告発の書状
王都に朝が訪れる。
だが、その静けさは、まもなく破られた。
「……王宮宛に、匿名の封書です」
近衛騎士が持ち込んだその手紙は、外装こそ簡素だったが、封蝋には古い帝国文官の紋章が押されていた。
中身を見た瞬間、王太子直属の官僚たちの顔色が一変する。
「これは……ッ!」
そこに記されていたのは、《王都の大蔵省高官と東方貿易商による不正資金流用》の証拠書類。
証拠は精緻かつ綿密。差出人こそ記されていなかったが、作った者の知性が滲み出ていた。
「……アルベリヒ、か」
イリーナ・ベルベットは、書類を一読し、静かに呟いた。
誰よりも、これがセリナの仕業であることを理解していた。
「法を使う前に、腐った根を曝すとは……なかなかの牽制ですわね」
しかも、手紙は王宮だけでなく、《帝都新聞社》《神聖教会》《帝国監察院》にも同時に届いていた。
王都の公の目をすべて巻き込むやり口――もはや単なる嫌がらせではない。
「……つまり、わたくしの法案に対する正面からの反撃、ということですのね」
イリーナの瞳が、一瞬だけ鋭く細まった。
セリナ・アルベリヒ。元婚約者。
女の武器も、貴族の権威も捨てた、純粋な知性だけの勝負――そして今、その知性が牙をむいたのだ。
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同時刻、北部都市エルザルト。
「……やったわね、セリナ様!」
メイが興奮気味に声を上げる。
既に帝都では《緊急監察》が入り、大蔵省の一部高官が拘束されたとの報が届いていた。
「これで、王都の経済法案は一時棚上げにされるはずです」
「ええ。ただ、イリーナは引かない。次は必ず反撃してくるわ」
セリナはあくまで冷静だった。
今回の告発は、あくまで時間稼ぎ。
本命は――その間に用意する、王都進出の拠点だった。
「王都南区、第三商業街。廃館になった旧劇場を買収します」
メイが報告を続ける。
そこに、セリナは小さくうなずいた。
「《表の顔》を作るわ。王都でも、私たちが堂々と動けるように」
その名も、《銀の獅子商会》
エルザルト財閥の出先として、合法的に王都で活動する新組織。
――諜報でも、経済でもなく、社交と人脈を武器にする新たな牙。
「準備は、整いつつある。あとは……」
セリナは静かに、王都の地図を指でなぞる。
そこに小さく丸をつけたのは、王都大学付属研究院。
「彼に会うわ。……今度こそ、正面から」
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一週間後。王都、帝国大学構内。
「まさか、君が来るとはな」
男は少し苦笑しながら、セリナの前に立っていた。
帝国陸軍の若き副将――ユリウス・ヴァレンタイン。
そして、セリナの元・同級生にして、ただ一人彼女を見捨てなかった男。
「……お久しぶりね、ユリウス」
「お互い、随分遠くに来たもんだ。君は今、帝国の敵にされかけてる」
「それでも、私は立ち止まらないわ」
セリナの声に、一切の揺らぎはなかった。
彼女がこの場に来たのは、旧交を温めるためではない。
――同盟を結ぶためだ。
「王都を変えるには、表と裏の両方が必要。ユリウス、あなたは《帝国の剣》。私は《影の手》」
「……つまり、手を組もうってことか」
「あなたには正義を守ってもらう。私は、正義を創るわ」
静かな会話。だが、その熱は、どんな戦場の炎よりも鋭かった。
そして、セリナは最後に一言だけ、笑みを浮かべて告げる。
「もう、誰かの飾りじゃない。今度は、私がこの帝国を選ぶの」
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その夜。王都某所、王太子妃イリーナの執務室。
「セリナ様……」
彼女は密かに、大学研究院に派遣した情報員からの報告を読んでいた。
内容は――セリナとユリウスの再会。
「……お姉様。あなたの手札が、また一枚増えましたのね」
イリーナは静かに立ち上がり、窓辺に立つ。
「ですが、わたくしも負けません。帝国の主導権は、必ずわたくしが握ります」
その瞳には、一切の怯えも迷いもなかった。
表と裏――ふたりの才女が、ついに王都の中心で火花を散らし始める。
それは、まだ誰も知らない《帝国の未来》を決める戦いの、ほんの序章に過ぎなかった――