1杯目 クールなお嬢様と子犬系侍女
手入れの行き届いた屋敷内の花園に、うららかな春の日差しが指している。遠くから聞こえてくるのは、小鳥のさえずり。
わたくしは、白銀の髪をなびかせながら、愛犬との楽しいひと時を過ごしていた。
「……お嬢様ぁ。わたし、いい子にしてたから、いっぱいナデナデしてくださぁい」
恥じらうように上目遣いを向けてくる、首輪をつけた栗色の髪の少女。それがわたくしの愛犬マリオンだ。
「うふふ。マリオンは甘えん坊さんね。よしよし、いい子いい子」
甘やかで、蕩けるような午後の夢のひととき。
頭や背中をいっぱい撫でてあげた後、そっと耳の後ろやうなじに指を這わせると、マリオンはすぐに赤くなって、鼻にかかった甘い吐息を漏らす。
ふふっ。そんな顔されちゃうと、もっと意地悪したくなるじゃない――。
◇
(――はっ!)
「…………さま。お嬢様。いかがなさいましたか?」
美少女の声とはかけ離れた、老家宰の声にアデリエーヌは我に返った。
(いけないいけない。つい妄想の世界に迷い込んでしまいましたわ……)
「……なんでもありません、ジョゼフ。ちょっと考え事をしていただけ。……あら? もうこんな時間。一度休憩にしましょう」
うまく取り繕いつつ周囲にそう告げたアデリエーヌは、絹糸のような白銀の髪をかき上げ、ふぅ、と一息ついた。
いけない妄想にふけってしまったせいか、少し肌が上気している。
彼女は、執務机の大きくて堅牢な椅子に背中を預けると、自分の胸中に沸き起こった劣情を追い出すかのように、大きく息を吐いた。
齢17歳。艶やかな白銀の髪。『貴族の血』という言葉にふさわしく、血管すらうっすらと透けて見えそうな透明感のある白い肌。少しツンとした顔立ちだが、それは貴族特有の高慢さというよりも、冒しがたい気高さを醸し出すのに一役買っている。そんな美麗さの化身である彼女は、当世ならもう結婚適齢期であったが、15の年より解禁となる婚約相手すらまだ決まっていない。王都で大臣を務める父と、将軍として戦場を転戦する兄に代わって、王都より遠く離れた辺境の地で、使用人たちにかしずかれて暮らしていた。
「ああ、もうお茶の時間ですな。では、お嬢様にお茶を」
老家宰のジョゼフが、そう言って使用人たちに指示をする。
アデリエーヌの家は、辺境伯という、貴族社会でも上位に位置する地位にある。しかも、王家に並ぶほど古い血脈だった。
そのため、婚姻が貴族間の駆け引きにおいて強力なカードであったこの時代、アデリエーヌの価値は極めて高かった。
だからこそ、彼女の父は、大臣として宮中に居場所を構えて、娘を最も高く売れる相手と、その時期をはかり続けていた。
「――失礼します」
やがて、お茶の支度ができたのか、年若い侍女が、カートを押すメイドとともに執務室に入ってくる。
「お茶の支度ができました、お嬢様」
明るい栗色の髪を左右で束ね、折り目正しい服装をした侍女が一礼する。
くりくりとした瞳が生気を感じさせる。田舎娘のような素朴さが魅力的な彼女は、数か月前から辺境伯家に仕え始めたマリオンだった。
「では、どうぞごゆっくり」
ジョゼフはそう言うと他の若い文官たちをみな連れ立ち、アデリエーヌを置いて、執務室から出ていった。
執務室の中には、アデリエーヌとマリオン、そして存在感を消したメイドが1人。
「今日はどんなお茶なのかしら? マリオン」
文官たちがいなくなったことで、少し緊張を解いたアデリエーヌは、疲れた目をほぐしながらそう言った。
「はい。今日は、ローズマリーとブルーベリーをブレンドしたお茶に、琥珀糖をお持ちしました」
マリオンと呼ばれた侍女は、瞳をキラキラさせながら、返事する。
そしてメイドに目くばせして一歩後ろに控えさせると、カートの前にマリオンは立つ。
