第4話 小さな奇跡
村に暮らし始めて、リリアーナは日々の作業に追われていた。
慣れない畑仕事や、村人たちとの共同作業は大変だったが、その分心地よい疲労が残った。
「お嬢様、今日は畑の草むしりでしたね?」
「ええ。手が泥だらけになるけれど、それも悪くないわ」
ミーナは心配そうに見守りながらも、どこか嬉しそうだった。
追放され、居場所を失った主が、こうして前を向いていることが嬉しかったのだろう。
その日の午後、村の畑で作業をしていると、農夫のハルという中年男が眉をひそめていた。
「くそっ、まただ。こっちの畝が全部萎れてきやがった」
見ると、立派に育っていたはずの野菜の葉が黄色くなり、しおれて倒れかけている。
「何か病気なんですか?」
リリアーナが尋ねると、ハルは頭を掻いてため息をついた。
「詳しくはわからねえが、この土地は昔から疫病虫が出やすくてな。村の者も薬草を使ったりはするが、今年は特に酷い」
「そう、ですか……」
リリアーナはそっとしゃがみ込み、土に触れた。
冷たく乾いた土が、指先にじわりと馴染む。
(なんだか、苦しんでいるみたい……)
目を閉じると、微かに土の奥で呻くような気配が伝わってきた。
無意識に小さく息を吐き、指先で土を撫でる。
──大丈夫。もう苦しまなくていいのよ。
そう心の中で呼びかけると、不思議な感覚が広がった。
土の冷たさが和らぎ、優しい温度に変わる。
どこからともなく光の粒が浮かび上がり、それがしおれかけた葉にふわりと降り注いだ。
「……えっ?」
ハルが息を呑む声がした。
見ると、さっきまで黄色くなっていた葉がゆっくりと緑を取り戻し、しっかりと立ち上がっていく。
「な、なんだ今の……」
リリアーナは慌てて手を引っ込めた。
「す、すみません。私、何を……」
「いや……お、おめぇが謝ることじゃねえだろ。むしろ……助かった。畑が、もう駄目かと思ってたのに」
ハルはぽりぽりと頭を掻き、少し照れたように笑った。
「変な言い方だが……ありがとな。助かったぜ」
「い、いえ……」
(また、やってしまった……)
屋敷にいた頃からそうだった。
自分では何をしたのか分からない。
ただ、少し触れて、心の中で語りかけるだけ。
でもそれが、こうして誰かの役に立てるのなら……。
その日を境に、少しずつ村の空気が変わっていった。
市場に野菜を運ぶ手伝いをしていると、村の婦人たちが声をかけてくれる。
「この前はありがとうね。畑、ずいぶん元気になったんだよ」
「礼儀正しい子だって噂してたんだよ。あんた、ずっとこの村に居なよ」
「……はい。そうさせてもらえたら、嬉しいです」
リリアーナは心の底からそう思った。
追放される前は、人から笑顔でそんなことを言われることなどなかった。
いつも家の名誉の話ばかりで、自分自身を見てくれる人などいなかったのだ。
夜、家に戻るとミーナが湯を沸かして待っていた。
「今日は畑で何があったのです? 村の人たちが、すごく嬉しそうに話していましたよ」
「ちょっと……畑を触ったら、野菜が元気になってしまったみたいなの」
「まぁ! それは素敵なことです。お嬢様はやっぱり、不思議な力をお持ちなんですね」
リリアーナは小さく首を振った。
「力だなんて……私、本当に何も分からないの。測定ではゼロだったのよ? それなのに、こんなことができるなんて……」
「魔力量では測れない何かを、お嬢様はお持ちなのです。だから私はずっと、お仕えしたいのです」
ミーナが微笑む。
(魔力量で測れない何か……)
屋敷にいた頃は、それが“家の恥”だった。
でもここでは、少なくとも誰も「いらない」なんて言わなかった。
その夜、再び布団に潜り込み、胸に手を当てる。
(お父様や兄様に見放されたのは辛かった。けど……私は、ここで必要とされたい)
村人たちの笑顔が頭に浮かぶ。
手に触れた土の温かさが、まだ指先に残っている気がした。
(いつか本当に、この村の人たちに認めてもらえる日が来るのかな)
静かな夜に、そっと願いを紡ぐ。
(もしそうなったら……私、生まれて初めて自分の居場所を見つけられるかもしれない)
まだ涙は少し滲んだが、それはこれまでのような苦しいだけの涙ではなかった。




