第3話 居場所なんてどこにもないと思っていた
村に来て三日が過ぎた。
リリアーナは毎朝広場に顔を出し、村人たちの作業を手伝っていた。
野菜を運び、畑の雑草を摘み、洗濯物を干す。
貴族の屋敷では召使いに任せていたことばかりだが、今はそれを自分の手で行っている。
最初はぎこちなく、泥に足を取られて転びそうになることもしばしばだった。
「おいおい、大丈夫か?」
力仕事をしていた若者が、手を差し伸べてくれた。
リリアーナは泥のついたスカートを気にしつつ、小さく頭を下げる。
「はい、すみません……ありがとうございます」
村の人々は、まだ完全に心を開いてくれたわけではない。
話しかけるときも、どこか探るような視線を向けられる。
だが、それでも少しずつ距離が縮まっているのを感じる瞬間があった。
昼下がりには小さな子どもたちが集まってきて、恥ずかしそうに話しかけてくれる。
「お姉ちゃん、新しい人?」
「そうよ。これからこの村で暮らすつもりなの」
「ふーん……。お姉ちゃんの髪、きれいだね」
そう言って、小さな手がそっとリリアーナの髪に触れる。
褒められるなんて思っていなかったので、胸が温かくなった。
夕方、家に戻るとミーナが簡単な夕食を用意して待っていた。
「お疲れでしょう、お嬢様」
「ええ……ありがとう」
小さなテーブルを挟んで、二人で並んで食事を取る。
昨日より少しだけ疲れが心地よいと感じるのは、村で身体を動かして過ごしたからだろう。
けれど夜になると、どうしても思い出してしまう。
(お父様のあの目……兄様たちの冷たい声……ユリウス様……)
あの日、測定器が光らなかった瞬間のこと。
家族に見捨てられた言葉の重さ。
婚約者に「平民以下」と嘲笑われた悔しさ。
布団に入っても涙が止まらず、ミーナに気づかれまいと顔を覆った。
(どうして……私が何をしたというの……)
心がちくちくと痛む。
どれだけ村で働いても、どれだけ笑ってみせても、その痛みだけは薄れなかった。
翌日、いつものように畑を手伝っていると、一人の老女が近づいてきた。
深い皺の刻まれた顔に、優しげな灰色の瞳をした女性だった。
「お嬢さん、あんた……夜になると泣いてるだろう?」
「えっ……」
ぎくりとして顔を上げると、老女は少し困ったように微笑んだ。
「ここじゃあ、夜の音がよく響くんだよ。あんたが泣く声、外まで聞こえてくる。誰も言わないけど、皆ちょっと心配してるのさ」
(……聞こえてたんだ……)
恥ずかしさと情けなさがいっぺんに込み上げてきて、顔が熱くなる。
「……すみません、迷惑ですよね。もう少し、気をつけます」
「いやいや、泣きたいときには泣けばいい。ここには、そんなことを咎める者はいないよ」
そう言って老女は、リリアーナの肩にそっと手を置いた。
「辛いことがあったんだろう? でももうここはあんたの家だ。誰もあんたに『お前なんかいらない』なんて言わないよ」
その言葉が、胸の奥にじんと染み込んだ。
思わず口元を覆い、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「……ありがとうございます……そんなふうに……言っていただけて……」
「いいのいいの。あんた、礼儀正しいし、畑の手伝いも頑張ってくれてる。この村には、そういう人間が必要なんだよ」
老女はそう言ってにっこり笑った。
「……ここに、居てもいいんですか?」
「居なさい。あんたが居たいだけ居なさい。ここはそういう場所だよ」
夜、布団の中でリリアーナはひとり泣いた。
でも今夜の涙は、これまでとは少し違っていた。
(私は、この村に……居てもいいんだ……)
失ったものはもう戻らない。
けれど、ここには少しずつ築けそうな小さな関係があった。
自分の居場所が、やっと見つかるかもしれないと思えた。
そして次の日の朝、リリアーナは村の空気を深く吸い込み、小さく決意をした。
(この村でやり直そう。きっと、何かが始まる気がする)
そうしてリリアーナの新しい日々が、ゆっくりと動き出した。