小さな籠から、生のブルーベリーを取り出す。そして底の深い小皿にとり、小さな木の棒を使って少しつぶす。
潰したそれは、籠の中のローズマリーと一緒に、染付磁器のティーポットに入れる。
ついで、小さな風炉の上でシュンシュンと音を立てるケトルを手にして、ティーポットに湯を注ぎ、ふたをする。
ポットと同じ染付磁器のカップに湯を少量注ぎ、ケトルを風炉に戻す。
マリオンの、舞のように流れる動作を、アデリエーヌはかすかに笑みを浮かべつつ眺めていた。
静寂の執務室に、湯の沸く音だけが流れている。
やがて、マリオンはカップの中の湯を、持ち手のついた銀製のボウルに捨てると、ティーポットから茶を注いだ。
さわやかで、ふんわりと甘酸っぱい香りが執務室に漂う。
「お待たせしました」マリオンはそういうと、カラフルな琥珀糖と一緒にハーブティーを主人に供した。
「ありがとう」
アデリエーヌはそういうと、優美なしぐさでティーカップを手にする。
甘い中にも、ローズマリーが持つ独特の香りが隠れている。少し口にすると、かすかに苦みがあるが、不快ではない。
「お好みで、はちみつを入れることもできますよ」
マリオンは、控えめな態度で、はちみつの入った小瓶をそばに置いた。
「このままで十分おいしいわ。マリオンの入れるお茶は、本当に心安らぐ」
アデリエーヌは独り言のように言う。
するとマリオンは、頬を紅潮させて、少しもじもじした。褒められたのがうれしかったのだろうか。
「……あの。ローズマリーは疲れをとって、頭を休ませるんです。ブルーベリーは、目のコリをほぐすそうで」
やがておずおずと、マリオンはアデリエーヌにそう告げた。
「ふふ。わたくしの体を気遣ってくれるのね。ありがとう。お父様もお兄様も、領地経営は全部ほったらかしだから、全部、わたくしのところにやってきてしまいますもの。本当、困ったものね」
アデリエーヌがそういって、マリオンに笑みを向ける。
すると、アデリエーヌは、マリオンに犬みたいなしっぽが生えてきて、それがぶんぶん左右に振れているのが見えた。
(疲れてるのかしら……)
そう思ったアデリエーヌは、一瞬だけ目を閉じる。そして目を開け、マリオンの腰を見る。
うん、しっぽなど生えてはいない、と彼女は確認した。
椅子に深く腰掛けて、アデリエーヌはゆっくりと茶を飲む。鼻腔に抜ける芳香に、神経のささくれがほぐれていく。
ふと気づくと、緊張した様子のマリオンが、じいっとこちらの様子を見つめていた。
アデリエーヌは、ちょっと気晴らしに、いたずらしたくなった。
わざと少し声色を落として柳眉をひそめ、
「……マリオン。……ちょっと、こちらへいらっしゃい」
先ほどの笑みとはうってかわった口調で呼ばれたマリオンは、まごつきながらアデリエーヌが座る机の前にやってきて、直立不動になった。
「な、なんでしょうか……」
冷や汗を流しながら緊張しているマリオンを目の前にして、アデリエーヌは、しゃなり、と音でも聞こえてきそうな仕草で席を立つ。
そして、じっ……とマリオンの目を見据えた。
そして、茶菓子の琥珀糖をひとつ、つまみあげる。マリオンの視線が、琥珀糖に向けられる。
「はい、ご褒美」
そのまま、ぷっくりとしたマリオンの唇を、つぷ……と押し広げ、琥珀糖を口中に忍ばせる。
「――♡?!」
マリオンは、目を白黒させた。どうリアクションしてよいのかわからず、顔を真っ赤にしてあたふたしている。
「いつもありがとう。これからもおいしいお茶を、お願いしますわね」
マリオンの反応が悦に入ったアデリエーヌはそういうと、
「少しだけ一人の時間が欲しいわ。ジョゼフたちには、あと10分頂戴、と伝えて」
少しあきれた様子のメイドにそう告げ、マリオンとともに下がらせた。
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