第1話『赤の出現』
東京の夜が、再び血を吸った。
けたたましく鳴り響くパトカーのサイレン。警察車両に囲まれた高層マンションの一室に、静寂が訪れていた。
室内の空気は、異様なほど整っていた。
消毒液のような匂いと、香水の香りがかすかに入り混じる。壁は白く、家具はモノトーン。
整然とした空間の中心に__死体が横たわっていた。
「……また、笑ってる」
警視庁の刑事、神楽李有は、ベッドの脇にしゃがみこみながらそう呟いた。
遺体の女性は白いナイトガウンをまとい、胸元で手を組んでいる。その口元はうっすらと微笑み、唇にはうっすらと艶が乗っていた。
死んでいるとは思えない……それほど“美しく整った”死。
神楽は眉をひそめた。
(これで三件目。すべて、同じ構図……)
犠牲者は全て二十代女性。自宅、あるいはホテルの室内で発見されている。
そしてその全員が、“笑って”いた。
「……来たな。お前だと思ってたよ」
背後から聞き覚えのある声がした。
神楽が振り返ると、そこには黒のコートをまとった男__探偵・綾辻仁が立っていた。
元警視庁の捜査一課。だが今は、組織を離れて独自に“美しすぎる殺人事件”を追っていた。
「遅いです。現場保存が乱されますよ」
「相変わらず冷たいな。まあ、いつも通りってことだ」
綾辻は片手をポケットに突っ込んだまま、遺体に視線を落とした。
「……これは、ただの殺人じゃない。演出されてるな」
「演出?」
「笑っている口元、完璧な手の組み方、そして髪のリボン。これは“ポージング”だ。
……死後硬直のタイミングを見計らって、死体を“整えて”いる。つまり、“美しく見せるための技術”が使われているんだ」
神楽は口を引き結ぶ。
(また……だ)
前回の事件のときもそうだった。
遺体は、死を迎えたはずの人間とは思えないほど“幸せそう”だった。
「“柘榴”の仕業、ね……」
綾辻が小さく頷く。
「世間じゃ、すでに都市伝説化している。『美しい死』を追求する殺人鬼、“柘榴”……赤い髪、赤い目、返り血を思わせる姿」
神楽の心に、鈍い痛みが走った。
(まるであの時の……)
父親の死。首を吊ったはずなのに、微笑んでいた。当時は“事件性なし”で処理されたが、どうしても納得がいかなかった。
死に顔は、生き様を映す。
だとしたら、父は本当に“あれで”良かったのか?
「……これは、赦せない」
神楽は静かに立ち上がった。
「誰かの美意識で死が装飾されるなんて……そんなの、死者への冒涜よ」
綾辻はその言葉に、ふと口角を緩めた。
「いい目をしてる。お前みたいなのが、一番“柘榴”の嫌いなタイプだろうな」
その時、室内のドアがノックもなく開いた。
「……騒がしい。捜査本部は解散したと聞いていたが」
現れたのは若い男性。
白い手袋、黒のジャケット、無表情の横顔。
彼の名は、柊木優人。闇部のリーダーであり、職業は納棺師。
「勝手な侵入はやめてください。あなた達“闇部”は、正式な捜査機関ではないでしょう」
神楽が険しく睨みつけると、柊木は一瞥をくれただけで、遺体のそばに膝をついた。
「……笑ってるように見える」
「実際、笑ってますよ。三件とも同じです」
柊木は静かに頭を振った。
「いや、これは“笑わせられている”顔だ」
神楽と綾辻が同時に眉をひそめる。
「どういう意味です?」
「死後に顔を整形し、筋肉を固定している。“幸せそうに見える死”を演出するために」
「演出……」
「俺達の役割は、死を整えること。だがそれは、死者の尊厳を守るために行う」
柊木は白手袋の手で、遺体の頬を軽く撫でた。
「この女性の死には、意志がない。作られた“微笑”があるだけ……これは、死の“私物化”だ」
神楽は言葉を失った。
(死の私物化__それは、死を“誰かの所有物”にするということ)
そしてそれは、死んだ人間の人生すら“誰かの芸術”として再構築するということ。
「これが“柘榴”の作品、ってことね」
「そうだ。美しい死……それが“柘榴”の哲学」
「でも、死は“個人のもの”でしょう」
「だから、俺達は戦っている」
その場に静かな緊張が走ったその時、玄関の扉が開き、勢いよく誰かが飛び込んできた。
「柊木さん! 来ました……リボン、届きました!」
現れたのは、真っ白な髪に片目隠しの少年__夜見トア。闇部の納棺師見習いだ。
「お前も騒がしいな……何回言えば静かになるんだ」
「はっ……すみません。 でも、これ見てください」
トアが差し出したのは、一枚の手紙。そして、紅いリボン一本。
《次は、お前たちの中から選ぶ》
神楽と綾辻が同時に表情を変えた。
「挑発……?」
柊木が無言で手紙を読み、目を伏せる。
「そうか……そっちがその気なら買ってやろう、この挑戦状。俺達“闇部”を敵に回すということを、分からせるぞ」
「……まさか、戦うんですか」
「柘榴は、“俺達の中にふさわしい死がある”と見抜いた。
ならば、俺達が柘榴に見せてやる。闇部が掲げる“美しい死”が何かを」
静かに立ち上がった柊木の背に覚悟の色が滲む。
「行くぞ……“死の審判”へ」
▶次回予告:第2話『死の肖像』
再び現れる“笑う遺体”。
彫刻刀が暴くのは、死者の“偽りの表情”。
刑事・神楽は“美しい死”の意味を追い、闇部の彫刻家・紅葉は“造形された死”に刃を入れる。
――「死者の笑顔が、そんなに美しいですか?」
次回、物語は“芸術と死”の本質に迫る。