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死美譚 ―東京終焉録―  作者: 來巳 日咲
《第1章 殺人鬼編_美しき解体者》
3/3

第3話『美学の罪』



 東京の夜は、なぜこんなにも“綺麗”なのだろう__

 ふと、神楽李有(かぐらりいあ)はそう思った。


 繁華街のネオン、濡れた路面の反射、都会的で均整の取れた無機質な建物群。その全てがどこか整いすぎていて、整っているが故に、息苦しかった。


(……だからこそ、壊したくなるのかもしれない。こんな美を)


 そんな事を考えながら向かった現場はとある美術館だった。夜間は閉館しているはずのその館内に、耳を劈くような警報が鳴り響いていた。


 そんな音とは真逆に、軽快な足取りで神楽を見つけると、軽く手を挙げながら近づく探偵・綾辻仁(あやつじじん)がいた。


「いつも通り、浮かない顔だね」


「当たり前です。次から次へと……」


 いつものように歩きながら話す二人。目の前に居た若い警官がそのまま案内するよう先を歩いた。


「遺体は二階の展示室です」


 その足取りは、無意識に遅くなっていた。


 ガラス張りの空間。展示物はモダンアートのような抽象的作品ばかり。

 だが、その中心に「具象的」な作品が一つだけあった。


 椅子に座らされた裸の女性の遺体。全身に赤い絵具のような液体が塗られており、頭部には金属製の仮面が嵌められていた。

 胸元には、「罪と美学」とだけ書かれたカード。


「これは……何のつもり?」


 神楽が小さく呟いた。


「“作品”だよ」


 それに対し、綾辻が低い声で答える。


「ここにあったはずの展示物は撤去されている。そしてこの遺体だけが置かれていた。

つまり、これは“展示された死体”なんだ」


「……また、“柘榴(ルビー)”?」


「まず間違いないだろう」


 神楽は口を噤んだまま、遺体に近づく。


 赤い液体は、どうやら“血”だけではなかった。油絵具のような粘着性のある液体が混じっており、遺体はまるで“絵画の一部”のように加工されていた。


「顔が……見えない」


 金属製の仮面には目と口の穴がなく、無機質な表情が刻まれている。感情の一切を排したそれが、かえって不気味だった。


「“個”を消して、“美”だけを残したかったんだろうな」


 綾辻は仮面の輪郭を指でなぞる。


「この犯人、どんどん表現が過激になってきてる。“人間”という存在を、美の中から消し去ろうとしている」


「“個人”の人生を否定して、“美”のための“素材”にするってこと?」


 神楽の声は、怒りを押し殺していた。


(父さんも__こんな風に“飾られた”んじゃなかったの?)


 彼女の中で、過去と現在が交差し始めていた。


 翌朝。神楽は父の墓の前に立っていた。周囲の木々が風に揺れ、柔らかい陽光が墓石を照らす。

 彼女の手には、小さな古びた手帳。


「これは……父さんの?」


 母から受け取った遺品の中に、ずっと気になっていたものがあった。そこには、父が生前綴っていた日記の一節が残されていた。


「“死ぬ理由”を探す人間は、まだ救える。

 だが、“死ぬ美しさ”に憧れる人間は、救えない__」


 神楽の胸が、酷く痛んだ。その文章を指でなぞれば少しの埃が指に付く。頬から落ちる水滴を零さぬよう彼女は日記を閉じた。


(父さんは……何を見て、こんな言葉を残したの?)



