこしていっぱいキスしてほしいにゃん……」
昼と夜とで、主従が逆転したのだ。誰の何がって? そんなことを知りたがるのは、野暮の極みだ。
しかし、話は、これだけでは終わらなかった。
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