銀の獅子、咆哮す
王都、第三商業街。
歴史ある旧劇場に、新たな旗が掲げられた。
――《銀の獅子商会》開業式。
高級貴族の姿はない。だが、来賓の顔ぶれは異様だった。
帝都新聞社の若手記者たち、技師ギルドの幹部、地方都市の実業家、旧士族の家令など――古い秩序の外側にいる者ばかり。
だが彼らが、一様に誇り高く胸を張っているのは、《この商会が、帝国に風穴を開ける》と信じているからだ。
「この時代、金も剣も、真実には勝てない」
壇上に立つセリナ・アルベリヒの演説は、静かだが鋭かった。
「嘘と権威のために沈黙してきた人々の声を、私は力に変えます。貴族であれ庶民であれ、正義を求めるなら――我々は手を取りましょう」
拍手が、空気を震わせた。
だが、セリナの視線は、すでに次を見ていた。
この式典はただの始まり。彼女の本当の狙いは、《帝都経済評議会》への正式加盟――すなわち、政策決定の場に《銀の獅子》を押し込むことだ。
「さあ、次は表の戦場よ」
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数日後、王都議会。
豪奢な円卓に並ぶのは、貴族評議員たち。そこに、ついに異物が現れた。
「帝都第三商業区代表として、新たに参加いたします。セリナ・アルベリヒ、銀の獅子商会代表です」
その名が告げられた瞬間、場が凍った。
誰もが知っている。《元・王太子の婚約者》《元・社交界の逸材》、そして《今や反貴族の急先鋒》――
「……場違いな者が来たものだ」
「元婚約者という肩書を引きずってまで、何のつもりだ」
冷笑と皮肉が飛ぶ。だが、セリナは動じなかった。
「場違いかどうか、皆様の議論の質を見てから判断いたします」
ピシャリと言い返したその一言が、むしろ会場の空気を支配する。
その直後、議題が提示された。
――「中央集権税の上昇案」
要は、地方からもっと税を吸い上げ、中央の貴族予算を増やすという内容。
「反対です」
セリナは、真っ先に手を上げた。
そして、資料を掲げる。
「ここに、過去五年分の地方経済指数の推移があります。税率を上げれば、確実に破綻する都市が出ます」
「……では、君は貴族の保護も否定するのか?」
「いいえ。保護ではなく、共存の仕組みを提案します」
彼女が取り出したのは、新たな《共有財源制度案》
中央の予算を地方自治体にも透明化して分配し、対価に応じて再分配を行う画期的な設計だった。
「これを作ったのは……まさか、君ひとりで?」
「ええ。ですが、私は《帝国の未来》を真面目に考えている人間の力を、もう借りています」
議場がどよめく。
セリナの背後には、すでに複数の地方都市と新興商会、そして――帝都大学の一部学派がついていた。
「学問と民意を背負うか……」
誰かが呟いた。
それを聞いた貴族たちの多くが、不安そうに顔を見合わせる。
権威はある。だが、内容では彼女に勝てない。
そして、議会の外には――帝都の目が光っていた。
報道。世論。新時代の声。
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その夜、王宮内。
イリーナ・ベルベットは、一人きりで議会の記録書を読んでいた。
書記官は顔を青ざめさせていたが、彼女自身は微笑んでいた。
「やはり……セリナ様、あなたは面白い」
銀の獅子商会の制度案は、初回こそ否決されたが、次回の採決に向けて検討項目として通った。
それはすなわち、議会が無視できなくなったということ。
「ですが……」
イリーナは立ち上がる。
自らの切り札を動かす時が来たのだ。
「――セリナ様、あなたの志に敬意は払います。けれども、帝国の座は、譲るつもりはございません」
そして、静かに命じた。
「準備なさい。彼を表舞台に戻しますわよ」
その彼とは、――元・帝国軍情報部の天才、現在失脚中の《灰色の狐》
イリーナが唯一、セリナに対抗できる知性と認めた人物だった。
帝都に、もう一人の策謀家が現れようとしていた。