第6話 恐怖の中で見えた光
村に不穏な空気が流れ始めたのは、ほんの数日前のことだった。
「隣の家の子が熱を出して寝込んだんだって……」
「どうも、おかしいんだよ。普通の風邪じゃない。あっという間に熱が上がって、意識が朦朧とするらしい」
噂はすぐに広がり、村中が不安に包まれた。
村は小さい。誰かが病に倒れれば、あっという間に皆に伝わる。
(どうしよう……)
リリアーナは胸の奥が冷たくなるのを感じていた。
自分の家があった都では、こんな時すぐに医師団が駆けつける。
けれどこの村には、医者は月に一度巡回に来る程度だ。
いつ来るかも分からない医者を待っていられる状況ではなかった。
翌日、ついに村の広場に簡易の看病小屋が作られた。
病に倒れた人々がそこに運ばれ、弱々しく寝息を立てている。
リリアーナはそっと入り口に立ち、様子を伺った。
布団に伏せる子ども、その手を握りしめ涙ぐむ母親。
みな不安と恐怖に顔を曇らせていた。
(……何か、私にできることは……)
小屋を出ようとしたとき、ふとミーナの言葉が頭をよぎった。
『お嬢様はきっと、魔力量で測れない何かをお持ちなのです』
(私に、何かできるかもしれない……!)
リリアーナは意を決して、小屋の奥に進んだ。
「……リリアーナさん?」
看病をしていた村の婦人が、驚いた顔を向けた。
「何か……お手伝いさせてください」
「でも、病気が移るかもしれないのに……」
「大丈夫です。私、何もしないではいられません」
婦人は戸惑いながらも、そっと場所を空けた。
リリアーナは布団に寝る小さな女の子の傍らに膝をつき、その小さな手を取った。
火がついたように熱い。額には冷たい布が置かれていたが、全く効いていないようだ。
(どうか、苦しみが和らぎますように……)
心の中でそっと祈る。
すると、指先から静かな光がじわりと滲み出た。
「……?」
周囲の婦人たちが息を呑んだ。
光は小さく波紋のように広がり、女の子の顔色がみるみるうちに和らいでいく。
額にあった真っ赤な熱が、嘘のように引いていった。
「お母さん……?」
目を開けた女の子が、弱々しく声を上げた。
そばで見守っていた母親は、泣き出しそうな顔で娘を抱きしめた。
「よかった……よかった……!」
リリアーナはその様子を見つめ、胸を撫で下ろした。
けれど同時に、軽いめまいを覚え、思わず隣の柱に手をついた。
(……少し、力を使いすぎたのかな)
「リリアーナさん、大丈夫ですか?」
「はい……少し、ふらっとしただけです」
婦人に支えられながら外に出ると、気付けば小屋の前に村人たちが集まっていた。
何人もの視線が、一斉にリリアーナに注がれる。
「リリアーナさん……あんた、一体何者なんだい?」
最初に声をかけてきたのは、あの畑のハルだった。
怯えるような、しかしどこか希望を見つけたような複雑な表情をしていた。
「私……本当に、何者でもないんです。魔力量はゼロだって、ずっと……」
そう言いかけて、リリアーナは唇を噛んだ。
何を言えばいいのか分からなかった。ただ、これだけは言えた。
「でも、助けたいと思ったんです。あの子が……村のみんなが、少しでも楽になればいいって」
沈黙が広がった。
けれど次の瞬間、誰かがぽつりと声をあげた。
「……ありがとう、リリアーナさん」
「そうだよ。あの子、もう駄目だって言われてたのに……」
「俺ら、この村を守るためにいろんなもんを必死に作ってきたけど……あんたも同じだ。あんたはこの村を救ってくれた」
いつの間にか、人々は笑っていた。
中には泣いている婦人もいた。
「ありがとうな」「これからも、ここに居てくれよ」
ハルが恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。
リリアーナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
涙が溢れそうになり、必死にこらえて微笑む。
「はい……こちらこそ、ありがとうございます。私、ここに居させてください」
その晩、小さな家に戻ると、ミーナが泣きながら飛びついてきた。
「お嬢様……私、ずっと見てました。今日のお嬢様、とても立派でした……!」
「立派だなんて……私はただ……」
「お嬢様は、あの公爵家にいたときよりずっと輝いています」
ミーナの言葉に、リリアーナはそっと目を閉じた。
(私、本当にここにいていいんだ……)
心の奥の痛みが、少しずつ消えていく。
ここが、やっと自分の帰る場所になるかもしれない。
そう思うと、胸が少しだけ強くなった気がした。