 その頃、闇部(あんぶ)のアトリエでは、彫刻家・石神紅葉(いしがみくれは)が仮面のレプリカを机上に置いていた。


「……無個性。無感情。“柘榴(ルビー)”が目指しているのは、たぶん……死の美の普遍化」


 傍らでは画家・秋月芹(あきつきせり)が、絵具を調合しながら頷いた。


「“誰でもよかった”っていう犯行理由と似てるけど、これはそれよりも悪質よ。

“誰であってもいい”っていう、選ばれた人間の切り捨て方」


「どこかの信仰に似ている。救いという名の、“一律の浄化”」


 2人の会話に一区切りついたその時、静かに声を重ねたのは納棺師・柊木優人だった。


「__あの女刑事が、動いているな」


「神楽刑事のことです?」


 紅葉が眉を寄せる。


「俺の“見習い”が彼女の行動を追っている。……トア、報告を」


 部屋の扉の影から、黒装束の青年が静かに現れた。納棺師見習い・夜見(よるみ)トア。


「彼女は“父親の死”をずっと追いかけているようでした。

警察上では自殺と処理されましたが、遺書も動機もなし。

__今回の“柘榴(ルビー)”の犯行と、構図が酷似しています」


「そうか……」


 柊木は静かに組んでいた腕を解いた。


「女刑事は“感情”で動いている。それは“柘榴”に最も届くものだ。……だが同時に、最も利用されやすい」


「感情に引きずられては、美は見えないですからね」


 紅葉が呟くように言った。


「死は感情と時間の果てだ。……それを切り捨てた瞬間、ただの造形になる」


 柊木が頷いた。


「だからこそ、俺達が裁かねばならない。“死の偽物”を、“死の美”で上書きするために、な」


 彼は静かに、仮面に指をかけた。その不気味なくらいに白い手に映える仮面は、まるで元々自分の物だったかのような、そんな感覚すら覚える。


「この“無表情”に宿る“罪”を、俺達が暴こう」


 無機質な声が響いた。

 その日の夜、闇部(あんぶ)の元に新たな“作品”が届いた。


 大きな黒い木箱。

 中に入っていたのは__仮面をつけたマネキンの群れ。


 全て同じポーズ、同じ服装、同じ角度。


「……これは」


 紅葉が箱を開けた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「“大量の偽物”だ」


 マネキンたちは遺体ではなかった。だが、妙に“生々しい”。


「ただの“死体の代用品”……」


 紅葉の言葉に、アトリエ内にいた秋月芹(あきつきせり)が目を細める。


「“人間じゃなくても、同じ構図なら美しく見える”……ってこと?」


「そういうことだろう」


 ソファーに座っていた柊木が脚を組みながら呟く。


「“死そのもの”ではなく、“死の表現”に価値を見出す__それが“柘榴(ルビー)”の美学だ」


「それはつまり、人間の感情とか痛みとか、いらないってことでしょ。

“どう死んだか”も、“なぜ死んだか”も、“誰が死んだか”すらいらないっていう……」


「それは、“死の贋作(がんさく)”です」


 秋月の言葉に紅葉が立ち上がる。


「__その偽りを、俺の彫刻刀で切り裂いてやる」



 その夜、神楽のもとに一本の電話が入った。


《次の“展示”が始まる。今度の舞台は“生きている者”だよ》


 それだけを残して、電話は切れた。

 神楽はすぐに警察を動かし、予告された場所――ある廃墟ビルの屋上に急行する。


 そこには、照明を浴びたひとりの女性がいた。


 ……生きていた。


 ただし、両腕を縛られ、口にはガーゼのような布。頭には、またしても“仮面”が装着されていた。苦しみから解放されるために藻掻くその姿に希望を見た。


「……生きてる!」


 神楽が駆け寄ると、彼女は激しく頭を振っている。そのとき、屋上の床に仕掛けられていた“何か”が作動した。


 ――ボンッ。


 白い粉末が舞い上がり、仮面に描かれた“笑顔”が赤く染まる。


 その瞬間、綾辻が叫んだ。


「これは、“リアルタイムで完成していく死”の演出だ!」


 神楽は縛られた女性を抱き起こす。


「……生きてる……まだ、“完成”してない!」


 その言葉に、自分自身が突き動かされた。


(なら、私は……完成させない!)


 神楽は叫ぶように命令する。


「救急隊を!仮面を取って、すぐに!」


 後日、女性は助かった。

 だが仮面を外された直後、彼女はこう呟いていた。


「……私、死にたかったんです。でも、“誰かの作品”になるのは……いやだった……」


 その言葉は、神楽の胸に深く残った。


(“死にたい”じゃなくて、“綺麗に死にたかった”。それを誰かに“演出される”のは、違う)


 父の死も、そうだったのではないか。


「……“美学”という名の罪。私は絶対に許さない」


 彼女の声には、微かな決意が宿っていた。



▶次回予告:第4話『追う者たち』

“柘榴”が残した謎の仮面と、同一構図のマネキン群。


捜査線上に浮かぶのは、かつて芸術界で追放されたある“元天才”。


彫刻家・紅葉の彫り起こしが、“柘榴”の思想の一端を抉り出す。


__そして、神楽が知る“父の死”と“ある秘密”。


「偽りの死を、俺は彫らない。

 ならば、真実を……この手で掘り起こすまでです」

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