終幕の檻
王宮の夜は深く、月は白金の光を落としていた。
祝賀の宴の余韻も、今や跡形もない。
代わりに残されたのは、沈黙と、変革の前触れ。
セリナ・アルベリヒは、静まり返った謁見の間で、ひとり椅子に腰かけていた。
その前には、かつてこの帝国を意のままに操った男――元宰相、ヴァレン・マティウス。
鎖をかけられたその姿には、威厳も誇りも、すでにない。
だが、その瞳は未だに、何かを見透かすように鋭かった。
「……終わりだと思っているのか?」
セリナは静かに首を振った。
「始まりよ。あなたの終わりは、帝国の再生の幕開けに過ぎない」
ヴァレンは皮肉げに笑った。
「綺麗事を。結局は権力が欲しかっただけだろう。私も、レオナルドも、皆そうだった。違うか?」
セリナは、その問いを否定しなかった。
「そう。私も欲しかった。けれど、それは支配のためじゃない。奪われない未来のためよ」
「……ふん。立派になったな、小娘」
かつて、幼いセリナに学問と政治の技術を教えたのは、他ならぬヴァレンだった。
「まさか、お前に後ろから刺されるとはな。……少し、感慨深いよ」
セリナのまなざしは揺れなかった。
「刺したのではない。あなたが腐敗を選んだだけ。私は、それを排除したまで」
「それが正義だと?」
「いいえ。必要だっただけ」
その冷徹な論理に、ヴァレンは少し目を細める。
「まるで……かつての私だな。だが、気をつけろ。必要性を理由にした正しさほど、後戻りできないものはない」
その言葉に、セリナのまぶたがわずかに震えた。
「……理解してる。だからこそ私は、ひとりで進む」
「王座を狙うのか?」
「いいえ。私は王にはなれない。けれど――」
そう言って、セリナは窓の外を見やる。
夜明けの気配が、帝都の空に滲み始めていた。
「この国に、選べる未来を残す。それが私の答えよ」
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ヴァレンの処遇は、翌朝発表された。
国家反逆罪として、終身の軟禁処分。公の場に出ることはもうない。
王太子レオナルドは王位継承権を放棄し、地方領地への自主謹慎を宣言。
リーゼ・アルヴァは国外追放となったが、命までは奪われなかった。セリナの意志によるものだった。
帝国の中枢は、大きく姿を変えようとしていた。
貴族議会は再編成され、中央統治委員会として制度化。
そこに、セリナの名は正式な「参与」として記された。
だが、彼女は公式の地位にはとどまらなかった。
その翌日、突然、全ての役職を辞任したのだ。
「……なぜ?」
アラン・フェイヴァルは、書類の束を前に問いかけた。
「今なら、君が帝国の女宰相にもなれる」
セリナは微笑を浮かべる。
「それは違うわ。私は道を切り拓いただけ。歩くのは、民と後に続く者たち」
「だが、君がいなければ……」
「私は、帝国という檻の中で生きるつもりはないの。自由でいたいのよ」
その言葉は、風のようだった。
しなやかで、だが強い意思を宿していた。
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数日後、セリナは帝都を離れた。
行き先は告げず、ただ「旅に出る」とだけ残して。
アランと、数人の信頼できる仲間だけが、彼女の背中を見送った。
そして帝都では、改革派の代表者たちが次代を担い、王室も新たな後継者を立てて再出発した。
それは、混沌から秩序への転換期だった。
だが、人々は語る。
――あの夜、帝国を変えたのは「ある一人の令嬢」だったと。
名前も肩書きも関係ない。
その人の意志と行動が、この国の未来を救ったのだと。
やがて、その噂は都市伝説のように広まり、彼女はこう呼ばれるようになる。
銀の姫君――混迷を切り裂いた革命の記憶。




