第2話『死の肖像』
東京の夜が、また血を吸った。
六日前とまったく同じ__
そう、"美しい死"が、再び現れたのだ。
刑事・神楽李有は、現場の玄関先で深く息を吐いた。重い空気、冷たい湿度。わずかに鼻をくすぐるのは、甘い香水の香り。だがそれは、死を飾るために撒かれた"演出"に過ぎない。
遺体は寝室のベッドの上にあった。
薄紅色のナイトガウンをまとった女性の遺体は、両手を胸に重ね、口元に微笑みを湛えていた。眼は閉じ、化粧は完璧。まるで、葬儀の直前に整えられたような──"作られた死"だった。
「……また、笑ってる」
神楽が呟いたとき、後方から足音が聞こえた。振り返ると、黒のコートを羽織った男、私立探偵・綾辻仁が無言で部屋に入ってきた。
「聞いたよ。例の"笑う死体"だな?」
「……あなた、どうやって警察より早く来るの?」
神楽は眉をひそめたが、綾辻は答えず、遺体を一瞥すると顔をしかめた。
「……これ、"微笑んで死んだ"んじゃない。筋肉を操作してる。──演出だ」
「つまり、殺したあとに整えた?」
「間違いない。花瓶に生けた花と同じ。誰かが、美しさを完成させた死体だ」
そう言いながら、綾辻は遺体の胸元から髪の毛に視線を移した。
結ばれていたのは──赤いリボン。
神楽の背筋がぞっとした。
(またか……)
前回と同じだ。リボン、姿勢、笑み……すべてが"同じ型"で飾られている。
そのとき、奥の部屋から硬い音が聞こえた。
カン。カンカン。
何かを叩いているような、不快な音。二人は目を交わし、音のする部屋へと向かった。
そこには、ひとりの男がいた。
黒色のスーツ。手には彫刻刀。そして──遺体の側に膝をつき、何かを"削っている"。
「何をしてる!?」
咄嗟に神楽が叫ぶと、男は手を止めて振り返った。目は静かに沈んでいた。
「……誰です?」
「神楽李有、刑事よ。こっちは探偵の綾辻仁」
「そうですか。私は彫刻家です。石神紅葉。闇部の一員であり……死の美を見極める者です」
その名に、神楽の目が鋭くなる。
闇部。神楽が密かに追っている、"死を美として捉える異能集団"。
ただ目の前の石神はまるで二人には興味のないような返し。礼儀として一応は自身の自己紹介を行うも、その目は遺体から逸れることはなかった。
「あぁ。何をしているか、でしたか……"彫って"います」
「彫ってる、だと……?」
聞き慣れない言葉に綾辻は同じワードを繰り返した。当然のように二人の存在は彼の中では小さい。
石神は、まるで作品を仕上げるかのように彫刻刀を撫でた。
「……死体には、嘘が残ります。笑っているように見えても、本当に笑っていたかは、筋肉の緊張、肌の弛緩、骨の角度……構造でほとんど分かりますから」
「それを、あなたは"彫って"暴くと?」
綾辻が問うと、石神は頷いた。
「ええ。これは"加工された死"。自然ではない。──つまり、"偽りの美"です」
神楽はしばらく沈黙していたが、やがてカバンからひとつの機械を取り出した。
「“共振子”──異能観測装置」
現場の死の空気を読み取るため、神楽は父が遺した装置を試していた。
装置を起動すると、耳の奥に「声」が響く。
──たすけて
──やめて
──しにたくない
聞こえてきたのは、苦しみの断末魔。そのリアルな声に神楽は眉をひそめた。
笑ってなどいない。幸せそうな死ではない。
それは、確かに"殺された"死だった。
数時間後、検視官の報告によって、死後硬直の操作跡、笑顔の維持のための表情筋薬品、血液の抜き取りと再注入など、徹底した"舞台化"が施されていたことが明らかになった。
神楽は震える手で赤いリボンを手に取る。
(同一犯。……いや、同じ"思想"を持つ誰か)
そのとき、携帯が震えた。
差出人不明の番号。
神楽が応答すると、機械のように無機質な声が響いた。
「次は、あなたの知っている人を"美しく"してあげますね」
ピッ。
それだけ言い残して、通話は切れた。
気味の悪い電話を受けて、自然と家へ向かう足は速くなっていた。自宅の資料室へ向かうと、神楽は父の残した事件記録と向き合った。
父もまた、同じような"笑う死体"に違和感を覚えていた。だがそれは報道されず、父自身も不可解な事故死を遂げていた。
神楽は震える指でノートをなぞった。
《"綺麗な死"とは、誰のためにあるのか?》
父の問いが、今も神楽の胸に残っている。
「私が……答えを出す」
彼女は誓った。父が追っていた美しい死の正体を暴くために、すべてを懸けると。
◇
闇部のアジト。静かな空間に、納棺師・柊木優人が座っていた。
卓上には赤いリボン。そして、手紙。
──《次は、あなたたちの中から選ぶ》
「……トア」
彼は納棺師見習い・夜見トアの名を呼んだ。そして彼に皆を集めるよう指示を出す。
机上の手紙を囲むように、石神紅葉、画家・秋月芹、研究員・内山涼香、祓い屋・時雨真城、霊媒師・伊吹彰人、そして占い師・日比谷和泉が集まった。
手紙を確認し、目を交わす。後にその視線は自然とリーダーである柊木に向く。
彼は机にリボンを投げ捨て、呟いた。
「挑戦状だ。……"柘榴"。そう名乗る殺人鬼からの」
「柘榴、か……」
画家・秋月が唇を歪める。
「甘くて、赤くて、熟しすぎれば毒にもなる」
彫刻家・石神が、鋭い声で告げた。
「この殺人鬼は、美を"模倣"してますね。死を素材にしたただの"贋作"」
柊木は頷いた。
「俺達の思想を、嘲笑うように模倣してる。──許すつもりなどない」
「戦うんですか?」
震える声で問うトアに対し、柊木は静かに答えた。
「戦うんじゃない、"審判"するんだ。……それが、俺達の務めだからな」
◇
その頃、東京のどこか。
美術館のような空間で、赤い髪の女が立っていた。
殺人鬼──《柘榴》は、天井から吊るされた死体を見上げていた。
「……まだ、足りない。もっと、美しくしなきゃ」
その目に、狂気の色はなかった。ただ純粋に、"美しさ"を追い求める者の目をしていた。
「だって、死は最高の化粧台。醜い人生を、最後に塗り替えてあげる場所なんだから」
その手には、新しいリボンが握られていた。真っ赤な、まるで血の連想するような赤。
「次は、あなた──綺麗にしてあげる」
▶次回予告:第3話『美学の罪』
__新たな遺体が“展示”される。
それは芸術と暴力が交差した、“無表情の仮面”を被せられた死体。
“作品”として飾られた遺体は、美か、罪か。
闇部の彫刻家・紅葉が語る“贋作の死”、
刑事・神楽が辿る“父の言葉”。
そして、闇部へ届く挑戦状と、“完成される死”。
「その美学は、誰かの命を削って成り立つ__
それを俺は、美とは呼びません」