表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂恋  作者: はる
22/22

最終話

 草子は不安になりながら待つ。


 だから、背後からジローの少し足を引きずったような足音が聞こえてきた時は、胸が苦しくなるほどの喜びを感じた。



「おはよう」



 ジローの声で、草子は初めて気づいたような顔をして振り向く。



「おはよう」


「楽しそうだね」


「うん。楽しいよ」



 ジローは自分で入れた珈琲を手に持ち、草子の隣に座り、静かに海を眺める。


 ジローの手足は、枯れ枝のように細くなり、あまり食欲もなくなっていた。


 最近は、夜中になると、痛みで意味のわからない言葉を叫んだり、急に泣き出したりするようになった。


 そういう時、草子はジローの背中をそっと撫ぜた。そしてジローの身体の全てを撫ぜ続けた。


 髪、目、鼻、口、耳、鎖骨、肩胛骨、尾てい骨、そして、足の指の一本一本まで。


 ジローはまだ生きているんだよと伝えるかのように、草子は丁寧に撫ぜ続けた。


 草子に全身を撫ぜられると、ジローは安心したようにまた眠りに入っていくのだった。


 草子にはジローが、少しずつ子供に戻っていっているように感じた。こうやって人は、人生の時間を巻き戻されていくのかもしれない。

  


 そして最後は無になる。


 何もないところから生まれて、何もないところに戻っていくのだ。



 そう考えると、草子にとって死は怖いものではなくなる。



 いつか自分も無になるのだ。


 だからこそ生きている間は、無でいてはいけないのだ。



 草子は、目の前に広がる海を眺めながら、「生きてるね、私たち」とジローに話しかけた。


 返事がないので、草子はわざと隣を見ようとしなかった。




 草子は長い時間、まっすぐ前を向き、海だけを見続けた。静かな時間が続いていた。


 草子は、歯を食いしばり大きく息を吸い込んで、やっと隣を見た。


 草子の隣で、ジローは幸せそうな微笑みを浮かべて、眠っていた。


 草子は、ジローの髪を撫ぜ、優しく口づけをし、ジローの手から落ちそうになっている珈琲カップをそっと取り、海に向かって投げた。



 出来るだけ遠くへ。




 ジローが無になってから、一ヶ月が経った。


 心配だから一緒に暮らすと百花が言い出したが、草子は優しく丁重に断った。


 宣言通りジローの後釜に座ろうと近寄ってきた松野の存在も、草子は難なくはねのけた。


 草子はジローの死によって、自分を取り戻したのだ。草子は強くなった。


 もう誰も草子の中に勝手に入る事は出来ないのだ。




 草子は、海の近くの喫茶店で働き始めた。


 長年の主婦生活で培った料理の腕をマスターに買われ、毎日誰かの為に料理を作っている。


 生きていた過程の中で自分がやってきた事は、どれ一つ無駄な事はないのだなと、草子は理解した。



 無になるまで生きるんだ。



 草子は、ベランダにある白いベンチに座り、海を眺めながら足をブラブラさせ、自分のお腹を優しく撫ぜた。



 私は一人じゃない。




                   おわり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